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2022年クリスマスメッセージ

 祝イエス降誕。
 私たちが学び大切にしてきた戦争放棄と云う言葉は何処に行ったのでしょう。論議の根本に置くべきは憲法九条です。なし崩しが続いています。駆け足であることは危機の助長です。議論の根本に憲法九条を置くことは当然です。拡大解釈ならば、国民の是非を問うことは必須です。拙速が続いて悲劇を招くことは明らかです。
 最近、国家と云う言葉に私は、何とも言いようのない距離感を覚えます。嫌悪的感情と云っていいかもしれません。本来、信頼おくべき国家体制そのものが、崩れていくような気がするのです。国家統制機関である政府に対する信頼が薄れていくのです。
 国民感情から離れ、このまま急ぎ足で「戦争放棄」という理念を置き去りにして戦争に向かって行くような気がしてなりません。
 昭和13年(1938)に施行された国家総動員法は、完全なる同調圧力を生み出し、国民を戦争に駆り立てていきました。国家は戦争を正義なものとし、批判を無視し、先制攻撃を美化して進んで行ったのです。私たちは、小旗を振って若者を戦場に送ることの悲劇を繰り返してならないのです。
 原発再稼働も同様のことが云えます。2011年3月11日を忘れたのでしょうか。「原発はもう嫌だ」「原発依存をやめよう」あのうねりのような声をどこかに置き去りにしているのです。廃炉水の問題は解決したのですか。輝くネオンは忘れ去るサインになったのでしょうか。福島の悲劇に感じた後ろめたさに似た反原発の思いは、すべての国民の共有でした。安全への科学的根拠を説明することなしに、再稼働、拡充を国家がリードすることは許されることではありません。廃炉水が、緑の沃野と青い澄んだ海を再度汚さないことを誓ったはずなのです。戻りたくても戻れない土地を作ってはならないのです。
 クリスマスは非戦・非核への誓いの時です。
 剣を鋤に、槍を鎌に…「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ書2)
 掲載は約40年前、九州の島々をキリシタン調査のために訪れた際に撮影させていただいた納戸神(カクレの聖母像)のコピーです。台所の奥に飾られていたものです。あまりにはっきりとした聖母像で驚いたことを覚えています。元禄頃、江戸の浮世絵師の作と聞きました。前をはだけた乳房の露出は、慈母観音像によく似たものがあったような気がしましたが定かではありません。垂髪は元禄頃の髪型に似ているとも思いました。同行の研究者は、大陸系の子安観音に似ているとも云っていました。稚拙な中に人間的表情があると評した人もいました。大きな『かくれキリシタンの聖画』と云った本がありましたが、手元に見つからずこのまま記します。40年以上机の前に飾られた愛着のある聖母像です。

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