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メッセージ 第7回 「生の証明」(前自由学園最高学部長ブログ)

「生きる」とは、決断の毎日を云うのか。日々私たちは、決断を求められている。その決断が「生きる」ということなのか。もしもそうだとしたら、人は何時もその決断が正しかったかどうか、白か黒か、はっきりさせるのが生きることの積み重ねであるということになる。
「生きる」とは、そんなにはっきりしたことなのか。私は、「生きる」ということは、右へ行くか、左へ行くか。その決断を求めているものではないような気がする。「生きる」ために、Aか、Bか、選択のための黒塗りの鉛筆はいらない。行く手にあるのは、マークシートの解答用紙ではないのだ。
 消しては、引き、消しては引いた補助線。大事にすべきは補助線で真っ黒になった消しゴムだ。消しゴムですり減った解答用紙だ。
 大正三年十一月二十五日の学習院での講演に手を入れ書き直した作品『私の個人主義』の中で、夏目漱石は大学卒業時の心境を次のように述べている。
「私はこの世に生まれた以上なにかしなければならん、といってなにをして好いか少しも見当が付かない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独な人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射してこないかしらんという希望よりも、こちらから探照燈を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼぅとしているのです。あたかも嚢の中に詰められて出ることの出来ない人のような気持ちがするのです。」と述べ、「私はこうして不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、又同様の不安を胸の底に畳んでついに外国まで渡ったのであります。」と記している。
 そして、漱石は言う。
「私の経験したような煩悶が貴方がたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。
 ああここにおれの進むべき道があった!
 ようやく掘りあてた!
 こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事か出来るのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡(もた)げてくるのではありませんか。」
 漱石は、イギリス、ロンドンで、又、伊豆、修善寺の大病の中で、煩悶を繰り返す。権力に、そして日本の近代化そのものに、煩悶を繰り返したのである。漱石にとってその煩悶こそが、力であった。そして漱石は、自分にとって何が最も必要で大切なものかを探し当てようとしたのである。漱石のように、私はまだ掘り当てることが出来ないでいる。多分一生掘り当てることは出まい。
 しかし、煩悶こそ、「生きる」ということなのだ。煩悶を見つめることなしに、明日への一歩は始まらないのだ。煩悶は明日への力だ。煩悶とは、あきらめとは違ったベクトルである。苦悩の中で悩める自分への応援である。苦悩の中にこそ、希望への瞬きを、忍耐強く持ち続けることが出来るのだ。
 若いという字は、驚くほど苦しいという字に似ている。苦しむことは、誰にでも、どの年代にもある。苦悩や不安は、年と共に増すものである。
 苦しみは、もう一歩で、もうすこしその一画を横にそらすことで、若さ即ち再生の可能性を、秘めているのだ。直線の一画から、横へそれる一画だ。<苦>から<若>へのしなやかさを私は見たい。
 若いという字は、象形文字の解釈に従えば、右手をあげて神託を待つ動作だと言う。宣誓式の動作で右手をあげることと関連があるのかもしれない。
 右手を左の胸に当て、すべての悩み、苦しみの鼓動を自己のものとし、心の鼓動を聞き、生きている血の流れを確実に察知して、いつの日か神託を待ち右手を挙げて、新たなる次のステップに向かうのだ。
『方丈記』は「行く河の流れは絶えずして、もとの水にあらず。……」と書き出し、彼が若い日(二十代)に出会った、地震・津波・火事・旋風などの災害を真正面から取り上げ、そして最後の章では草庵で自己を見つめる自分に問う。「山の中に庵を結び、俗世間を捨てて修行生活に入って仏道を実践しようとした。お前は見かけは清らかであったが煩悩を断ち切れないでいるのはどうしてだ」と。「自ら悩ますか、はたまた、妄信のいたりて、狂せるか。」と煩悶する。そして「心さらに答ふることなし。」と言う。答えは出ないのだ。
 日本の歴史における、最高の知恵者であり哲人である空海は、彼の教えをもっとも直截に語った書物であると云われる『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)で、「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し」と記している。誰もこれを的確に訳し得るものはいない。いかなる学者も高僧も、すべての人に繰り返しやって来る<生><死>の答えを断定することは出来ない。生きることに答えはないのだ。
 孔子は、『論語』の中で弟子たちに、「死とは何かと問われます」、孔子はその問いに直接答えない。そして「私は生きるということが如何なることか未だ知らない。まして死が如何なることかなど……。」と答える。
 煩悶に形はない。偶然との出会い、無常観、心の均衡、出会いそれらは煩悶の諸相である。共通しているのは回答がないということだ。だからこそ回答のないページから生まれるものがあるのだ。

付記:2015年、旺文社で刊行された『読んでおきたいとっておきの名作25』で書いた若者へのエッセイを思い出した。それを自分に向けたいと思った。老骨の今の思いです。もう少し煩悶を続けたいと思う。写真は、2012年3月11日の福島県久之浜です。

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