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何とか1年で、学芸員資格取得の単位を取れた話

全くの興味から異分野にチャレンジした。

仕事で使うわけではないのに「学芸員資格を取ろう!」と思い立ち、去年4月に大学の通信教育課程に入学。仕事をしながらレポート・科目試験・スクーリングが課せられるので2年がかりを覚悟したけれど、無事1年で必要な単位を全て取ることができた。ギリギリだったけどよかった…!

ちょうど3月末なので、備忘録としてまとめておく。

きっかけは山田五郎さんのYouTube

きっかけを遡ると、山田五郎さんのYouTube動画「オトナの教養講座」に行き着く。

人生で最初に「美術について勉強した」といえる体験は、当時神奈川県の全中2生が受験しなければいけない「アチーブメントテスト(ア・テスト)」の準備だった。

どの作品の作者が誰なのか、その作風は何なのかを4択で解答するという、今から考えると美術の本質が何なのか、かえって分からなくなるテスト。頑張って丸暗記で挑んで、きれいに忘れた。

でも五郎さんの動画では、当時の作者が人間くさいお兄さんお姉さんとして紹介されていて一気に親近感が湧いた。その時代にポツンとあるように見えた作品も、実は脈々と線のように川のように、表現の流れを後世へつなげていることが分かった。

この辺の「やっと分かった」の感覚はnoteに書いた。

日付を見ると去年の1月か。 この後から「社会人でも資格取れる?」「やればできる?」「学校どこにする?」「証明書は間に合う?」と考えて実行したのだった。早かったな!

とはいえ、美術や考古学を専門で学んでいる方々、将来の仕事として学芸員を目指す方々と比べると燃焼温度は低い。

低いけども。

それでも「やってみたい」と思った気持ちは嘘ではない。何より、若いときより確実に時間がないので何年も悩んでいられない。低くてもいいんだと言い聞かせて申し込んだ。

社会人の今だから集中できた

大学時代にも取得チャンスはあった。文化人類学の教授が毎週土曜日に学芸員志望者向けの講座を開いていたので、出席して卒業前に資格を取ることもできた。でもそのときは「土曜日がつぶれるのか」と思ってしまった。「つぶれる」と考えていたら身も入らない。

自分から「やってみよう」と始めた今のほうが取得には向いていたように思う。必要なレポートや科目試験についても、ライターの仕事で培った構成力と応用で乗り切った実感があって、学生の頃の自分ではたぶん全然スキルが足りなかったし面白さも分からなかった。

「思い立ったが吉日」とはよくいったもので、やろうと思った瞬間のスポンジが一番カラカラなのだと思う。

教科書がこんなにお得だなんて

学芸員資格取得に必要な科目は現在のところ以下。

生涯学習概論/博物館概論/博物館経営論/博物館資料論/博物館資料保存論/博物館展示論/博物館教育論/博物館情報・メディア論/博物館実習

うわあ、知らないことばっかりだ。これに選択として3科目が追加になる。私が選んだのは以下。

文化史/民俗学入門/西洋美術史

他に日本美術史や考古学などもあったけれど、興味が向いている分野がいいだろうと考えた結果だった。後から「シラバス」の存在を知って、もうちょいレポート課題を確かめてから選べばよかったかと後悔。…したけど今はこれでよかったと思っている。鍛えられた。

通信教育課程なので、期日までに書類を出して学費を払うと教科書の束が届く。最初に感動したのがこの教科書の束だった。

教科書というと、つまらなくて難しくて、取っつきにくいイメージがある。でも今回届いた教科書は私にとって救世主の束に見えた。

だって科目名見ただけでひっくり返りそうなのに。よく分からないままスタートなのに。「迷いまくり初学者でもこれを読めばOK」という指の引っかけどころが束で届いたんですよ、それも全教科で(当たり前だけど)。

