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江戸散策 第一回「深川軽子女」(続続<時に海をみよ>)

江戸の遊里番付。吉原遊郭を横綱とすると、東の大関は品川、西の大関は深川です。吉原は公認の遊里、品川は、宿場として飯盛女を置くことが認められていましたから、半公認と云うべきでしょう。近代の表現で云えば、吉原は赤線、品川は青線です。これに対して深川は、非公認の遊里、白線などとは云いませんが、白人(素人)を主としていると考えると白線と云ってもいいかもしれません。
さて、その深川で吉原、品川にはない特徴的な<渡世>があります。一つは、船頭です。船頭については、今年の7月号の雑誌『東京人』特集「江戸東京水辺散歩」で「遊女にとって水路は開かれた世界への通路」と題してふれましたので、ここでは「軽子女」(かるこおんな)について、ふれておきます。
寺門静軒は、『江戸繁昌記』(天保3-71832―36刊)で、吉原と深川の比較を述べ、「北里は即ち、客、妓楼につき、辰巳は即ち、之を酒楼にまねく。楼上作成の者、北に若ひ者と云ひ、並びに男子を用ゆ。南に軽子と云つて、並びに女子を用ゆ。」と記しています。
吉原では、客の方から遊女屋、妓楼に出かけ、深川では、芸者や遊女を料理屋に呼ぶ、「楼上作成の者」を吉原では「若い者」と呼び、深川では、「軽子」とよんでいると述べています。「楼上作成の者」には、「さくせい」に片仮名のルビが「セハヤク」とあります。
喜多川歌麿の「深川の雪」。箱根にある岡田美術館が2014年に開館した時の目玉作品です。同年6月号の『東京人』で小生も小林忠氏と対談しています。絵は岡田美術館のホームページ(深川の雪ふかがわのゆき|展示中の日本・東洋の絵画|コレクション|岡田美術館 (okada-museum.com)で容易に見ることが出来ます。
この絵で異彩を放っているのは、場面中央で配膳する「軽子」です。私は、地味ながら浮世絵でもっとも美しい脇役であると思います。
「楼上作成の者」というのは、妓楼、料理屋などの遊所において、客のあしらいなど諸々の準備にたずさわり、遊びの場をマネージメントする世話役と云う意味です。吉原では、「その役を果たすのは、妓夫(ぎふ)(牛太郎)もしくは、「若い者」(もちろん年齢的に若いと云う意味ではありません)と呼ばれた男性でしたが、下男などと云ったイメージとも異なります。茨城県の平潟港には「妓女妓夫」と明記された墓があります。「若い者」は遊女をコントロールする役割です。その役割を吉原では男性でしたが、深川では、「軽子」と呼ばれた女性だったのです。軽子は、本来、雇われて荷物を軽籠(かるこ)で運搬する人をさす言葉です。下働きと云ったイメージとは異なります。現在でも使われている表現で云えば仲居という云い方がふさわしいでしょう。『色道大鏡』には、「媒」にルビを振り「なかだち」とよみ、仲居の説明があります。
軽子は遣り手とも異なります。年増巧者のイメージはありません。
 軽子は、颯爽と深川の遊びを取り仕切るウエイトレス兼マネージャ―と云ったところです。こんな雑排があります。
「鼈甲の天秤棒を軽子さし」
天秤棒のような、棒状の高価な鼈甲(べっこう)の笄(こうがい)をさす軽子です。シンプルの装いながら贅沢なものです。
「客あまたかつぐが故に名は軽子」
かつぐは、荷物をかつぐ意と、客扱いの意です。
「樽抜けを軽子猪牙からかつぎあげ」
吉原で罰を受け、桶伏せをくらって、樽抜けをしてきた遊び人をチョキ船からおろして世話をしていると云うのです。
「口先の軽子座敷をもつて行き」
うまい言葉で軽子は座敷を取り仕切ったのです。
以下の挿絵は、式亭三馬作『船頭深話』(文化三年刊 家蔵本)のものです。作品では鎌倉古市場としていますが、深川古石場を舞台として、深川遊里の情緒を色濃く細密に描いた作品です。この作品の挿絵でも軽子が膳を持ちながら客や遊女に目配りをしています。

『江戸深川情緒の研究』(大正15年 深川区史編纂会)には、大茶屋の女主人について、「船宿が女天下で、女房が亭主を尻に敷いて、家事一切を切り回したように、深川女は、其『きやん』『いきぢ』と『はり』とを以て、社会生活に於いても男性に劣らない活動をしたものがあった。」、そしてこれが「深川のローカル、トーンを発揮する一つの社会現象であった。」と記しています。軽子は、女性活躍の深川の特色であったのです。
 先日、深川仲町の古老から、今はもう姿を消しましたが、戦後しばらくあった深川の料亭の経営者のほとんどが、かって<仲居頭>であった人だと云う話を聞きました。
 深川の軽子が、女性であるが故に過酷な仕事を芸者や遊女に強いたかもしれません。しかし、女性が働く場を深川が与えていたことは確かです。
18世紀後半、女髪結いが自立的な仕事として登場する頃、遊里として、最盛期を迎えた深川に軽子という存在があったことは記憶にとどめていいでしょう。歌麿「深川の雪」の軽子の姿是非もう一度ご覧ください。きりりとした江戸のキャリアウーマンの立ち姿、ドキッとしませんか。


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