本から何を学び、現実で何を思うのか

本を読む。これは、いつも。
本を読むことで、自分を自分から離す。現実と距離をとる。

「君たちはどう生きるか」という本をよく書店で見る。読んだけど、内容はけっこう忘れた。でも、当時の自分には刺さらなかった気がする。

読んだ内容は忘れたのに、どうして刺さらなかったのかはわかる。それは当時のぼくが、正解にありふれた世界を生きていたから。隣の人より前に行こうとして、誰かが勝手に決めた幸せの基準みたいなものを信じていたから。

そんな時代もちゃんとある。むしろそっからどう離れたのか、それは関わる人もそうだけど、ぼくはやっぱり本がけっこう関係していると思う。


夜は本当に一人淡々と本を読む。読む本のなかで引用されている本を見つけると、それを調べて頭の片隅に置いておく。それを今度本屋に行って、見つけて手に取ると、つい買ってしまう。

現代の日本人は活字離れを色々なところで聞くが、それもそうだけど、やっぱり文学と触れる機会が少ないのは寂しい気がする。

先人たちが何を考えているのか、それは社会という「表」で並べられているものだけではなく、その「裏」でどんな葛藤があったのか。そういった”深さ”みたいなものが本にはある。

ものごとはあらゆる方向から見ないといけない。あらゆる方向から見ると、見え方、感じ方、考え方が大きく変わってくる。それってすごく大切。それはもちろん何かを進めるときにもそうだし、自分や相手を救うときにだって大切になってきたりする。


どうにも自分は、社会に対して思うことはけっこうある。社会というと大袈裟だけど、日常や人との関わりで、考えることがけっこうある。

強さや正しさばかりを追い求めてしまうと、分断はやはり生まれる。排他的な空気は流れる。目的や、目標を決めないこと、抽象的なものにソワソワしてしまう人も多い。

余白や、空白を埋めようとばかりしてきた自分たちは、その存在を大切にしてみることが大切。効率性や正解を求めすぎてきたぼくらは、正解や目的がないものを許容することが大切。

そういったことをぼくは本を通して感じ取り、そして現実のなかにつくろうと日々を生きている気がする。


やっぱりうまくいっていない、人が集わない、関係性が固定しているところにはそれ相応の理由はちゃんとある。それはちゃんと認めないと。それをつくってきた自分たちを認めないと。

どこにでも行ける時代、国境すらなくなりつつある時代なんだから、悪いものに人が依存をする理由はない。隣と比べて「俺らがすごい」の前に、ちゃんと外に開いて、自分たちはどうかを考えることが大事。

ぼくは地元に帰ってきて、やっぱり「ここがいい」とは、心の底から言えないかな。

でもそれで諦めるのではなくて、そこから何かを変えるためにチャレンジはしたい。それが今回のコミュニティや、イベントだったりもする。

だから出会った人を大切に、ちゃんと一人ひとりと向き合って。まずはそこから、数じゃなくて、目の前の一人ひとりと。みんなでできること、考えられることを見つけながら、また前に進んでいきたいと思う。



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