読書記録再読

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敗北の弁

だけども、静的な印象の写真が多いせいか脳がとろけて少し歳をとってしまいそうだ。

これも敗北の言い訳だな。書くべきことを見いだせずに、印象に逃げている。ようするに、写真を見る限りあんまり好みじゃなかったのだろう。(実際に体験してみて好きになるのはよくあるけれども。)

また負けた。

少し時間をとるのが難しくなるので、また、しばらくは気が向いた時に更新、くらいにしよう。

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『深い』というと、その奥に深い意味が隠されていると思いがちだがきっとそうではない。

『深い』というと、その奥に深い意味が隠されていると思いがちだがきっとそうではない。
意味などというものにはとうてい回収されない『深さ』でただ存在していること。
そういうものがあるということ。
そこにこそ美しさや豊かさが存在するということ。
そんなことを思い出させてくれる。
生きる意味とかなんとかいうものは一度忘れてしまえばいい。

ふむ。この引用だけで十分に思えるけれども、少し意味の使い方を変えて

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不安になるのにもそれなりに体力がいる

情報も大切だろうけど、ちょっとした安心感を得るためぐらいに考えてあんまり振り回されないようにしよう。

一人目はそれなりに情報に振り回された気もするけれど、二人目はあんまり気にしなくなった。三人目に至っては、気にする体力も残っていない。

欲望を持つのと同じように、不安になるのにもそれなりに体力がいるんだろうな。(表裏一体かな)

テレビばかり見て、よく分からない情報ですぐに買い占めに走るようなタ

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運悪く端から2番目に座った時には

そんな、単純であたりまえのことが大切。
でも当たり前のことで勝負するのが一番難しい。

私は建築家として、自分では寸法にいちばん責任をもっている。自分のプロとしての責任として、寸法を大事にしています。

そんな当たり前のことについて言葉にすることも、同じように難しい。

昨日のもそう、一昨日のもそうかもしれない。単純で当たり前のことって、多くの複雑な言葉を必要としない。

それが「詩」という言葉に

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これくらいにしておこう

『建築の意味や目的は、気持ちよさを味わうためにある』
自分が『いいなぁ』と思った『ありそうでなかった当たり前のこと』を当たり前にやる。
それだけでいいんだ。と背中を押してくれる。

引用というより、これが全文。

もう少し書けなかったか、と思うけれども書けなかったんだろう。

今日は用事があるので、こちらもこれくらいにしておこう。

たぶんそれも大事。

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「目の前に相手がいるのにツイッターとはけしからん」

先進国でプロと呼ばれ、知識も豊富と思われている人が必死に到達しようとしているもの、なかなか手にできないものを、ただの生活者が手にしている。

1984年に日本でも出版され一種の古典ともなっている『建築家なしの建築』という本がある。

そこには建築的な概念を与えられていない、にも関わらず魅力的な土着的建築が集められている。

なぜ、私たちは建築に概念を与えることなしに魅力的なものがつくれない(と思っ

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俺は舞の海だ。と自己暗示をかければ設計がうまくなる。という話ではなかった話。

そして、ドゥルーズやオートポイエーシスのように(といってもこれらを理解できているわけではない。単なるイメージ)絶えず流れていることが重要なのかもしれない。

相撲と無知 行為・知覚は絶えず無知に対して行われる。無知を餌にする。

このころから始まった自分の流れに対する流れは今も止まらない。そう感じている。

しかし、無知を餌にする相撲とはどんなものだろうか。他のは何となくイメージが頭に残っているけ

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ツイアビさんの言葉はツイアビさんのもの

ただ、ここで書かれているツイアビの言葉には、文明人の匂いも感じる。
文明人が何かを語りたいがためにツイアビに語らせているように感じる。
なんとなくフェァじゃない気もするが、それはいいや。

いいやよくない。

ツイアビの言葉はツイアビのものだ。

自分の言葉は自分の言葉だけど、ツイアビの言葉までも自分の言葉のもののように扱う、というのではジャイアンである。

(ついでに書くと、ジャイアンの「おまえ

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古くからの友人のようなものである。

彼に学ぶことの第一は、アフォーダンスの理論であることはもちろんだが、それだけではなく、目の前にある現実にどれだけ忠実になれるか、すなわち「理論」そのものからも自由になる方法である。

20年くらいの付き合いになるアフォーダンスとオートポイエーシス。

とっくに期限切れになっていてもおかしくないのに、いまなお関心を持ち続けられるのは、どちらも何かの知識や理論を、ただ現実に当てはめようとするものではな

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ステージで演奏するN君に励まされる

そういう感覚による部分が多いような要素、議論や説明のしにくい個人の領域に行ってしまいそうなものとは、なんとなく距離をおきたいと思っていた。
しかし、人間の意識の部分でコントロールできるものなんてのは僅かにしかなく、もっと感覚を研ぎ澄ませて、それを信じたほうがはるかに可能性が拡がるような気がしてきている。

今さらフラクタルそのものが目的になっては暑苦しいが、楽器のひとつとして扱えるようになるのもい

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