仕事


 仕事はできたほうがいい。当たり前。できないよりはできたほうがいい。この当たり前を覆されたことがあった。

 昨年、大学院を休学していた私は、北海道のとある湖でカヤックのガイドをしていた。北海道での働き先はいくつかあったが、カヤックは本格的にはやったことがなかったし、楽しいイメージがあったのでここを選ぶことにした。
 4月に働き始め、最初はもちろん研修。いきなりお客さんなんて連れていけるわけがない。まだ水はキンキンで、ガイドも客もドライスーツ(水に入っても来ている服は濡れないが、泳げるほど動きやすいという優れもの)を着てツアーに行く。ツアーはとても簡易的なもので、すぐにでもできそうだった。正直、がっかりしたところもあった。でも、観光ガイドならこんなもんか。二日目も先輩ガイドのツアーに同行して、三日目には一人でガイドをしてみろと言われた。そんな馬鹿な、と思いながらも、できる気がしていたのでやってみた。もちろん後ろからは先輩ガイドが同行する。ガイディング自体はすぐにできた。朝と昼と、二回ツアーをしてわかった。もう俺いけるやん。でもそんなにうまくいかないのが...と思っていたが、ほんとにうまくいった。四日目、レスキュー訓練。お客さんが湖に落ちてしまった時の救助などを学ぶ。体力はないわけではなかったので、水の中で船をひっくり返すのは簡単。それを引っ張って岸まで泳ぐことも問題なかった。五日目、私は野に放たれた。お客さんが来たら、着替えさせてツアーへ。十人までは一人で連れていく。


 普通、研修って何週間かするもんじゃないんかな~とか思いながらも、できることにはできるから、さして問題視しなかった。どうやらその会社では、前代未聞の最速ガイドデビューだったらしい。それからというもの、日本人だろうが、外国人だろうが、その両方であろうが、十人までは一人で連れていくことになった。自分でいうのもなんだが、物覚えは悪くないし、そんなに不器用でもない。人との会話も苦手ではないし、英語が全く話せないわけでもなかった。


 毎日3回のツアーのガイドをして、寝て起きての繰り返しが始まった。日給は6000円。朝8時から掃除をして、カヤックを湖に下ろす。これはシンプルな肉体労働だ。9時から1回目のツアー、3回目が終わるのは17時過ぎ。カヤックを艇庫に戻すと18時過ぎ。昼ご飯は、あまり時間がないので簡単なものを。時給換算6000円……。一応大卒なんやけどな……。お客さんが最大数来たとして1人7000円で3ツアー、計21万かぁ。ぼろい商売やな、受付から見送りまで全部一人でこなしているのに、私の手元には6000円。会社には毎日のように20万4千円が入る。などと思う日もあったけど、ガイド自体は楽しいし、住んでいたところから最寄りのコンビニまでは35キロほど。使うところはないので、お金はなくても困らなかった。しかし、お客さんがいない日は無条件で休みにされる。それが分かるのはその日の朝。これがめっちゃ困る。せめて待機の手当てくれよ。


 こんなふうに愚痴こそ絶えないが、一人でツアーができるというのは自由がきいていい。そんな感じで勝手に楽しんでいたのだが、GWを迎えて話が変わった。一日3ツアーから5ツアーに増え、朝一のツアーは7時からなので、準備は6時前から。最後のツアーが終わるのは、19時過ぎ。計13時間の労働になった。日給は6000円、時給換算すると460円……。これはまだ我慢できるが、その頃から社長の知り合いがガイドの助っ人として入ってきた。こいつがまったく使えない。ガイドは下手で、英語もしゃべれない。外国人客はこっちに回ってくるし、犬を連れた客も、お年寄りも、子供も。明らかに何かやらかしそうな男性軍団なんて、100パーセントこっちに回ってくる。あと、若い女性はきっちり持っていかれる。これはまだ我慢できていたがGWを過ぎ、その使えないガイドが日給20000円だということが発覚した。流石に文句も言う。私の沸点は、テキトーに雇い始めた知り合いのレベルが低いこと(と日給が高いこと)。最初に研修についてくれた先輩ガイドも、そのころには下手だと思うようになっていた。その証拠に、お客さんからの評判は、私が一番良かった。その頃には、ツアーレビューも私の名前ばかりだった。なんなら、電車やバスを乗り継がないと来れない場所なのに、リピーターが来たこともあった。正直、私以外のレベルが低すぎた。決して私のレベルが高いわけではない。まだ素人当然なのだから。ただ、お客さんに少し申し訳ない。私が連れて行ったお客さんはこんなに楽しそうなのに……、なんて思ってしまうこともあった。


