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メッセージ 第4回  コロナ禍「今こそ人権教育を」―老教員の日録から―(前自由学園最高学部長ブログ)

 以下の文章は、2020年『東京人』8月号の特集<緊急宣言下のまち>特集に、小生の日録の一部を引きながらその時思ったことを述べたものである。
 掲載紙面では、本文の前に2020年4月中に起きたコロナ差別に伴う事例が記載されている。略してそれを記しておく。
<4月9日長距離トラック運転手の家族に愛媛県新居浜市の小学校校長が登校しないように指示を出した。4月10日京都産業大でクラスターが発生、感染していない家族・学生への誹謗・差別。4月22日三重県内でコロナ感染の家に投石。4月23日アジア人滞在者に差別的発言が続く4月25日夜勤の医療従事者がタクシー乗車を拒否される>
 あれから、2年余りこのような事件が起きていないことを祈るが、水面下でコロナ差別が、根深く存在するのではないかと危惧する。
 今年2022年8月、小生の関係していた学校の教職員研修会で「キリスト教主義の学校と人権」と云う題で講演を依頼された。講演内容はいずれ書き記しておきたいと考えているが、今回は講演の資料としてノートすることにした。
 尚、『東京人』掲載当時と状況は異なったが本旨に異なりはないので原則的にはそのままノートしたが、掲載字数などで削除した部分は提出原稿のままとした。

人間の尊厳が試されるとき

 2月27日 全国の学校に休校要請。安倍首相は、3月2日から、すべての小学校・中学校・高校と特別支援学校について春休みに入るまで臨時休校とする要請を出す。
 2月29日、自由学園最高学部(大学部)ブログで、26日の女子部での話をまとめて発表。以下その一部。
「本日、29日の毎日新聞デジタル版(ベルリン特派員の記事)によれば、ヨーロッパではすでにコロナウイルスに関するアジアの人々への偏見が広まっていることが伝えられています。このようなことは断じて許されるものではありません。差別・偏見には勇気を持って戦わなければなりません。私たちは、誤った負の感染症の歴史を繰り返してはならないのです。そして、今、我々の身近で起きうる危険があることも認識しなければなりません。私達のすぐそばには、自らのプライドを真っ逆さまに突き落とす奈落の断崖があるのです。自らが又隣人が差別者になる危険があることを認識しなければなりません。不安と危険の渦中にあるからこそ、私達は、人間の誇りとヒューマニズムの勝利を誇らかに歌わねばならないのです。私達の精神は、危機と不安の中に立たされ揺らいでいるかもしれません。しかし、そのような時であるからこそ、人間の評価が試されているのです。危機的状況は人間の尊厳が試される時でもあります。毅然たる態度で、究極のやさしさをもって人々に接しましょう。」
 ブログの反響大きく、アメリカの友人が英文に翻訳。ニューヨーク在住の教え子からメイルで、ニューヨークで、アジア人殊に中国人への差別的発言が横行していると伝えてきた。
 3月14日、席の間隔をあけ、在校生などの参加は認めず規模を縮小し、卒業生とその保護者、教職員のみで卒業式行う。
 3月20日、新型コロナウィルス感染症対策本部会合で小中高など一斉休校要請の延長見送りが確認された。
 4月1日、8日の入学式、始業式及び15日の授業開始の延期を指示。再開を5月11日と告示。
 この頃、こんなエッセイを書いた(婦人之友社刊『明日の友』夏号所収の一部)。
「3月中旬から、テレビの前から離れられなくなった。連続テレビ小説の結末も見忘れた。ほとんど同じ内容なのだが、テレビのコメンティターの話に引きずられる。情報が錯綜、回転して、不安の渦の巻に引き込まれそうだ。」
 どんなに気を付けていても、このコロナウイルスには罹ってしまうのだ。そう思って覚悟を決めてはいるが不安だ。迷惑をかけてはならない、うつしてはならない。郵便物を受け取っても手を洗う。神経がまいってくる。
 しかし、グダグダ愚痴っても致し方ない。医師会の指示を受け、人込みを避け家の周りの1時間の散歩を日課にした。
 ニリンソウ。オドリコソウ。オオイヌノフグリ。ホトケノザ。ムラサキケマン。
 今まで覚えられなかった花の名が毎日の散歩で、胸に小さな明かりをともすようになった。
 ネットの新聞記事にも目を通すようになった。3月27日のディリ―スポーツの記事が飛び込んできた。
 白血病で闘病中の広島カープのかってエース北別府学投手が、新型コロナウイルスで陽性反応の出た阪神タイガース期待の若手、藤波晋太郎投手に贈った言葉だ。
「運が悪いと思うなよ。申し訳ないと思うなよ。しっかり治して 阪神ファンを 野球ファンを マウンドの上から喜ばせて下さい もちろん私もその姿を待っているし、復活する姿を見たいと思っていますよ」
 胸が熱くなった。もしも学生が罹患したらこの言葉がかけられるだろうか。
「何やってんだよ。何処をぶらぶらしてたんだ。勝手な行動で迷惑がかかるんだぞ。」
 そんな言葉を吐き出しかねない自分がいる。
 白血病と云う苦しみの中にいることで、本当のやさしさが言葉になったのだ。優しいは、人の憂いと書く。憂いを共有できるのが人のやさしさだと云うのだろう。又、「やさし」の語源は、「痩せる」だとも云う。己の身を細らせる時、やさしさしさが生まれると云うのだ。
 今世界中が病の中にある。だからこそ生まれるやさしさがあるはずだ。本当の思いやりが、やさしさを生み出していかねばならない。
 多くの悲しみや苦しみを通り抜けてきた老いたる者がゆえに、やさしさの牽引者になれるのだ。それはコロナ感染ですさんだ世の中での老人の責任なのだ。」

