筋トレと俺

筋トレと俺                   


むね、うで、かた、あし、かた、うで

かた、あし、むね、かた、うで、あし


 これは先週、五日ぶりにジムに行ったときに考えていた、一週間の部位トレ計画だ。プランAもプランBも、必ず肩トレが二回ずつ入っているのを見ると、やっぱり今一番鍛えたい部位は肩なんだと気づく。今回は、僕が筋トレを始めた理由についてちょっと話そう。
 まず僕は、筋トレが嫌いではなかった。それは、胸筋が付きやすいという体質も関わっていると思う。付きやすいとは言っても、あくまで素人に産毛が生えた程度ではあるが、やはり結果が目に見えてわかるというのは、モチベーション維持に効果的だった。僕が筋トレを意識的に始めたのは、大学生になってからだった。
 初めてのジムは、オランダにあるジムだった。オランダ人の友人たちはみなある程度ムキムキだったのを覚えている。ブロンド、ムキムキ、長身。はいもうカッコいい。中でもゼリアン君は一際ゴツく、優しかった。みんなからZと呼ばれている彼に、おすすめのプロテインを訊いて買ったものだ。あと彼は、留学先大学のパーカーを僕にくれた。今でも愛用している。ありがとうZ。彼は、僕が自分で買ったものより一回り大きいサイズのパーカーをくれたのだが、今ではそちらをジャストサイズで着れるようになった。僕の筋トレの成果を、いつか彼にも見せたいものだ。
 ともかく僕は、成り行きではあるがオランダで筋トレに目覚めたのだ。そして日本へ帰国した後も、筋トレ習慣は続いた。もともと陸上部に所属していたのだが、帰国後の僕は無事、幽霊部員となった。かくして部活動という大学生活の大部分を担うライフイベントが消滅した僕には、大量の時間が余ることになった。ただでさえ貯蓄の少なかった財産をオランダで使い倒してきたので、時間はあるが素寒貧な僕は、高頻度でバイトに入った。一週間ほど東京に出稼ぎに行ったこともあるが、話が横道にそれてしまうので詳しくはまたの機会に話そうと思う。
 だがバイトばかりしている訳にもいかず、なお有り余る時間を筋トレに充てるようになったのだ。そこに大したきっかけはなかったと記憶している。やることもないけど、金もない。なら身体をでっかくしてみようか、という安易な考えで、大学にある錆びれたジムの扉を叩いたのだ。むろん、月額料金は無料だ。
 ジムに通い始めたといっても、誰かがレッスンを施してくれる訳でもなく、僕の筋トレの先生は筋トレyoutuberと、オランダのジムで正しいハンマーカールを教えてくれた、名もなきマッチョだった。だから当時は、自分が知っている筋トレばかりをしていた。基本的に、大胸筋はベンチプレス、上腕二頭筋はバーベルカール、上腕三頭筋はイージーバースカルクラッシャー、腹筋はアブローラーかドラゴンフラッグ。足はキツイからひたすら逃げた。
 高校、大学三年まで陸上部で800mを走っていたおかげか、チキンレッグとまではいかなかったが、上半身だけビミョーに発達した、何とも言えない体になった。それでも、時間は潰せるし、体は少しずつ変わっていくし、僕は満足していた。正直筋トレなんてものは自己満足の世界でしかない。自己満足を突き抜けて、筋トレを仕事にしている人は本当にすごいと思う。

 中途半端な体の僕も、何とか就職先を見つけて、一社会人として東京にやってきた。この時は、一般人+微弱に盛り上がった胸筋、程度の体だったと思う。そして始まる社会人生活。これからどうなるのかという、不安と期待が入り混じった僕が現場に配属されて早三カ月、所属部署が取り扱うサービスが消滅した。僕は人生初の部署異動を体験することになった。今でこそ何とも思わないが、当時は相当ショッキングな出来事だった。部署が変わるということで、これまで営業だった僕は違う職種に就くことになった。そこで9月から十月までの一カ月間で再研修を受けたのだが、これがまた時間が余る。定時を過ぎても頑張る同僚を横目に、十八時になったら颯爽退勤をかます日々が続いた。さて、時間が余った僕が何を始めるか。これはもう一つしかない。僕は改めてジムの扉を叩いたのだった。
 大学生時代と違う点があるとすれば、今回のジムは有料だが錆びれてはいないということだ。僕は二四時間ジムの雄、エニタイムフィットネスに通い始めたのだった。実はオランダでも、お試しとして数回エニタイムに通ったことがあった。オランダのエニタイムには食べ放題のリンゴがあったが、日本にはなかった。僕はちょっとがっかりした。二四時間ジムなので先生は相も変わらずyoutuberと記憶の中のオランダマッチョ。具体的な目的もなく、黙々と一人で筋トレをする日々が続いた。大学生時代は貧困により食事がおろそかになっていたが、今回は食生活にも気を付けてみた。すると、筋トレビギナーとしては珍しくはないが、体にも変化が見られた。使える器具が増えたことと、種目を工夫するようになったのも影響していると思うが、とにかく学生時代よりも俄然デカくなったのだ。
 すると社内でも声をかけられるようになる。「がっちりしてるね」「昔から筋トレやってたの?」などなど。そこで僕は気がついた。これって一種のアイデンティティなんじゃね?と。僕は野外活動が得意なわけでも、駆ける馬を一生懸命応援できるわけでも、こだわりの逸品に夢中になれるわけでもないし、むろん音楽を創れるわけでも、愛に生きていけるわけでもない。空っぽな人間なのだ。夢中になれること、得意なことがない。それってちょっと虚しいじゃない?とは常々思っていたし、焦りも感じていた。そんな僕に降って沸いた行幸、筋肉キャラ。もうこれに乗っかるしかないと思った。何はなくとも筋肉はある、それが僕だ。だから僕が筋トレをする理由は、一言でまとめると自己を確立するためだ。
 もちろん、僕より体がデカい人なんて掃いて捨てるほどいるだろうし、僕の体もまだ、ジムに通う人間の平均的な体に過ぎない。それでも一年以上継続できているのは、筋トレが自分の性に合っているのだと思う。脳筋なんて言葉があるが、食事内容を考えたり、ダンベルの持ち方を微調整するなど、筋トレはただ体を動かせばいいというわけではない。しかし小難しいことはさておき、渾身の力を込めて目の前のバーベルを上げる、ケーブルを引き寄せるということは僕にとって楽しいことなのだ。それで体がデカくなるというのだから、儲けもんである。

 最初は成り行きで始めたに過ぎない筋トレが、よもや僕の中枢を成すことになるとは思わなかった。人生何が起こるかは全く分からない。分からないが、あれやっとけばよかった、などと後悔するのは最小限に留めたい。そんなわけで、僕は今後も筋トレを続けていくし、それ以外に少しでも興味を持ったことには、積極的に手を付けていくつもりだ。取り急ぎ、四.四帖のどこかで眠っているハーモニカを掘り起こすところから始めようと思う。

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