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雑考・メモ・日記

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#日常の言葉で哲学する

哲学・日記・メモ「老人とこども」

哲学・日記・メモ「老人とこども」

「老人」と「こども」

「老人」は高齢者ではない。
「老人」は必ずどこかに障害を抱えている、という意味では障害者であるが、障害を必然として受け入れる事によって障害者ではない。
また「老人」は生の中のみに生きるのではなく、死と共に、そこに近しく在るという意味で「こども」である。
そして「老人」は、独りであると同時に、これまで出逢った総ての人々として多である(※)。
つまり「老人」は人であり人間てあり

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哲学・日記・メモ「かえらなかった時計屋さん」

哲学・日記・メモ「かえらなかった時計屋さん」

「かえらなかった時計屋さん」

https://www.youtube.com/watch?v=lPTsudui3kI

「みんなの歌」1978年の楽曲です。私が子供の頃に聴いた「みんなの歌」で強く記憶に強く残っている曲です。

今にして振り返ってみれば、この歌詞は東西冷戦を暗示していたのだとも思えます。終盤の「大きなロボット」と「おじいさん」の決闘は、おじいさんがロボットを抱えて飛んで行って「二

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哲学・日記・メモ「こどもの哲学とろうじんの哲学」

哲学・日記・メモ「こどもの哲学とろうじんの哲学」

こどもの哲学とろうじんの哲学

「こども」は世界と出逢い、世界に驚き世界に問いかけ、「世界への問いかけ」を介して世界とあそぶ。
「ろうじん」もまた同じくあそぶ。
しかし「ろうじん」はもう一歩先まで足を延ばして「世界への問いかけ」自体を問う事で、単なる「こども」の問いには収まらない。
だから「問う事」を哲学の本質とするならば、だから「こどもの哲学」は「ろうじんの哲学」に敵わない。
世界と出逢い、その

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哲学・日記・メモ 「リアリズム絵画を描くという事・見るという事」

哲学・日記・メモ 「リアリズム絵画を描くという事・見るという事」

リアリズム絵画を描くという事・見るという事

●写真の様な「リンゴの絵」がある。そういう写実的な絵画制作を志向する画家の群もいるし、そういう絵画の鑑賞を愛好するコレクターも多い。では写実志向の画家と鑑賞者は、写実絵画に何を求めているのだろうか?
●リンゴがある。画家はリンゴをそっくりそのまま描きたいと思い筆をとる。そしてそっくりそのままを写し取る。しかしそれは何か違うと思う。表面的に写し取っただけ

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詩・散文「夢さえ見ずに眠りたい」

詩・散文「夢さえ見ずに眠りたい」

夢さえ見ずに眠りたい

あそびはやがてあきるが、あきる事にもあきた時、私はもうどうでもよくなるのだろう。

「あそびたい」はまだ「あそびたい」という欲求を目的としているが、この目的を契機として「あそび」に没入している時、「あそび」にはもう目的はなくなっているのだろう。
しかし目的なき「あそび」は永続する事は無くやがて「あきる」。
そして「あきる」とは「もうこのあそびを止めにしよう」という目的の残照

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哲学・日記・メモ「考えるという事=問うという事」について

哲学・日記・メモ「考えるという事=問うという事」について

「考えるという事=問うという事」について

「考える」とは「問う」事なんじゃないかな。思い出す才能とか、思い出したものを会話の中に上手にレイアウトする才能は、すでに考えられた蓄積あってのことだからそれに依存している。そういう「蓄積物を取り出し活用する応用性」と「蓄積物を蓄積する更新性」は全く異なる。そして「蓄積物を蓄積する更新性」こそが「考える事」であり「問う事」なのだろう。しかし双方を曖昧に一括

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