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浅草にある橋のたもとのお寿司屋さん

幼少期の記憶は「前世の記憶か?」と思ってしまうほどに薄い。しかし小学生になる前、父と浅草にあるお寿司屋さんで食べたマグロの握りのことだけは覚えている。橋のたもとにある数段の階段を降りて、左にくるりと回ると引き戸に紺色の暖簾がかかっていたお店だった。

店内は白っぽい電気で、白い服を着たすし職人がいたと思う。すごく活気があるわけでもなんでもなく、和食屋やそば屋的な馴染みやすい雰囲気だった記憶がある。慣れないカウンター席に座らされ、グレーっぽいスーツを着た父がはにかむ。

「マグロください」「はいよ」みたいな会話をしたあとに、父が再度笑った。「ここのわさびは本当に辛くないから食べてみな」。私は辛いものをはじめ、酸っぱいものなどの刺激があるものが苦手だった。炭酸飲料もダメで、4歳上の兄によくバカにされていた。当時寿司屋といえば近所の回転寿司で、マヨネーズと絡んだコーン軍艦ばかり食べていた。

寿司が運ばれてくる。赤く輝いているマグロが目に入った。私は当時、箸を使って寿司を食べることができなかったので、手づかみでマグロを食べた。マグロの甘味とふんわり香る草のような味がとてもおいしかった。「辛くない!」マグロの握りを口に突っ込んだまま驚く私を父が笑った。

その後も狂ったようにマグロばかりを食べた記憶がある。マグロの輝きにずっと魅了され続けていた。私はお腹いっぱいになると食事のことを忘れてしまうような子供だったが、満腹でもあの美味しさを思い出せるほど鮮明な記憶となった。


浅草駅は母方の祖母の家にいくためによく利用していた駅だ。変なところだけ度胸があった私は、一人で電車や特急を乗り継いで祖母の家にいくことがあった。そして、さすがに心配した父か母が迎えにくるというパターンが小学校に入る少し前、そして小学生のころにあった。この寿司屋にいったのは、父が私を迎えにきた時だったのだろう。

父は、平日の帰りがとにかく遅く、家についたらすぐにスーツを脱いで、風呂に入って寝てしまうような人だった。そんな父が外でスーツを着ている時に一緒にご飯を食べているのも不思議だった。

そして私は、自分の性的指向の影響だと思うが、小学生の中学年くらいからなんとなく男の象徴である父と自分が違うことに戸惑い、父と関わることを避けていた。中学、高校のころも最悪で、部活を見にくるなと言ってしまったこともある。本当に最悪だ。

そして大学、社会人になってもどこか薄い膜を張って接してしまうことが多い。その癖がなおらず、目を合わせるのもなんだか億劫なのだ。

しかし、そんな父が最近、食がめっきり細くなった。精神的な不調も重なり酒に流れてしまっているのが明らかにわかる。どうしようかと考えあぐねていたおりに、前世の記憶のような寿司屋がぽっと浮かんできた。


そして今、寿司屋に行こうと誘おうか迷っている。でもこのエッセイを書く中で誘わないと後悔しそうだと気づいてきた。そもそも寿司屋がまだあるかもわからないけど。

寿司屋に行けたら話そうと思う。ここでお寿司を食べたことで、わさびが食べられるようになったと思い、兄と一緒にわさびチューブを舐めたら辛すぎて泣いてしまったことを。父がくれた成長は、父の前でしか見えない奇跡だったんだって笑おう。


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