私が結婚するために

        

 初めて人に好きと言われたのは小学校の時。当時小学五年生だった私は、終礼後はいつもそのまま音楽室に向かう。五時過ぎまでラッパを吹いては怒られ、ヘトヘトで下駄箱へ行くと、そこにはラブレターがあった。見てすぐにラブレターだと認識できるような可愛らしい封筒に入ったそれは、書くか書かないか迷ったり、書き始めてからも何度も書き直したのだろうか。そんなことは今だから思うことで、当時はウゼーなと思っていた。面倒はごめんだ。私は女性には熱くならない性分。別に何かあったからとか、こう考えているからとか、そういうわけではない。よく覚えてないけど、きっと辛辣な返答を放ったんだろうな。中、高校も同じで、もちろん女性に全く興味がないわけはないが、どこか上の空。


 それでも、結婚したいとは思っている。きっとそれは、両親が仲良くしている姿を見ているからだ。我が家の両親は無類の酒好きで、私が物心ついた時から仲良く二人で酒を飲んでいた。姉ちゃんと私が二人とも実家を出た後、出会った当初のように二人暮らしを満喫している。知らんけど。あとは子供が欲しいっていうのもでかいな。私は高校生くらいの時から、「我が子の運動会での親子で参加する競技で優勝するのが夢だ!」と公言してきた。これは今も変わらない。


 じゃあ、結婚するために何をしようか。答えは簡単で、まずは彼女をつくらなければいけない。たぶん。とはいえ、彼女なんていたことないし、つくり方なんて知らない、というか考えてもいなかった。ずっと、いつかできるだろうと思っていた。
 思えば、おみくじで「待ち人 十以上歳の離れた者」と出たことがあったなぁ。当時19歳。ハタチを目前にして小学生orアラサーの選択を迫られた。結局、選択できないまま自分がアラサーと呼ばれる歳になってしまった。


 一般的なこの世のルールでは、連れ添った彼女と結婚するという。でも付き合ったらみんな結婚するわけじゃない。みんななんで彼女つくるんやろ。その理由として思いつくものをつらつらと。

 ・気が合い、二人でいると楽しいから
   男女で、気が合って仲良くなると付き合いだすってのは至極一般的な手順。でもそこに「付き合っている」が必要なのかよくわからん。
 ・誰かに何か言われた時に説明するために
   男女で歩いていたりすると関係性を疑われるってのがたまにある。これが結構めんどくさい。でも、これが「付き合っている」の一言で不思議と解決するんだな。
 ・結婚を前提とした練習相手に
   大会の前に練習試合を繰り返すように、結婚前にも練習試合はしたほうがいい。それが長い闘いになるのならなおさら。(闘いという表現はマイナスではない)
 ・不適切な関係を適切にする手立て
   これはマジでよくみる。関係を持ってしまったから付き合うことに。関係を持続したいから付き合うことに。セフレというやつですか?


 結局、別れるのであれば付き合っている理由はよくわからんし、「付き合っている」が何かを変えるわけではないように思える。みんな付き合ったり別れたりを繰り返していて、いずれは結婚相手にたどり着くなんて信じているのだろう。でもこれ、ヤリチンと何が違うんですか?って思ってしまう。正直なところ、「付き合っている」という文言の有無以外は、全く同じように感じている。それほどに女性にとって、「付き合っている」が大切なものともとれるし、周りの目を気にするっていう特性ともとれるけど。なんだかなぁ。

 そうです。私は拗らせています。拗らせてこう思うのか、こう思っている拗らせているのか。結婚はしたいけど、遊んでいる女性はイヤ。これまでの男性関係なんて、聞いてない、聞きたくない。これは世にいう童貞マインドというやつなのでしょうか。


今の私に残された可能性は……。子供かお年寄り?
……あ。もしかしてあのおみくじ。


 今日も、街行く家族やカップルを羨ましく思う。
 

 誰か結婚してくれませんか......

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