渡辺憲司(立教大学名誉教授)

1944年函館生まれ、立教大学名誉教授。2021年3月、50年以上続けた中・高・大の教…

渡辺憲司(立教大学名誉教授)

1944年函館生まれ、立教大学名誉教授。2021年3月、50年以上続けた中・高・大の教員生活を終え、夕陽にあくがれ、ヨロヨロヘタヘタ漫歩道中、江戸時代の文化史、遊女史、歴史紀行、エッセイ、時折、宗教、政治、教育とコンニャク問答。お口汚しの摘まみ草。ゾクゾク「時に海を見よ」開口。

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再開あいさつ

はじめに あと二年あまりで八十路、夕闇迫る残り少ない人生、自由学園最高学部長ブログを引き継いで、一瞬でゾクゾクしたことを書き残しておきたいと思ってブログを再開することにしました。ゾクゾクならぬ、「続続<時に海をみよ>」と題してみました。自由学園最高学部長ブログは、現在、まだ前自由学園最高学部長ブログとして、自由学園のホームページに掲載されていますが、あまり長く居座るのもご迷惑をおかけするばかりですから、(ご厚意に甘えて今しばらく置いてもらうことになっています)。その中から抜

    • 2022年クリスマスメッセージ

       祝イエス降誕。  私たちが学び大切にしてきた戦争放棄と云う言葉は何処に行ったのでしょう。論議の根本に置くべきは憲法九条です。なし崩しが続いています。駆け足であることは危機の助長です。議論の根本に憲法九条を置くことは当然です。拡大解釈ならば、国民の是非を問うことは必須です。拙速が続いて悲劇を招くことは明らかです。  最近、国家と云う言葉に私は、何とも言いようのない距離感を覚えます。嫌悪的感情と云っていいかもしれません。本来、信頼おくべき国家体制そのものが、崩れていくような気が

      • 江戸散策 第五回 深川「切穴」(続続<時に海を見よ>)

         この絵は、初代歌川豊国の「絵本時世粧」(えほんいまようすがた)(享和二年刊・1802::掲出は、『近世日本風俗絵本集成』の複製本)で深川の遊女屋の様相を記したもの。永代寺門前の横町中裏あたりの子供屋であろう。洒落本『部屋三味線』あたりの描写とも重なるもの。左側三人の遊女、左側から「口のかゝったこども」「京下りのしんこ」「さしの有無をうかゞふ」と短冊に説明がある。枕紙を持つのは深川や内藤新宿で遊女のことをさす子供。お呼びがかかったのである。真ん中は京からの新人であろう。塗りの

        • メッセージ 第7回 「生の証明」(前自由学園最高学部長ブログ)

          「生きる」とは、決断の毎日を云うのか。日々私たちは、決断を求められている。その決断が「生きる」ということなのか。もしもそうだとしたら、人は何時もその決断が正しかったかどうか、白か黒か、はっきりさせるのが生きることの積み重ねであるということになる。 「生きる」とは、そんなにはっきりしたことなのか。私は、「生きる」ということは、右へ行くか、左へ行くか。その決断を求めているものではないような気がする。「生きる」ために、Aか、Bか、選択のための黒塗りの鉛筆はいらない。行く手にあるのは

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          メッセージ 第6回 エッセイ「女医荻野吟子―理想と失意」(前自由学園最高学部長ブログ)

          ※写真は雑司ヶ谷墓地 荻野吟子 生家俵瀬村  荻野吟子の故郷を訪ねた。俵瀬村は2005年の町村合併で熊谷市に編入されたが、もとは妻沼町である。ここは妻沼文化圏と云った地域だ。  大宮から高崎線で熊谷に出て、そこからバスというのがオーソドックスであろうが、急ぐ旅でもない。荒川を越え、関東平野の奥深い広さを実感しながら行きたいと思った。池袋から東上線で東松山、東松山からバスで熊谷に出た。  熊谷からさらにバスで25分ほど、福川を渡ると、利根川べりの葛和田の渡しに出る。今もこの

          メッセージ 第6回 エッセイ「女医荻野吟子―理想と失意」(前自由学園最高学部長ブログ)

          メッセージ 第5回 「北の志―坂本龍馬を中心に」旭川にて(前自由学園最高学部長ブログ)

           2016年1月旭川の青年大学で講演した記録ですから、旧聞に過ぎるものですが、再掲することにしました。今、その時の思いが消えていくような気がしてならないからです。  私がいま痛切に感じるのは、この国から理想が失われているのではないかということです。理想について真剣に、互いに問うべきなのではないか。今夜は、理想の風土が北の大地や旭川に歴史として内在していたのではないかということをお話します。  当地の常磐公園には小熊秀雄(おぐまひでお)の石碑があり、次の詩が刻まれています。  

          メッセージ 第5回 「北の志―坂本龍馬を中心に」旭川にて(前自由学園最高学部長ブログ)

          江戸散策 第四回 神田ぶらぶら(続続<時に海を見よ>)

           JR総武線浅草橋駅で降りて、神田川の土手を秋葉原方面に向かって歩く。  この土手にそった町は、江戸時代の初めには、武家地が広がり、中期になると、町人の町へと変わっていった。  「柳原の土手」辺り、古着を扱う露店が並んでにぎわった。古着の店が閉まり、露台が片づけられると、夜には袖を引く夜鷹の巣となった。黙阿弥「三人吉三廓初買」のセリフに「金を受け取り帰る道 柳原で袖引かれ、思わず遊んだ夜鷹小屋」などとある。  古着屋・夜鷹小屋の並ぶ少し前である。  明暦三年正月の火事は、江戸