うああ、教科書ってこんなありがたいものだったのか。

教科書とはいうものの義務教育のように検定を受けての学校図書ではない。教える教授が選定したテキストで、市販の書籍もある。

だからといって、一人で「博物館資料論を勉強しよう」「生涯学習論をやろう」と思っても、絶対に適切なテキストにたどり着けない自信がある。教科書が来た時点で払った学費分は取り返した気になった。

読み始めると、レポートのためという気分を押しのけて、全く知らない世界にどっぷり浸かることができて面白い。この課程をやろうと思わなければ意識しなかった世界。勉強ってそうだよね。

学芸員イメージが変わった

昔はたぶん監視員さんと学芸員さんを混同していた。そんな認識からでも学んでいくと学芸員さんの立場が見えてきた。

博物館法などの法令が思った以上に大事

通信教育課程なのでどの科目から手をつけてもいい。でも学修スケジュールとしては全体像から細かな論へ向かったほうがお勧めということで、最初は「生涯学習論」や「博物館概論」から取り組み始めた。

思っていた以上に「博物館法」や「国際博物館会議(ICOM)」などの単語が出てくる。2022年はちょうどどちらも改正や新定義が出てニュースになり、「これのことか」と自分に近づけて考えられた。

それ以外にも資料保管の観点から決められた化学的・物理的な基準、文化財保存の法令、施設の設置基準などなど、守るべきものが数多くある。何となしにブラブラしていた美術館・博物館もこの上に成り立ってると思うと、ありがたみが数倍変わる。

調査・研究の活動が大切、だが時間がない

学芸員さんは自分が思っていた以上に「研究者」であり、施設運営のほか調査研究の時間も必要とする。だが時間とお金がない。

オンライン・スクーリングとも、講師として教えてくれた先生方は現場で実際に展示会を企画して回している人が多かった。ここだけの話として少し愚痴混じりの実情や、ご自身の分野のあるある話も聞けた。

どこも共通するのは、時間とお金がなくてやりくりが大変であること。日常業務の合間に論文も書くとなると、それだけで超人的。

化学的・物理的な知識が不可欠

美術やアートなら文系、考古学や産業博物館なら少し理系、とざっくりとした括りをしていたら大間違いだった。

まず保管・展示には化学的な知識が求められる。その材質の資料ならどんな温度・湿度が適切か。劣化や変色を防ぐにはどうすればいいか。どんな化学薬品が悪影響を及ぼすか。展示でも、来館者が入った状態での温度・湿度管理を考えなければいけないし、照明の照度にも基準がある。

実習では本物の土器を使って、運搬時の梱包やテグス固定の練習をした。物理的なポイントが分からないと失敗してしまう。文系理系だなんていってられない広範囲な業務だった。

経営なども学習の範疇に入っていてびっくり

施設運営や経営、財務的な内容もカリキュラムに入っている。これから学芸員にも求められる科目として加えられたらしい。一番の悩みは「どうやって人に来てもらうか、知ってもらうか」。単館で利益を出すより、地域や他施設を含んで大きく展開する例が好まれる傾向にある。

調査研究をする人がここまでもカバーしないといけないのか…。これで人員や予算が足りないのだから本当に大変だと思う。

通信制+スクーリングの柔軟性に救われる

通信教育課程の場合、必要な単位を取るために各科目で以下のように学修を進めていく(学習ではなく学修だった)。

① まず教科書(指定テキスト)を読む
② シラバスに沿ったレポートを書いて提出する(1科目につき2本)
③ レポ2本出したら科目試験の受験資格ができる
④ 科目試験を受ける(オンライン)

レポート・科目試験とも、評価SまたはABCだったら合格、Dだと再提出。専用のページから提出して評価がつくまでは1カ月ほどかかるので、待つ間はドキドキする。レポートの評価がつくと「よっしゃぁ!」とガッツポーズを決めて科目試験の申込をする。科目試験の評価がついたら無事にその科目はクリア。

また、通信教育課程ではスクーリングが必須。夏期スクーリングのレポートはnoteに書いた。

スクーリングに行くと、いろんな背景の人が学んでいるのだと分かる。すでに施設に勤めていて学芸員資格を必要とする人。美術館のボランティア活動に参加していて、もっと知識を得たい人。保存やアーカイブの仕事をしていて美術や博物資料に情報を生かしたい人。

