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これからの世界を、本当の意味で幸せに生きていくための

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まえおき

僕は(何度も書くようで申し訳ないけど)

遊び』とは、『やりたい』という気持ちから『やってみる』こと

だと考えている




その『やりたい』という気持ちは、

自己承認欲求から出てくるのではないか、

という事を以下URL①の中で書いた




そして、自己承認欲求に目的(方向性)を持たせることで、

承認欲求を副産物に変える(エネルギー源に変換出来ちゃう)

ということは以下URL②のところで書いた



(⚠︎下のURL①、URL②を見てからでないと、
よくわからないところがあるかもしれない)


URL① なんで子どもは遊ぶんだ…?
https://note.com/okemalu/n/n707c4b5247c3
URL② 承認欲求を利用して強くなろう…!
https://note.com/okemalu/n/n58a0f0d31b03


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本編



僕はふと思った




子どもって、みんな承認欲求の奴隷(※1)なんじゃないかなということを

(※1 承認欲求の奴隷とは、他者から認められることを目的とした人生、のこと) 




(承=承認欲求)


承認欲求→やってみる→結果→認められる→承認欲求→やってみる・・・の繰り返し



これを繰り返す結果、副産物として、気づきや学びが本人の中に残る


あくまで主産物は『承認欲求の充実化』なんじゃないか



僕はURL②にて、


承認欲求に目的(方向性)を持たせることで、承認欲求の充実化は副産物にできる
(自分のエネルギー源にできる)


と書いた





でも

目的』って難しい!


よくわからない!





それはきっと当たり前な感覚であって




だからこそ色々経験するんじゃないかな



とおもう




子どもの頃に、「やりたい」を『やってみる』経験を、日常的にたくさんする




そのプロセスにおいては、承認欲求の奴隷でもいいんだ


もはや、そうであるべきなんじゃないかな


無理にあらがって『やりたい』ことが出てくる機会を奪っちゃうほうが不幸だとおもう




そして、

人生の目的(※2)を見つけた時はじめて、

承認欲求の奴隷』から抜け出せる

のだとおもう



さらには承認欲求をエネルギー源として利用できるようにも

※2 自分は何をしているときが楽しくて、何をするために生きているのか)




人生の目的というのは、

すべてその人の過去にこそあると考えている




人生の目的を見つけて、

承認欲求の奴隷から抜け出し、

遊びに方向性を持たせることができてはじめて人は


『子ども』から『大人』になる


のかもしれない





目的がはっきりしていれば、その途中にある

やりたくない」ことも「やりたい」に変わる

と思うし、



やる必要の無い」ことは「やらない」と言う

選択が取れるとおもう



これってけっこう大事で、



承認欲求の奴隷だったら

承認欲求を充たすために


本来「やる必要もない」ことも

やっちゃうんじゃないかな



確かに

承認欲求→やってみる→結果→認められる→承認欲求→やってみる・・・

を繰り返していては、


いろんな学びはあるかもしれないけど、

それを死ぬまで、と考えると、


果たして人生楽しいのだろうか…?




本当の意味で幸せになるためには、上で書いたように

大人になるという事が重要なんだ




大人になる
=『遊びに方向性』を持たせる
好きなことをやって(遊んで)生きていく
幸せな生活


遊ぶ』ってことがやっぱりキーワードで、

大人と子どもとでは、『遊び』の質が違うんだとおもう



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まとめ

幸せに生きていく上で大事なのは、子どものうちにたくさん
「やりたい」を『やってみる』
こと
そしていつか、その経験(過去、思い出)の中から、自分の人生の目的を見つけたとき
その目的に向かって遊ぶ・遊び続ける
ことで、幸せな人生を過ごしていけるのではないだろうか
Let's live the happy life!!!

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PS

やりたいの根源の交代」




「やりたい」って気持ちが何で生じるかと言うと、

生まれ持った承認欲求が大きく関係している 

と上のURL①の中で記した


「やりたい」→承認欲求を充たしたい



そして、目的を持つことで、

承認欲求はエネルギー源に変えることもできると書いた




では、

目的を持った時点で、「やりたい」の根元的な理由



承認欲求→目的のため


置き換えられるのか…?




答えは「YES」だと考える




でも、そのトップの目的に直で繋がっているとは限らなくて、


目的を分解したどこかに繋がっているという可能性もある


まあどちらにせよ、目的に繋がってはいるので、


僕は答えは「YES」なんじゃないかなとおもった




これだけでは、なんで「YES」なのか、よくわからないと思うので



ここで一つ体験談を

(怖い話じゃないよ)

ある晴れた日、公園で子でも達と遊んでいた時のこと、
突然『木に上りたい欲(=僕の「やりたい」)』が湧いた時があった
(それは一人で公園にいる時には絶対湧かない欲求)
僕自身の『ありのまま=これをしたい』を、
本心からやってみちゃうことで、
その子の「やりたい」を引き出したい、誘発したいという狙いがあったのかも
なんにせよ、その時は直感的に「やりたい」と思ったからやってみただけだったんだが、
直感ってすごく大事で、絶対にそう感じた理由があると僕は思っている
やりたい」がより多く発生するという事は、
その分『やってみる』もたくさん生まれ、結構上で書いたように、たくさん「やりたい」を『やってみる』経験をすることで幸せな人生につながると考えている
そう、その『幸せな人生になっちゃう」ことこそが、僕の人生の目的なんだ(かなり端折っているので、詳しくはURL③より)




この話での、僕の「やりたい」の根底には、

やっぱり僕の人生の目的があった




つまりは、人生の目的を持つことで、

やりたい」の根源は、

承認欲求から目的にとって代わるのだ


それが大人になったって事なんだとおもう


URL③
https://note.com/okemalu/n/n550d74e706d5

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PS2(play station2 にみえる!)

「やりたいって気持ちは手段か?目的か?」


やりたい」と言う気持ちは

手段なのか

目的なのか

それとも別の何かなのか



何なのだろうか




やりたい」って気持ちは、


ただピュアに生じるものなんだ


…ってカッコつけたいけど、ここまで考えてきてわかったことは、


それは『手段』でしかない

ということ

(まあどこに視点を置くかによって手段にも目的にもなるんだけど)




最終的には、幸せに生きていくための過程の中の、『いち手段』でしかないのだろう


おわり

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ぼくは学童やプレイパーク、ボランティア等で子ども達と関わっています。原体験がその人をつくると、『心アツくなる思い出が出来ちゃう』そんな関わりを大切にしてます。詳細はトップ記事をご覧ください 前置きが長くなってしまいました。頂いたサポートは活動の際の何かに使わせて頂きたいと思います