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自信が持てなかったとしても

「もっと自信を持ちなよ」
と誰かに言われた経験があれば、逆に僕から誰かに対して言った経験もある。
側から見ると、周りから信頼されていたり、結果を出していたりするのに、なぜか自信なさそうにしている本人を見兼ねて、そんな言葉を掛けた経験がある人はそこそこいるんじゃないかと思う。
そういう人を見るたびに、僕自身は「もっと堂々としていれば良いのに」っていつも思う。

ただ、逆に自分が言われた時のことを思い返すと、「いやそうなんですけどね」と内心では思いつつ自分を信用し切れない、あの感覚だよなってわかる。
何とか納得して「明日から自信を持とう」と思ったとしても、そもそもどうやって自信を持ったら良いのかが分からなくて戸惑う感覚。
結局そうこうするうちに、「明日から自信を持とう」の気持ち自体、どっかに行ってしまう。

ちなみに僕は、向き合う相手や内容によって、自信を持てたり、持てなかったりする。
ある分野では割と饒舌に話すけれど、ある人を前にすると全く話せなくなる。

だから、いつでもどんな時でも誰とでも、自信満々に話す人を見ると、素直に「すげえなあ」って思う。
「根拠はないけど自信があるんです」とか言い放つ人に関しては、本当に同じ人間かよって思う。

毎日社会人として働いていて思うのは、そういう自信を持っている人たちって引き寄せる力があるし、僕も引き寄せられる。

だからこそ、自分もその境地に達することはできないとしても、少しはブレずに生きる力が付くと良いなあ。
今年はそういう自分になれると良いなあと思い始めていた年始の新聞に、こんな記事が出ていた。
昔、欅坂のキャプテンだった俳優のインタビューだ。

顔色が曇っているのを見かねた振付師のTAKAHIROさんに「菅井、どうした?」と声をかけられた。「自信が持てないんです」と打ち明けると、こんな言葉が返ってきた。
「自信は、人前で話すときみたいに必要なときだけ、持っているように演じればよくて、そんなに無理をして持たなくてもいい。それよりも、自分が目標に向かって努力していることに対する誇りをしっかりと持っていればいいんだよ」

ああ、そうだよなあと腑に落ちた。
思ってみれば、僕が自信を持って振る舞える時は、自分の積み上げてきたことを、努力してきたことを認めることができている時だ。
他人から「もっと自信を持ちなよ」と言われる時は、完璧主義な自分を捨て切れずに、変にハードルを上げてしまっている時だ。

謙虚さは必要だし、もっと良くしようという向上心も大事だ。
だけど完璧を目指しすぎて、自分のやってきたことさえ認めきれずに、自信なさげにしていると、自信以外にも失くしてしまうものがある気がする。
それに、目標に向かって努力した自分をちゃんと認めることができるのは、頑張った自分以外にいない。

もう10年以上前のことになるけれど大学受験や高校受験の時も、就職活動をしていた時も、完璧な状態になったことなどなかった。
それでも自分は「ここまでやった」、そんな気持ちで切り抜けたことも思い出した。

まずは、「ここまでやった」を認めることから。
発展途上でまだ足りなくても、「ここまでやった」分、努力する自分に期待しよう。

自信が持てなかったとしても、今年はそんな風に歩いていこう。

サイレントマジョリティー / 欅坂46

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@futoshi_oli
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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