「教育」の真の目的を見失ってはならない

 4月7日、5月6日まで東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、大阪府、兵庫県、福岡県の7都府県を対象に緊急事態宣言を発令。4月16日、緊急事態宣言の対象を全都道府県に拡大。
 4月16日、毎日新聞「オピニオン」欄に、「休校中今こそやさしさを」と題して、寄稿。人権教育の必要性を教師とともに考えたいと思ったのである。以下はその一部。
「世界中でコロナ感染者に対する差別が拡散している。学校現場にも、心無い差別の波動は訪れるに違いない。それに教師は如何に立ち向かうべきか。
インターネット活用による授業の補完も続けられ、その準備に現場の教師は忙殺され疲弊している。ネット授業は教育システムの新たな段階を生むであろう。その価値は大きい。未来も感じる。
 しかし、日常生活の中で平等に教育を行うと云う基本的思想が見落とされることが危惧される。人間と人間が向き合わなければ教育はその理想を追うことは出来ない。学習効果を上げることは教育の第一目的ではない。
「やさしさ」を思想化すること、感性の中から、「人権」堅持の理性を生み出すのが教育の最大の目的だ。
 このことを忘れずに、私達は、学校再開を迎えなければならない。
 今、教師がともに為すべきことは、差別と偏見の歴史を直視することだ。負の歴史を学ぶことを明日への正義に繋げなければならない。毅然と己を見つめなおすことだ。私達のすぐ傍に、自らのプライドを真っ逆さまに突き落とす奈落への断崖があることを認識すべきだ。教師自身が渦の中に取り込まれ差別者になる危機なのだ。
 精神は不安で揺らぐ。しかし、このような時こそ、人間の尊厳が試されているのだ。歴史を学び正義の旗をはっきりと掲げ、毅然たる態度で、教師は児童・生徒・学生に接しなければならない。彼らのストレスは一滴の水で差別と偏見に溢れかえるだろう。コロナ対策は、差別なき社会のありようを決める教育現場の試金石でもある。
 医療崩壊を第一に阻止しなければならない。そして次におとずれるのは、教育崩壊の危機だ。文部科学省にその危機感は薄い。政府は、教育現場を支えるためにいかなる人権教育を指針とするかを早急に準備し、警鐘を鳴らす必要があろう。」
 4月24日、『朝日新聞』からの受けたインタビュー記事が、同紙「耕論」に掲載される。ここでも、強調したのは、人権教育である。
「ウイルスは肉体を、むしばむだけではない。精神や心をも侵してゆく。不安は、始まりに過ぎない。やがてそれは、他者への攻撃に向かう。そして差別や偏見に。それだけではない。自己の誇りや人間性も奪っていく。」と語った。
 5月5日、東京新聞社説「こどもの日に考える「やさしさ」が育てる未来」に、以下のような渡辺の発言「 」が引用がされた。
<「感染症はもちろん蔓延が恐ろしい。しかしもっと恐ろしいのは病いに対する人々の差別と偏見です」 ハンセン病に対する隔離政策、エイズや水俣病の人たちへの差別…。新型コロナウイルスで、感染症の誤った歴史が繰り返される危険があります。医療従事者や家族が、周囲の心ない言葉や対応に傷つき苦しんでいるという現実がすでにあります。感染した人や家族の家に投石や落書きするなどの陰湿な嫌がらせも明らかになっています。悲しいことです。「正義と柔軟な感性を持つ若さこそ社会と家庭を思いやりとやさしさに包まれた場所に引っ張って行けるのです」。そう若い世代への期待を記した渡辺さんに「やさしさ」の意味するところを尋ねてみました。「『やさしさ』は『痩せし』。自分の身を痩せさせることであり、辛いことでもあるんです」新型コロナウイルスは誰でも感染する可能性があります。不安や恐怖にのみ込まれそうになります。自分も痛みを感じている中で、相手の憂いをくみ取ることができるかどうか。やさしくするって、実は大変なことなのかもしれません。>

