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みんなで補い合うような領域
都市・サービスのテリトリーという奪い合う領域じゃなくて、田舎・ツールの補い合うような領域を示す言葉はないだろうか。
なんかあるんじゃねーの、とAIに聞いてみた。
意味合い的には 3. Shared ecosystem が適してそうだけど、まー普通にあるよね。
音的には 1. Collaborative domain が良いし、なじみやすい。
2. Interconnected sphere
Uさん、どうなんでしょう。
どんどんいきます。
みんな大好き、ユクスキュル。
いや、ダニの話以外もしっかり面白かった。出版当初、多くの人の知的好奇心を惹きつけたであろうことは想像に難くない。
あっ、この本を読んだ目的の半分は、『暇と退屈の倫理学』での環世界の扱いに違和感があったので、それを確かめようとしてでして。
生命活動の根幹をなす環世界が、そんなお気軽に行ったり来たりできるもんなのだろうか。
環世界そのものは概
人生、壮大な暇つぶし。
ということで、あっちが本家だということをアピールすべく、せっせとリンク返しをすることにしよう。136本もコピペ記事になってもうたし。(エセ関西弁っぽいのはやけになってるから)
リズムとか本来性とか、建築となんの関係があるん?と思う人もいるだろう。自分も心の底では、こんなことばっか書いてていいんやろかと思う。むしろ、見た人に引かれて逆効果なんちゃうの。
それでも、まー、関係あるはずやと思って書い
『深い』というと、その奥に深い意味が隠されていると思いがちだがきっとそうではない。
『深い』というと、その奥に深い意味が隠されていると思いがちだがきっとそうではない。
意味などというものにはとうてい回収されない『深さ』でただ存在していること。
そういうものがあるということ。
そこにこそ美しさや豊かさが存在するということ。
そんなことを思い出させてくれる。
生きる意味とかなんとかいうものは一度忘れてしまえばいい。
ふむ。この引用だけで十分に思えるけれども、少し意味の使い方を変えて
不安になるのにもそれなりに体力がいる
情報も大切だろうけど、ちょっとした安心感を得るためぐらいに考えてあんまり振り回されないようにしよう。
一人目はそれなりに情報に振り回された気もするけれど、二人目はあんまり気にしなくなった。三人目に至っては、気にする体力も残っていない。
欲望を持つのと同じように、不安になるのにもそれなりに体力がいるんだろうな。(表裏一体かな)
テレビばかり見て、よく分からない情報ですぐに買い占めに走るようなタ
運悪く端から2番目に座った時には
そんな、単純であたりまえのことが大切。
でも当たり前のことで勝負するのが一番難しい。
私は建築家として、自分では寸法にいちばん責任をもっている。自分のプロとしての責任として、寸法を大事にしています。
そんな当たり前のことについて言葉にすることも、同じように難しい。
昨日のもそう、一昨日のもそうかもしれない。単純で当たり前のことって、多くの複雑な言葉を必要としない。
それが「詩」という言葉に
これくらいにしておこう
『建築の意味や目的は、気持ちよさを味わうためにある』
自分が『いいなぁ』と思った『ありそうでなかった当たり前のこと』を当たり前にやる。
それだけでいいんだ。と背中を押してくれる。
引用というより、これが全文。
もう少し書けなかったか、と思うけれども書けなかったんだろう。
今日は用事があるので、こちらもこれくらいにしておこう。
たぶんそれも大事。
「目の前に相手がいるのにツイッターとはけしからん」
先進国でプロと呼ばれ、知識も豊富と思われている人が必死に到達しようとしているもの、なかなか手にできないものを、ただの生活者が手にしている。
1984年に日本でも出版され一種の古典ともなっている『建築家なしの建築』という本がある。
そこには建築的な概念を与えられていない、にも関わらず魅力的な土着的建築が集められている。
なぜ、私たちは建築に概念を与えることなしに魅力的なものがつくれない(と思っ
俺は舞の海だ。と自己暗示をかければ設計がうまくなる。という話ではなかった話。
そして、ドゥルーズやオートポイエーシスのように(といってもこれらを理解できているわけではない。単なるイメージ)絶えず流れていることが重要なのかもしれない。
相撲と無知 行為・知覚は絶えず無知に対して行われる。無知を餌にする。
このころから始まった自分の流れに対する流れは今も止まらない。そう感じている。
しかし、無知を餌にする相撲とはどんなものだろうか。他のは何となくイメージが頭に残っているけ
ツイアビさんの言葉はツイアビさんのもの
ただ、ここで書かれているツイアビの言葉には、文明人の匂いも感じる。
文明人が何かを語りたいがためにツイアビに語らせているように感じる。
なんとなくフェァじゃない気もするが、それはいいや。
いいやよくない。
ツイアビの言葉はツイアビのものだ。
自分の言葉は自分の言葉だけど、ツイアビの言葉までも自分の言葉のもののように扱う、というのではジャイアンである。
(ついでに書くと、ジャイアンの「おまえ