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江戸散策 第二回「赤坂花むら―江戸前天ぷら」(続続<時に海をみよ>)

 幼かった頃、故郷の函館では、朝の4時頃、「イガァ―イガァー」とリヤカーでとれたてのイカ売りが来た。
「いいイカだね。今晩は天ぷらにしよう」と祖母。
 祖母は、昼頃から、イカの皮をむきはじめ、とっておきの高級なごま油で天ぷらを揚げた。たしかにうまいが、イカの一番おいしい食べ方は刺身ではないのか。ずっとそう思っていた。函館の名物は今もイカソーメンである。
 その疑問が、赤坂の御座敷天ぷら「花むら」の創業者川部米夫が書き残した『天ぷら 材料と揚げ方のこつ』(昭和36年 婦人画報社)を読んで解けた。
 同書には、「イカは天ぷらにして、初めて見直される。」「イカを柔らかくして口にとけるように食べるには、天ぷらをおいてほかにない」などと記している。祖母は、北前船の問屋の娘だった。北前船が上方から運ぶものの中で、植物油はもっとも貴重なものであった。「とっておき」の油にあわせた新鮮なイカの天ぷらが自慢であったのだ。
 赤坂駅前の大通りからちょっと路地に入ると置き土産のような日本家屋がある。風情のある「花むら」の暖簾が掛かっている。
 赤いじゅうたんの上、急な階段をあがり、二階の座敷へ。かなりの広さである。真ん中が一段低い揚げ場になり、その周りを四方にカウンターが囲む。日本で最初の御座敷天ぷらの老舗である。
 創業は大正10年(1921)。新聞記者だった先代が始めたそうだ。今の店主は二代目川部幸二さん。昭和19年の生まれ。私と同じ年だ。「空襲のさなかに生まれましたよ」などと話が弾み、祖母の話を持ち出した。
「おばあさんの話は本当ですね。イカは一番難しいですよ。生きのいい味を引き出さなければなりませんからね。イカやエビはちょっと高温でさっと手早く揚げます」と川部さん。
 冷たい前菜を食べながら、「チリチリジュジュ シュワシュワ」と云う揚げ音を楽しむ。「料理の音が楽しめる日本料理は、お座敷天ぷらだけですね」と私。
「先代がよく言ってましたよ。天ぷらは素材のうまみ、油のよさ、揚げ上がりの見た目、そして油の音を聞くこと。五感全部を使って食べるもんだものだってね」
「クツワ虫四季に鳴かせる揚げ物屋」といった江戸雑排の句を思い出す。季節にあわせて旬のものを天ぷらにする。季節を舌で感じるのが天ぷらである。
 一つを食べ終わった後、絶妙のタイミングで次が出る。
 黄表紙『江戸(えど)春(はる)一夜(いちや)千両(せんりょう)』(天明6年刊)で、「金持ちの旦那から、一晩で使い尽くすことを条件に大金をもらった丁稚が、どうしていいかわからずに、一つ四文のサザエの天ぷらと鮨を食べ過ぎて腹をこわす」と云った話がる。丁稚の金の使いようを笑う挿話だが、そうも笑っていられない。これは、一気に天ぷらを食べる庶民の夢を語っているのではないかと思った。
 池波正太郎は天ぷらは火傷(やけど)して食べろと語ったそうだ。「雑念なしで、天ぷらを食べることだけに没頭出来る」店だとも記している(『池波正太郎が通った味』夏目書房平成8年)。「花むら」の天ぷらの出方は江戸の屋台の<間(ま)>に通じるであろう。江戸の庶民になった気分で出来立てを頬張る。
 一番最初から、舌の上で甘い小エビがおどる。お目当てイカのしそ巻きは、餅のような食感、祖母との思い出が口の中で広がる。締めのアナゴは天つゆになじみ、御飯と赤だしによくあう。
 来日のたびに毎日天ぷらを食べたと云う、食通、名優チャップリン。「これにまさる食品は、どこを探しても発見することは難しい。日本はサクラの国であると共に天ぷらの国である。」と激賞したそうだ。
 チャップリンの舌先は、江戸の庶民と同じ舌であったに違いない。<自然の味を活かす、天味を生かす>「花むら」は、今にそれを伝える。さっぱりした軽み、江戸の粋味は、赤坂に生きている。
 
追記
以上は2022年『東京人』9月号、「赤坂歴史散歩㉙」に掲載のものです。本誌では、『江戸(えど)春(はる)一夜(いちや)千両(せんりょう)』や店の様子の写真も掲載しています。今月号『東京人』は、「寄席」が特集。東京各所の寄席が紹介されています。なつかしい池袋演芸場の昭和30年代の写真も載っています。隣のやきとん屋で一杯やって畳席で寝転んで落語を聞いておばちゃんに叱られたのを思い出しました。矢野誠一氏が、「わが青春の寄席順礼」と題した一文を寄せています。古い落語ファンにはたまらない、ジンワリいい文章です。その中でものまねの佐々木つとむにふれています(ユーチューブの徹子の部屋で彼を見ることが出来ます。絶品です)。久しぶりに笑い、彼の訃報記事や愛人のことを思い出しました。至芸には哀しみが追憶に重なるものですね。

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