加速するオンライン授業で広がる教育格差

 5月19日NHK番組『視点・論点』で「今こそ 子どもたちに人権教育を」と題して、思いを述べる。
「休校中の遠隔授業は、新たな方向性を見出すものです。学校に行きたくても行けない長期入院中の子供や、集団生活についていけない子供にも新たな援助になるでしょう。遠隔授業は希望の灯です。長期化が予想されるコロナ対策の中で新たな可能性を生み出したのです。
 しかし、反面、教育の不平等、貧困格差を生みだしていることも事実です。文部科学省の2019年8月の報告によれば、教育用コンピュータ1台当たりの児童生徒数は、5.4人です。
 同年11月、安倍晋三首相は、経済財政諮問会議で「教育現場でパソコンが一人1台ずつ普及するのは当然」と発言し、今年3月31日の記者会見で文部科学大臣は、コロナ感染拡大でパソコン整備の前倒し予算計上を提言しました。
 遠隔授業は加速されましたが、道半ばです。持つことのできる子と持つことの出来ない子との間に格差が生じています。教育伝達の方法が大きな格差を生んでいるのです。格差には負の方向性が潜み、新たな差別意識や偏見、いじめが生まれる危険があります。
 このような時、学校現場で急がねばならないのは、人権教育です。殊に、病気に関連する人権教育は急務です。
 文部科学省は、人権教育・啓発に関する基本計画を2011年にまとめ、中学生向きには、「ハンセン病の向こう側」などのパンフレットも出しています。人権教育に関する今までの積み重ねを評価すべきでしょう。しかしながら、一方で、コロナ感染症拡大における人権教育の指針は後手に回っているように思えてなりません。
 人権問題に詳しい九州大学名誉教授内田博文氏は、5月5日ある新聞社のインタビューで、「新型コロナウイルスを巡り、患者や医療関係者などに対する差別的な言動が相次いでいる。社会が感染症と向き合うためには、医療と同じほどに人権の視点が重要だ。」と語っています。
 文部科学省は学校再開に向けて、コロナ感染症拡大に伴う人権教育への道筋をつけ、いち早い対応を考える必要があります。いまその声は聞こえてきません。
人権教育の具体的な指針を求める
 5月25日、全国で緊急事態宣言が解除され、多くの学校で授業が段階的に再開された。
 文部科学省は、3月24日学校再開ガイドラインを発表、「感染者,濃厚接触者とその家族,この感染症の対策や治療にあたる医療従事者とその家族に対する偏見や差別につながるような行為は,断じて許されないものであり,新型コロナウイルス感染症に関する適切な知識を基に,発達段階に応じた指導を行うことなどを通じ,このような偏見や差別が生じないようにすること」と記した。
 しかしそれ以降、文部科学大臣の記者会見では、4月3日に、相談窓口としての「子供ダイヤル」の設置に言及し、14日に「心のケア」について言及さているが、「人権教育」の必要性についてほとんど言及されることはなかった。
 今、学校現場は、「差別・偏見のパンデミック」の波が、「いじめ」につながることを恐れている。
 1970年代後半、私が定時制高校から私立中高、さらに女子短大へと移った頃、現場では「人権教育」がきびしく要求された。研究集会の課題は「文学と人権教育」。私が提出したのは、島崎藤村の『破戒』又カミュの『ペスト』をいかに教えるかであった。
 子供たちにも、差別といかに向き合うかを文章化することが求められた。やや過剰な思想教育ではないかなどといった批判が一部にあった。しかし、その中で、自分といかに向き合うか、如何に歴史と向き合うかが問われた。日本が抱える汚点ともいうべき<差別>の歴史に向き合ったのだ。
 あの時代の教師教育のすべてを認めるわけではない。しかしあの緊張した差別排除の姿勢は今こそ必要だ。コロナ差別が拡散しようとしている今こそ、教師にも、生徒にも、もちろん社会にも必要なものだ。教師にとって不可欠な課題である。
 先に述べた、NHK「視点・論点」での放送では、最後に北海道帯広の菓子店で出会った詩集から子供の詩を引用した。