          江戸散策 第四回 神田ぶらぶら(続続<時に海を見よ>)

          メッセージ 第4回  コロナ禍「今こそ人権教育を」―老教員の日録から―(前自由学園最高学部長ブログ)

           以下の文章は、2020年『東京人』8月号の特集<緊急宣言下のまち>特集に、小生の日録の一部を引きながらその時思ったことを述べたものである。  掲載紙面では、本文の前に2020年4月中に起きたコロナ差別に伴う事例が記載されている。略してそれを記しておく。 <4月9日長距離トラック運転手の家族に愛媛県新居浜市の小学校校長が登校しないように指示を出した。4月10日京都産業大でクラスターが発生、感染していない家族・学生への誹謗・差別。4月22日三重県内でコロナ感染の家に投石。4月2

          メッセージ 第4回  コロナ禍「今こそ人権教育を」―老教員の日録から―(前自由学園最高学部長ブログ)

          江戸散策 第三回「種徳寺」(続続<時に海を見よ>)

           赤坂五丁目の交番で種徳寺の場所を聞いたら、交番の前に案内板があるからそれを見てほしいと素っ気ない。案内板に種徳寺の名前が見えないのだ。  三分坂を右手に細い小路を少し登ると左側に広い境内が見えてくる。今はだいぶ縮小されたが、江戸時代の種徳寺の広さは、この周辺では随一の規模を誇った由緒ある寺だ。 『江戸名所図会』には、報土寺に並ぶように種徳寺の総門があり、前には、武士や町人が歩く。正面が本堂、右手が庫裡、左手に塔頭、石塔があり、医王水と記された井戸が描かれている。 『図会』の

          江戸散策 第三回「種徳寺」(続続<時に海を見よ>)

          メッセージ 第3回  対馬紀行「懐ふかき国境の島へ」(前自由学園最高学部長ブログ)

          はじめに  2022年『明日の友』夏号(8月発売 婦人之友社)に「懐ふかき国境の島へ」と題し対馬紀行を書いた。最初は梅光女学院短大時代、学校紹介業務に5,6年通った。偶然出会った画家の津江篤郎先生から、文書の整理がほぼ終わったが、江戸時代の雑書?がまだ残っている、整理をしてみないかと話があった。故人の市古夏生さんや木越治さんらに声をかけ、宗家の文書蔵の庭で書誌をとった。その後立教に移ってからも、公民館の和書を、院生と一緒に整理をした。  先生が熱弁していた吉田弦二郎にも触れ

          メッセージ 第3回  対馬紀行「懐ふかき国境の島へ」(前自由学園最高学部長ブログ)

          江戸散策 第二回「赤坂花むら―江戸前天ぷら」(続続<時に海をみよ>)

           幼かった頃、故郷の函館では、朝の4時頃、「イガァ―イガァー」とリヤカーでとれたてのイカ売りが来た。 「いいイカだね。今晩は天ぷらにしよう」と祖母。  祖母は、昼頃から、イカの皮をむきはじめ、とっておきの高級なごま油で天ぷらを揚げた。たしかにうまいが、イカの一番おいしい食べ方は刺身ではないのか。ずっとそう思っていた。函館の名物は今もイカソーメンである。  その疑問が、赤坂の御座敷天ぷら「花むら」の創業者川部米夫が書き残した『天ぷら 材料と揚げ方のこつ』(昭和36年 婦人画報社

          江戸散策 第二回「赤坂花むら―江戸前天ぷら」(続続<時に海をみよ>)

          メッセージ 第2回「今、主の祈りを」(前自由学園最高学部長ブログ)

           教会に行くのも気の向いた時です。確固たるキリスト教信仰があるわけではありません。お地蔵様の前を通れば手を合わせ、氏神様には初詣に行きます。お盆には父や母のことを思います。原稿の依頼が来た時、これは場違いだ、不謹慎かもしれない。書くべきかどうか迷いました。しかし、今の気持ちを自分なりに記しておくことは大切なことのようにも思いました。  今年の夏は、例年以上に、学生時代から続く、キリスト教信仰への思いを強く感じます。以下は、その不安な思いを『信徒の友』8月号(日本キリスト教団出

          メッセージ 第2回「今、主の祈りを」(前自由学園最高学部長ブログ)

          メッセージ 第1回「自由をめざして」(前自由学園最高学部長ブログ)

          以下の文章は、自由学園最高学部長として、2021年3月の卒業式で述べたものです。ロシアのウクライナへの侵攻が起きるとは夢にも思わなかった時です。 平和とは如何なることか、戦争はいかにして回避できるのか。今、リアルにその問題が私に突き付けられているように思います。そんな思いもあって、このメッセージを再録しました。         *** 今日は、コロナ感染症予防対策のため声を出して校歌を歌うことが出来ません。このような時こそ、私は皆さんとこの校歌を歌う誇りを共有したいと思います

          メッセージ 第1回「自由をめざして」(前自由学園最高学部長ブログ)

          江戸散策 第一回「深川軽子女」(続続<時に海をみよ>)

          江戸の遊里番付。吉原遊郭を横綱とすると、東の大関は品川、西の大関は深川です。吉原は公認の遊里、品川は、宿場として飯盛女を置くことが認められていましたから、半公認と云うべきでしょう。近代の表現で云えば、吉原は赤線、品川は青線です。これに対して深川は、非公認の遊里、白線などとは云いませんが、白人(素人)を主としていると考えると白線と云ってもいいかもしれません。 さて、その深川で吉原、品川にはない特徴的な<渡世>があります。一つは、船頭です。船頭については、今年の7月号の雑誌『東京

          江戸散策 第一回「深川軽子女」(続続<時に海をみよ>)