上記のnoteにも書いたけれど、スクーリングに参加したおかげで「自分×学芸員」という掛け算を初めて自分事として想像することができた。

普段の科目を学修するのは通信制が便利。特に自分の場合、去年の7〜9月は親戚の入院と不幸があって、仕事を含めて全然動けなかった。それでも何とか巻き返せたのは、マイペースで学べるカリキュラムの柔軟性のおかげだと思う。

レポート作成が学びの核になる

私は大卒だけれど、たぶん本当の意味での「レポート」を書かないまま卒業してしてしまった。よく出られたな。今回初めてちゃんと「レポートってどう書くんだろう」と悩んで、作法や書き方を試行錯誤して、レポートとして評価をもらう体験ができた。

仕事の文章とは全然違うフォーマット

最初は、ライティングが仕事なので応用したらどうにかなると思っていた。レポートを少しなめていた。でもシラバスを確認したら何だか違う。想像していた形ではないぞ。

仕事で使っているライティング方法だと、クライアントが伝えたい相手に向けて、考えを分かりやすく書く努力をすればよかった。取材で聞いた話でほとんどを構成できる。調べるとしても話を補強する支えになればOK。

自分のブログだともっと自由で、思いついた順番で書いたり、後から見直して入れ替えれたりしてよかった。何も調べずに記憶と感覚だけで書いても文句は言われない。

でも大学で出すレポートはどちらも通用しないらしい。むしろクリアすべきポイントがいくつもある。

・シラバスにある「課題」を踏まえて論じる
・何について考察するのか最初に明らかにして始める
・先行研究や文献を踏まえて論じる

まず「論じる」とはどんな文章だろう(そこからか)。

出された課題が「テキストをまとめよ」だったら教科書から該当するところを見つけて説明できる。でも「何について語るか」を自分で見つけて考察を求められる課題の場合は、イチから組み立てないといけない。

あと、最初、文献を引用するサジ加減が全く分からなかった。テキストに沿って書くレポートならある程度引用が必要だろうけれど、引用ばっかりで自分の論がゼロじゃダメだとも分かる。…どのくらい混ぜればいいの?

考えて調べる。結果を見て考える。また調べる。それを何往復もさせて2000字や3000字のレポートに仕上げる。首尾は一貫していないといけない。一方的に教科書を読んだり講義を聴いたりするだけではダメで、やっぱり自分でアウトプットに悩みながら苦労するところで学ぶ気がする。

悩んでいるうちに、そういえば普段の生活や仕事では「仮説を立てて論じる機会がない」と気づいた。仕事では仮説なんてもってのほか、コンセプトや方向性は決めてから動かないと仕事にならない。提案をしたとしても必ずどこかに着地させなければいけない。

でもレポートの場合は、自分で「こうではないか」と仮説を立てて、本当にそうなのかをレポート内で組み立てていく。この「レポートで求められている形」をざっくり意識した後、とにかく「CiNii」や「Google ScoLar」で「論文」といわれているものをたくさん見て、バランスを掴んだ。

お恥ずかしいことに、私は大学時代に他人の論文を読んだ記憶がない。担当教官の論文も知らない。だから「論文」というものにちゃんと触れたのは今回が初めてで、それに気づいただけでも学費を払ってよかったと思った。教科書をもらった段階で1回そう思っているので、すでに収支はプラスだ。

アカデミックな土俵に上がるための作法

考察から始めるのも、先行研究や文献をきちんと引くことも、持説をロジカルに述べるのも、どれもアカデミックな土俵に持論を提出するための作法。学究的な議論をしたいのであれば守らなければいけない。

逆にいえば、この作法をマスターして持論を組み立てることができれば、仕事とも生活とも違う領域で話が通じるようになる。外国語を覚えて、その国で自由に話そうとするのに似ているかもしれない。

