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「他人を動かす目的」を持たない文章について 〜続・自分にとって良い文章とは何か?

昨日の午後にこのnoteを書いて、またしばらく考えていた。

もっと芯にあるものを抽出して言い表せないか。

世間で持て囃されているのは「他人を動かす文章」だ。読んだ人の心を動かす、感動させる、行動を促すなど、読んだ後に変化してくれることを望んで書かれる。その効果が顕著なノウハウについてみんなが知りたい。

当然これは社会に必要なことで、自分も仕事で文章を書くときは必ず意識するし、読む人へ一番届く構成を考えて言葉を選ぶ。マーケティングの一環でテキストを作成するならそれが一番正しい。

だからといって、他人を動かすことを目的としない文章、結果的に他人が動かなかった文章に価値がないのかというと、違うと思っている。

言葉は自由に加工・カスタマイズできるから楽しい

言葉にはいろんな要素が含まれている。日本語はひらがな・カタカナ・漢字、さらにアルファベットなどの表記方法があって、フォントデザインのような外的要因に頼らずとも文字の並べ方だけで意味づけができる。

美しい日本語
うつくしいにほんご
美しいニホンゴ
ウツクシイ日本語

音も文字で伝わる概念も一緒だけれど、文字種の並べ方の違いで受け取る印象がずいぶん変わる。書き手はそれを自由に選んで使うことができる。

また、文字本来の役割は意味の伝達であり、文字の組み合わせによって文が変わるのでその先の表現は無限に広がっている。原稿用紙の最初の1マスに「あ」と書いた先に「あなたと私」と続けてもいいし、「あかるい未来」と続けても「あすカツ丼を食べる」と続けてもいい。自由だ。同じ「あ」から始まっても、描かれる世界は2マス目からそれぞれ大きくかけ離れていく。

文字は音とも密接につながり、読み上げたときのリズムやイントネーションを言ったり想像したりして楽しむことができる。これも書き手が自由に扱っていい。

明日私はカツ丼を食べようと思います。
明日、私は、カツ丼を、食べようと、思います。
明日私は……カツ丼を食べようと、思います。

見かけ・音・意味を幾重にも重ねられるし、好きな響きで組み合わせられる。書き出す順番だって自由。言葉は結構遊べるツールなのだ。

ブロックにも似ているけれど、ブロックは既成の1ピースという形からは逃れられない。最小単位がプロダクトとして決まっている。言葉には形がなく動的で、使い込むともっと細かいところまでカスタマイズできる。

ここで「他人を動かす」という目的を設定すると、それ以外のゴールが排除されて言葉の自由さの運用範囲が狭められる。面白い並びでも「それは誰も動かさないよね」というロジックで正しくないとされる。「これは誰も感動しないので感動するように直しましょう」という方向で運用が進む。

でも、文章は必ず他人を動かさないといけないのか。

実際、言葉を経て行動を変えてもらわなければいけない場面は多々ある。自分もそういう場で仕事をしている。そういう「他人を動かす」という目的はゴールの一つとしてあっていい。でも全ての文章がそこを目指す必要はないんじゃないか。

他人を動かすという目的を持たない文章

仕事は仕事の文章として書く。目的があって責務もある。でもそれ以外の場では、文字の並びも自由だし、作り上げる意味世界も自由。意味を生むかもしれないし、意味をなさないかもしれない。

たった一人だけが文字列を見たときに「!」と何かを受け取るかもしれない。書いた人の意図とは全然違うところで反応があるかもしれない。ないかもしれない。

最近は何かと意味と効果を求めすぎる気がする。書く人が「やってみたかったから」とか「書いてみたかったから」という衝動だけで書いた文章でも、それはそれでいいんじゃないか。

分かりやすい文章を書くコツ、というのは確かに存在する。もし「自分の文章をもっと分かりやすくしたい」と思うなら、ネットや本で調べてコツを実践すると確実に改善される。

感動を生む文章、ついクリックしたくなる文章など、いろんなタイプの文章にコツがあり、意識して書こうとすればある程度の再現は可能だ。

でも、果たして文章を書こうとするみんながみんな、毎回毎回それを目指さなければいけないのか

書くときに「これは他人を動かす力を持っているか」を突き詰め過ぎると、言葉は途端に辛く苦しいものになる。書いた後に効果がないと思うと余計に悲しくなる。いや、言葉ってもっと面白いものだよね?

意味は分からないけれど綺麗な言葉の並びとか、どこまでも句点や読点がない勢いとか、変な言葉の組み合わせが生む間合いとか。楽しめる要素はたくさんある。

作家のように特別なスキルを持った人たちはそれを商品にしているけれど、生産性や効率やマネタイズとは無関係の文章があっていい。スキルの有無は関係なく、書きたいから書いてみて、並んだ文字を見ながら「ああでもない、こうでもない」と捏ねくり回す作業だって悪くない。

仕事のような責任を伴う文章作成は、難しいぶん充実感と達成感がある。でも毎日の仕事にしていると「書きたいから書く」という衝動を忘れそうになる。

絵画やアートに表現の制限がないように、言葉にも制限はない。大がかりな場所や道具は不要なので思い立ったらすぐできる。これからしばらくは「書きたいから書く」を意識してやっていこうと思う。その点、noteは一番遊びやすいメディアだと思っている。

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