 限界を迎えた私は、流石に社長に文句を言いに行った。研修が十分でないこと、ガイドのレベルが低すぎること、ついでに私の給与が低いこと...。しかし全くもって理論的ではない答えの牙を向けられ、社長の頭が悪いことを確信した私は、考えるのをやめた。


 給与に関しては、さすがに他の社員もおかしいと思ったらしく、上層部で会議があったらしい。そして社長から提案があった。そこで現れたのが、委託業務契約書。聞けば、他のガイドはこの委託業務とやらでガイドをしているらしい。しかしこの書類、目を通すと驚いた。ツアー中の事故やトラブルの一切の責任をガイドが担うというものだった。もうこうなるとわけがわからん。しかしこの時、私はもう既に考えるのをやめている。札幌でのバイトを探し、アパレルショップ店員を始めることにもなっていた私は、その悪魔の契約書にサインした。まぁこれも人生経験か。そして私の日給は一万円になった。とはいえ一日5ツアー。毎日34万を会社に入れる委託業務ってどんなんやねん。


 晴れて委託ガイドとなった私は、このころから他のガイドたちからも一目置かれるようになっていた。ガイディング数は誰よりも多かったし、客からの評判も一番良かった。必然と言えば必然。しかし日給は、委託ガイドの中では最低値。もう考えるのをやめている私は、いかに楽をするかを考えるようになった。これは摂理である。そして導き出された方法は、全部自分でするというものだった。大学でもたまにやってしまうのだが。何かをしていて効率が悪かったり、のろのろ動いている人を見るとイラっとすることがあり、全部自分でしたほうがはやいと思ってしまう。この本の編集を担当しているゆきのには、それを怒られたことがあって、後輩がいるときには温かい目で見守ることを心がけるようにはなったが。ここでは、私が一番年下。見守るなんて立場にはなれない。


 朝、カヤックを湖に下ろす。多いときには25艇以上。男でも一人で持ち上げられない人がいる二人乗りカヤックなのだが、私にはそこまで重たくなかった。力持ちに生んでくれたお母さん、ありがとう。毎朝5時に起きて、一人でカヤックを下ろしに行く。最後のツアーが終われば、ほかのガイドは車で家に帰るので、「やっときますよ」悪い癖がでとるなぁ、と思いながらも他のガイドが楽できているからいいだろうと思っていた。


 しかし事件は起きた。その頃は月に5日くらいはアパレルショップ店員だったので、当たり前だがツアーがあっても私がいない日もあった。そんなある日、カヤックが用意されていない状態でツアーが始まったことがあったらしい。もちろんお客さんは待たされる。しかもその日のガイドは、かなり微妙。当然のごとく、お客さんからの評価はイマイチ。レビューもよくなかったらしい。このことで、社長はもちろん激怒。しかし困ったことに怒りの矛先は私だった。


 「お前がいないときに誰かが困るようなことをするな。」
いやいや、意味わからん。それからこう続いた。
 「上手にガイドができるのはいいけど、ほかのお客さんから『あのガイドがいい』とかいわれると困るんだよね。それに、写真沢山とるでしょ?他のガイドより写真をたくさん取られると、お客さんが不公平になるじゃん。そんなことすると、ほかのガイドも同じようなこと求められるんだよ。やめてもらえる?」
 「お客さんができるだけ楽しめるように、テンション高くツアーするし、写真だってたくさん撮りますよ。ガイドなんてディズニーランドのミッキーみたいなもんじゃないんですか?実際、ツアー後に『お兄さん一緒に写真撮りましょう!』って言われることも多いし。これからもそこは、変える気ないっすよ。」
 「いや、それがこまるんだよね。ほかのガイドたちはそこまでできないし、やらないから。だいたいそれが君の良くないところだよ。お客さんを楽しませるって。それは君が今までやってきた子供相手のとこでやってくれればいいんだよ。こっちは仕事だから。」
 「これ委託業務ですよね?お客さんが来て、ツアーを託されてやってるんですよ?じゃあいいツアーしようとしますよ。この会社は足並みのそろえ方間違ってますよ。そんなんだからガイドが毎年やめていくんですよ。」
「 いや、自分は同じステージに立てていない人間が離れていっている行っていると思ってるから。」
 「なるほど。ちょっと俺のいるステージが違ったみたいなんでやめさせてもらいます。」
こうして私は、職を一つ失った。


 仕事というのは、言われたことをするという単純なものだ。それ以上は求められない。それ以上のことをすると、褒められることもあれば、今回のように咎められることもある。社会人には、わざとゆっくり仕事をして残業代を稼ぐ人もいれば、仕事が多くて残業を余儀なくされるものの残業代が出ていないという人もいる。仕事って何なんやろな。何のためにやっているのか。何のためにやらされているのか。


 そんなことを考えながらも、来年から就職する予定の私は、まだ就活すら始められていない。

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