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どんな時でも俺たちがそばにいる

2002年、日本と韓国で開催されたサッカーワールドカップ。
注目が集まった日本代表のメンバー発表で、背番号10番として名前が呼ばれたのは、サプライズ選出の中山雅史だった。

有力候補だった中村俊輔は、落選した。

原宿の大きな看板は10番の俊輔なのに。
「W杯開幕迫る!」と謳われたテレビやサッカー雑誌では、俊輔はメンバーに入る前提だったのに。
当時小学5年生の僕は、俯きながら記者会見をする俊輔の姿を、テレビ越しに呆然と見つめていた。

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初めて日本がワールドカップに出場した1998年のフランス大会をきっかけに、僕はサッカーに夢中になった。
Jリーグでは、当時近場で一番強くて代表選手が多かった横浜マリノス(今の横浜F・マリノス)を家族で応援するようになり、横浜国際(日産スタジアム)に足を運ぶようになった。
通ううちに好きになったのは、二十歳前後にもかかわらず、チームの中心だった中村俊輔だ。

10番のユニホームを親に買ってもらい、練習場にサインをもらいにいった。
自分がサッカーをやる時は腰をひねったフリーキックの蹴り方を真似したし、練習や試合でユニホームの背番号を選ぶときは10番を手に入れるために必死になった(おそらく今の20〜30代は同じようなことをした人が多い気がする)。

僕は中村俊輔が好きだという気持ちを一切隠さず、恥ずかしいなどとは到底思わず、全力で表現していた。
周りの人にも、自分の好きを押し付けていた。

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だからこそ、俊輔がワールドカップを落選してからの日々は、未だに鮮明に思い出せる。
所属していたサッカークラブで、学校で、声を大にして俊輔が好きだと主張していた僕は、言いたい放題に言われた。
「お前が好きな俊輔って、だめなんじゃん」
「俊輔は、止めて蹴るのは上手いけど、それだけだからダメなんだよ」
「中山の方が明るくてチームプレイができるかららしいよ、俊輔は暗いから入れなかったって」
「トルシエが髪の毛ばっか弄ってたから落としたって言ってたぞ」

顔を真っ赤にしながら言い返した。俊輔はすごいと、虚勢を張った。
だけど、サッカーの練習を終えて自転車を漕ぐ帰り道、よく半べそをかいた。

僕はその時、好きなものを好きと表現するのは良くないんだなと、悟った。
人間は、大小はあっても少なからず意地悪な気持ちを抱えていて、人の好きに欠点を探そうとする。
上手くいかない人を見て、楽しい気持ちになる人もたくさんいる。
それから、僕は好きという気持ち、自分の気持ちをあまり表に出さなくなった。
傷つきたくなかった。

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8年経ち、日本にとって4回目の出場となった南アフリカワールドカップ。
僕は大学生になっていた。

大会直前。
中村俊輔はメンバー入りしたものの、調子を落としてレギュラーから外れた。
メディアでも、2ちゃんねるでも、Twitterでも、何を見てもひどくバッシングされていた。
それを見るたびに言い返したい気持ちで覆われたけど、その頃の僕は無関心を装ってやり過ごすことに慣れきっていた。
言い返したところで、その分傷つく。
だから、この気持ちには蓋をしよう。

グループステージの第二節、オランダとの試合。
大学生らしく友だちの家に集まって宅飲みをしながら観戦していた。

後半、ピッチサイドに交代選手として俊輔が立つ。
何百回と試合を見てきて、見慣れた大好きな10番の姿に、自然と気持ちが高揚する。
やってやれ。

同時に、大学に入って新しくできた友だちの声が聞こえる。
「俊輔はあり得ないだろ」
「どうせ脚痛いとかいうんだろ?使うなよ」
少しだけ僕は笑って、そうだよね、と適当に相槌を打った。
ふざけるな、舐めんな、と内心思いながら。

結局、俊輔は活躍できなかった。
そのことを寂しく思いつつ、本当の気持ちを少しも言えない、好きなものを否定する言葉に負けてしまう自分が情けなかった。
自分は、これからも我慢して生きていくんだろうか。

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俊輔が代表引退をして数年経った、2013年。
風向きは変わるものだ。
マリノスはJリーグで優勝争いをして、その中心には俊輔がいた。
全盛期を超える切れ味でチームを引っ張る俊輔は、最終的に年間最優秀選手になった。

3年前誹謗中傷のオンパレードだったネットの掲示板には「さすが俊さん」という言葉が並び、ワールドカップのときに俊輔を馬鹿にしていた友人は「なんだかんだ俊輔だよなー」と言うようになっていた。
俊輔が周囲の掌を返させたパフォーマンスを見せたことを、僕はとても嬉しく思った。

だけど、それ以上に思った。
僕は、こんな奴らのために、自分の好きという気持ちを封じ込めて我慢していたのか。
心の底から大好きなのに、主張もできずに、言われっ放しで守ることもできずに。

思い返すと、俊輔は今までのワールドカップで一度も活躍できなかった。
その度に酷くバッシングされた。
だけど、何回でも這い上がって、周りを認めさせてきた。
人間良い時もあれば悪い時もある。
それを指差して、笑う人や、便乗して持ち上げる人はたくさんいる。

そうやって、自分が傷つかない位置から頑張っている人を評価して、指差して、言いたい放題言う人生なんて嫌だ。
大好きなもの、大切なものがあるのなら、それをどんな時でも応援して、守れる人になりたい。
もう自分の気持ちに蓋をするのはやめよう。
好きなものは好きと言おう。

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2017年4月、20年通い続けた日産スタジアムに、中村俊輔は対戦相手として登場した。大切なものを守ろうと決めた僕は、俊輔がボールを持つ度に思い切りブーイングをした。
自分の気持ちに素直になると決めた僕は、もう我慢しなくなっていた。

中村俊輔のことは好きだけれど、それ以上に、マリノスが好きだ。
相手の中心プレイヤーにブーイングするのは当然だ。
それに、マリノスのことを悪く言われるのは我慢できない。
優勝するために必要な選択をして、それが誰かにとっては希望しない方向だとしても、前に進もうとする、そんなマリノスの味方で僕はいたい。

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人の数だけ、いろんな考え方がある。
日本代表だけが好きでも良い。
ナショナルチームよりクラブチーム。
Jリーグよりヨーロッパ。
クラブより選手個人。
なんでも良い。

僕はサッカーと向き合う上で、好きなものと向き合う上で、一番大事なのは自分の気持ちに素直でいることだと思う。
好きなものは好きと、我慢せずに言える。
それは当たり前なことであり、とても幸せなことだ。

それが言いづらい、表現しづらい世の中になっているようにも感じる。
気をぬくと、横槍がすぐに入る。

だけど、僕はそんなものには負けないでいたい。
自分が好きなものは全力で守るし、人の好きは、否定しない。

それが、20年以上、日本代表やマリノスで、中村俊輔を追いかけてきた僕の生き方だ。


I've Never Been To Me / Charlene

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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