そう思うと楽しくなってきて、後半は難しかったけれど面白く取り組むことができた。レポートとして出した22本のうち、A評価16本/B評価6本という結果を出せた。

専門家が精査して、返してくれるありがたみ

4月の段階でシラバスを確認して、一番骨がありそう、難儀しそうだと思ったのが西洋美術史のレポートだった。ガチで西洋美術が好きな人たちの知識は半端ない。大学の先生ならなおのこと。

2本ある課題のうち1本は「18世紀以前の作品を選び、社会状況を絡めて述べること」、もう1本は「19世紀以降の作品を選び、表現方法について述べること」。あああ、ちゃんと調べないと全然分からないやつだ。

ただし、山田五郎さんの動画を見ていたおかげで、先生が何を意図しているのか、どの辺のことを書けばいいのかの目安がついたのは助かった。あの動画を見ていなかったらもっと分からなかった。

でも作品選びと組み立てはやらないといけない。レポート執筆は最後まで残ってしまい、2月に図書館を使ってガッと調べて書いて提出した。

するとD評価が戻ってきた。

わー! D! この期に及んでD!

怖々と指導文を読むと、どうも全部書き直しのような酷い話ではないらしい。美術史のレポートとして足りない部分、レポート作法として間違っている部分について指摘があり、どう直せばいいか資料を付けて詳しく説明がなされていた。おおお、プロの目が入った。正規の評価はDではなく、これを直してからつけてくれるらしい。

通るかどうかで科目試験の受験可否が変わるので、気合いを入れて直したところ、A評価が返ってきた。おおお。

そういえば、入学時に読んだ「学修ガイダンス」には「レポートが再提出になってもそれは人格否定ではありません。より良いレポートにするための指導なので頑張って磨いてください」という主旨のことが書いてあった。

これか…。

学費を出すということは、こういったアカデミックな分野のプロから直接教えてもらう権利を得るということ。自分が10代の頃には気づかなかった。勿体ないことしてたなー。

レポートでチートな方法を使うのは、ズルというよりプロのチェックを受けられる権利を自ら捨ててしまう愚かな行為だと思う。お金と時間を使っているのだし、せっかくの機会なのだから拙くても自前の文章でぶつかって教えてもらったほうがいい。今ならそう言い切れる。

西洋美術史での指摘は「美術作品のディスクリプションを書き入れること」「註と参考文献がごっちゃになっているのできちんと分けること」「この出典は年代まで入れたほうがよいこと」などだった。自分だけでは気づかなかった。今後はもう間違えないと思う。この科目を選んでよかった。

目標とは別の収穫

第一目標は学芸員の資格を取ること。これは無事にクリアできた。でも目標以外のメリットがたくさんあった。

まず、この課程をとったおかげで出合った本がたくさんあった。博物館関連もそうだし、レポートを書くために調べた本もある。「このレポートがなければ絶対取り寄せてまで借りないよな」と思う本を、何冊も借りて読むことができた。意識していなかった分野・領域に触ることができた。

2つめに、レポートの書き方を知った。アカデミックな分野での作法の基本を教えてもらえた。今までぼんやりと「知らないんだけど、どうやってるんだろう」と思っていたことが明らかになった。すっきり。

3つめに、実習で博物館の中を教えてもらえた。もちろん限りはあるけれど、資格取得のために学んでいるからこそ許してもらえたエリアや作業があった。お金を出した甲斐があった。

4つめに、自分が調べてみたい分野が見つかった。いろんな論文を読んでいるうちに「この方面はどうなんだろう」と調べるのが面白くなった。仕事の調べものとはちょっと違う。これは続けていこうと思う。

5つめに、新しい自信がついた。国家資格なので履歴書に書ける資格が久しぶりにできた。やれば面白いし、ここまでできるんだな。確かに実際に業務を行っている方々から見ればまだ何もしていないのだけれど、自分の人生では大きな出来事だった。

備忘録として書き始めたら長くなってしまった。

レポートの書き方については、あまりにも仕事とは違うライティングだったので別の場所で紹介したいと思う。

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