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自己PR

自己PRってなんやろな。こんな時代やから、検索すれば例文なんてのが腐るほど出てきて、誰にでも当てはまるようなことがつらつらと書かれている。血液型占いかっ。 そんなことを思いながらも書かなければいけないのが世の常。こんなんもう、昼飯でA定食かB定食か悩むみたいなもんやん。 以下、マイナビ参照の上、自己投影 ・リーダーシップ...なくはない。 ・協調性...基本的にはあると思う。 ・計画性...意外と動く前に考える。 ・柔軟性...身体は柔らかい方。 ・行動力...奇行に走りが

    • 餃子の錬金術師

            僕が餃子を食べ切ったから、今日は餃子記念日――   昨今のコロナ事情に伴い、Go to eatが発生したことは皆さんご存知だと思う。そして筋トレ中の僕がエニタイムのテレビで目にしたのは「鳥貴の錬金術師」というキャッチーなフレーズだった。入手した1000円のクーポンを使い調味料だけを頼む。最後にお会計を済ますと、1000円から調味料代金の数十円を引いた差額、900円幾ばくかが手元に残る……というカラクリのようだ。どうやら錬金術師は現代にも生きていたらしい。この方

      • 選択と責任

        選択と責任                      「人間、多かれ少なかれ絶対に後悔する。後悔しないことなんてない。だからその後悔をいかに少なくできるかってことを考えてみてほしい」  これは、高校の陸上部で引退される先輩から贈られた言葉だ。今でも覚えているのは、僕自身この言葉に共感するところがあってのことだろう。ここでは僕が、死ぬまで忘れることもない、最高に楽しかったオランダ留学に行くことになった経緯と、その結果について話そう。  走馬灯がよぎる時、楽しかった瞬間が脳裏

        • 進学と選択

          進学と選択                       人生の境目を振り返ると、自分がどんな人間かわかる…ような気がする。ここでは、受験生三人分の働きをした、僕の大学受験の話をしよう。  僕が通っていた高校は、いわゆる進学校だ。公立ながらも中高一貫校だったため、高校受験は知らぬ存ぜぬ。他所の中三が必死に勉強していたであろう頃は、高校生に混じって部活動に励んでいた。そんな僕も、ついに受験と向き合う時が来た。そう、大学受験だ。隣国は日本よりも大学戦争がエゲツないらしい。よく知ら

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        • 初めてのエッセイ5作
          5本
        • 初めてのエッセイ4作
          4本

        記事

          筋トレと俺

          筋トレと俺                    むね、うで、かた、あし、かた、うで かた、あし、むね、かた、うで、あし  これは先週、五日ぶりにジムに行ったときに考えていた、一週間の部位トレ計画だ。プランAもプランBも、必ず肩トレが二回ずつ入っているのを見ると、やっぱり今一番鍛えたい部位は肩なんだと気づく。今回は、僕が筋トレを始めた理由についてちょっと話そう。  まず僕は、筋トレが嫌いではなかった。それは、胸筋が付きやすいという体質も関わっていると思う。付きやすいとは

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          婚活アプリをはじめよう

                        初恋の話をしよう。2009年、私は恋に落ちた。  中学二年だった私が、ロクでもない生活を送っていたことは「All is well」で読んでくれたものとする。暗くなるまで遊ぶ日々、何をするわけでもない学校生活、悪さを誘発する尾崎豊。その頃には、特技だったはずのピアノすらまともに弾くことができない、取り柄のない男。そんなどうしようもない私にも、一つだけ趣味があった。それが映画だ。中学二年から三年の二年間で見た映画はおそらく七百本以上、毎朝四時台に起

          婚活アプリをはじめよう

          All is well 〜きっとうまくいく〜

           今でこそ大学院生なんていう立場にあるけど、高校三年の夏まではまともに勉強などしたことがなかった。中高六年間で借りた本の数は「 1」。英語の授業で持ち物だった和英辞典を忘れたから借りた。大学に行く気もあんまりなかったし、編入で他の高校に行こうかと思ったことさえあった(親に勧められた)。通っていたのは、中学の時から大学受験を意識した勉強を強いられる、意識だけは高い中高一貫校だったので、明らかに向いてなかった。中学の時は、同じようにその学校に向いていない連中となんとなく暗くなるま

          All is well 〜きっとうまくいく〜

          私が結婚するために

                    初めて人に好きと言われたのは小学校の時。当時小学五年生だった私は、終礼後はいつもそのまま音楽室に向かう。五時過ぎまでラッパを吹いては怒られ、ヘトヘトで下駄箱へ行くと、そこにはラブレターがあった。見てすぐにラブレターだと認識できるような可愛らしい封筒に入ったそれは、書くか書かないか迷ったり、書き始めてからも何度も書き直したのだろうか。そんなことは今だから思うことで、当時はウゼーなと思っていた。面倒はごめんだ。私は女性には熱くならない性分。

          私が結婚するために

          仕事

           仕事はできたほうがいい。当たり前。できないよりはできたほうがいい。この当たり前を覆されたことがあった。  昨年、大学院を休学していた私は、北海道のとある湖でカヤックのガイドをしていた。北海道での働き先はいくつかあったが、カヤックは本格的にはやったことがなかったし、楽しいイメージがあったのでここを選ぶことにした。  4月に働き始め、最初はもちろん研修。いきなりお客さんなんて連れていけるわけがない。まだ水はキンキンで、ガイドも客もドライスーツ(水に入っても来ている服は濡れない

          iphone7は7年使う

           私は、物を大切にする方だ。というよりも、長く使っているものがいくつかあるというのが正しいか。  お気に入りのジーンズがある。こいつは、父が二十歳の時に買ったアルマーニのジーンズ。景気が良かったとはいえ、きっと頑張って働いて買ったのだろう。私はこいつを、中学二年の時に受け継いだ。お気に入りとはいったものの、丈が少し短い。父の身長を超えたのはいつだったろうか。たぶん、高校に入ったくらいだったと思う。高校時代の部活での選手登録では、頑なに175センチと記載していたが、高校入学時

          iphone7は7年使う