All is well 〜きっとうまくいく〜


 今でこそ大学院生なんていう立場にあるけど、高校三年の夏まではまともに勉強などしたことがなかった。中高六年間で借りた本の数は「 1」。英語の授業で持ち物だった和英辞典を忘れたから借りた。大学に行く気もあんまりなかったし、編入で他の高校に行こうかと思ったことさえあった(親に勧められた)。通っていたのは、中学の時から大学受験を意識した勉強を強いられる、意識だけは高い中高一貫校だったので、明らかに向いてなかった。中学の時は、同じようにその学校に向いていない連中となんとなく暗くなるまで遊んでいた。一応、野球部には所属していたけど、中一の時からほとんど行ってなかった。中三の時は、野球部主将の中村に「部活に来いっ!」と追いかけられる日々。終礼後、一目散に玄関へダッシュしている俺を必死に追いかける中村。中村が高校で陸上部に入ったのはたぶん俺のおかげ。


 なんだかんだでヌルッと高校に進学し、部活は一番楽だと噂の男子バレーボール部に入った。部活とか休み時間はめちゃくちゃ楽しかったからちゃんと登校はしていた。でも授業中は、漫画を読むかモンスト(ゲームアプリ)をするか。毎週月曜日は週刊少年ジャンプ。週刊誌は、取り上げたところで次週にはまた現れるため、先生も取り上げるのをやめた。最近知ったことだが、部活の顧問と当時の担任は俺を転校させようとしたらしい。そういえば高二の時、顧問に隣県のバレーが強くて勉強しなくていい高校に興味がないか聞かれたことがあった。なぜ転校を進めたかを聞くと、「お前がおると勉強せん奴が増える!」と断言された。すみません。確かに、中高六年間まともに宿題をしたことなんてなかったし、テスト期間は他の部活の奴と遊ぶ絶好の機会だった。人の勉強時間を奪った覚えはすごくある。でも宿題の提出だけはしていた。一日何時間も漫画を読むのは飽きるし、気晴らしに問題集の答えをノートに写している時期があった。夏休みの宿題は夏休み前に終わっていたし、宿題提出前日は答え写しを五百円で承っていた。


 そんな日々が二年続き、高校三年生になった。そうか、俺が通っているのは進学校だったのか。どうやらみんな大学に行きたいらしい。とりあえずなんとなく、地元の国立大に行こう、数学と物理の点数が少し高いから、工学部でいいか。高3の春、模試の結果はそこまで悪くはなかった。順当にいけば、隣県含め国立大への進学はできそうだ。正直、空気的に進学する以外の選択肢はなかったし、学校全体がそういう‘流れ’で、乗っかるしかなかった。とはいえ、明らかにモチベーションがない。部活も引退した私にとって、学校はただの漫画喫茶。正直行く意味がない。ある日、担任に大学に進学はしないと言った。学校にいてもみんな勉強しているし、面白いことなんてほとんどなかった。しかし、その時の担任は「国立大学に行け」としか言わないカセットテープ人間。話が通じる相手ではない。同じことを親に言うと「好きにすれば?」……。なんとも対極な……。


 当時の私には、行きたいと思う大学を探すという選択肢しかないような気がした。今でこそもっと選択肢があることを知っているが、当時はそれしか思いつかなかった。それから数週間で、学校にあった1番分厚い国立大学便覧を読破した。現代文の点数が伸びそうなくらいの文字数。そしてついに見つけました、行きたい大学。キャンプとか登山するらしい。絶対おもろいやん。
 「先生、進学先を決めました。信州大学に行きます!」
次の模試から志望校は信州大学に。その他の志望校は勿論デジタルハリウッド大学。そこに特に意味はない。


 志望していたコースは、二次試験が体育実技。センター試験しか受けなくていい。なんたる棚ぼた。しかも模試の結果は志望者の中で一位。このコース、マイナーすぎて誰にも気付かれていない、分厚い本を隅々まで読んだ甲斐があったぜ。勝ちを確信しながらも、センター試験の勉強はした。でも担任に勉強していると思われるのは癪に障る。とにかく担任が嫌いだった私は、早朝の中学校舎で小一時間勉強する日々を過ごした。みんなが来る頃には教室に戻り、何食わぬ顔で体育館でバスケをする。授業中は今まで通り、漫画を読む。不思議と成績は伸びた。朝の一時間のラーニングハイ。でもしばらくすると、俺だけの場所だったはずの早朝の中学校舎は一人だけのものではなくなった。やばい、隣のクラスの橋本にバレた。次の日から橋本も来るようになった。こいつはタチが悪い。毎朝数十分にわたりウンコしやがる。しかも俺がいる室内にまで聞こえる脱糞音を響かせながら。なんて奴だ。イヤホンの音が3上がった。


 そんな日々も瞬く間に過ぎ、センター試験当日。特記事項なし。感触的には模試と変わらない。ここで受験は終わったに等しい。それからは、堂々と一日中体育館で遊んでいられる。同じように二次試験が実技科目の面々で集い、バスケをしたり、バレーをしたり。ただただ遊ぶ日々。ただただ楽しいだけだった。二次試験の勉強をする同級生たちを尻目に、登校したらすぐジャージに着替える。なんならジャージで登校する日もあった。


 二次試験当日。もともと受かるつもりで行ったが、受験生たちのセンター試験の点数を聞いて合格を確信した。試験自体も難なくこなし、こいつは受かるだろうと思った浪人生とだけラインを交換して帰還。彼も私も無事合格して、大学ではキャンプやら登山やらをすごく楽しんだ。もう楽しすぎて大学院まできてしまった。


 一貫校でそのままの高校に進んだこと、大学に行くと決めたこと。どちらもその時の自分が思い描いていない方向に進んだ。でも進学したい大学を探すという選択は、最良極まりないし、あの大嫌いな担任の「国立大学に行け」がなければ、登山を楽しんでいる自分はいなかったかもしれない。今なら大学進学させようとする大人たちの気持ちも少しは分かる気がする。あとは、なんとなくうまくいく自身の強運にも感謝したい。


改めまして。勉強時間を奪ってしまったみんな、ごめんよ……。

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