  ぶきは笑顔

  最近、あいつは、世界中の人を困らせている
  あいつは私の友達との時間も楽しみな行事もうばっていく
  あいつは世界中でみんなの自由も大切な命もうばっていく
  ただ、私は負けない 限られた時間でせいいっぱい思い出をつくる
  あいつに、そんな私の笑顔はぬすませない
  (鹿追町立笹川小学校6年中野結 詩誌『サイロ』5月号より)

 文学表現は、共感を導き、やさしい共同体を創り出す有効な手段だ。人権教育の柱だ。学校再開の今、想像力を養い、やさしさを引き出す文学教育と毅然たる人権教育に、多くの時間を割くべきである。学力偏重の性急な動きは、人権教育を遠ざけることになるのではないかと私は憂慮する。

人権侵害の歴史を見据え差別のない国へ

 4月28日、安倍晋三首相は、新型コロナウイルスに感染した患者とその家族について「許すことのできない差別があるのは事実であり、恥ずべきことだ。『日本には差別がない』と世界に胸を張って言えるよう(対策に)全力を尽くす」と語り、不当な差別、偏見の解消に取り組む考えを強調した。

現実を直視せずして、プライドを示すことはできない。

 2019年”World Giving Index”(世界人助け指数)の結果で、日本は、126カ国中107位、先進国中最下位だ。2020年3月20日に発表された、世界幸福度ランキングでは、156カ国中順位を下げて58位、寛容度に至っては92位だ。2019年版「ジェンダー・ギャップ指数でも153か国中121位である。
 もちろんランキングがすべてを示しているとは思わない。しかし、日本が人権保護について、誇りうる国ではないことは確かであろう。ジェンダーギャップと病に対する偏見と直接結び付きにくいかもしれない、寛容度指数も直接的とはいいがたいかもしれない。しかしその人権意識は通底している。
 コロナ禍によって引き起こされる「差別」「偏見」そして学校現場のいじめなどへの重点的具体的施策の必要がさしせまっている。局所的なその場限りの解決策を考えるのではなく、日本が置かれた人権教育の現状を、多面的にとらえなければ、道筋をたてることはできない。
 人権問題、ことにコロナ禍を導火線とする人権侵害によって、日本という国が試されているのだ。我々は危機的状況のコロナ禍の今こそ人権侵害の歴史を見据えなければならない。
 政府は、学校再開に際して、緊急にこの課題に取り組むべきである。今必要なのは、具体的指針である。『日本には差別がない』と世界に胸を張るという首相の言葉を、今度こそ空疎にしてはならない。受難の季節は人権擁護と新たな社会構築・再生への道を志向する時でもある。

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