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シン・日曜美術館『ジブリの耳をすませば』~転~「自由画検定委員 中篇:雪渡り⑥」


前回はこちら


2019年 7月 フランス
アルザス地方 コルマール



RESTAURANT JAPONAIS NAGOYA
日本料理レストラン ナゴヤ




何だか訳が分からなくなってきた…

いったいこれは何の話なんだ…


すみません。私が余計なことを言ってしまったばかりに。

賢治の『雪渡り』に戻りましょう。


そうだよ。全面的に爺さんが悪い。

こんなんじゃ、いつまでたっても終わりが見えねえ。

尾張名古屋は名ばかりか。


はっはっは。

ダンスフロアーに華やかな光…

『ルカ』と「キツネ」の次は、『法華経』と「キツネ」の話ですね…


そうだ。今度は手短に頼むぞ。

1分くらいでサッと終わる、わかりやすい解説で よろ。


そんなものは ない。


出典:横山光輝『三国志』18巻147頁(潮出版社)


は?


「なぜ狐なのか?」という問題は、賢治のデビュー作『雪渡り』の根幹に関わることです…

1分でわかるような都合のいい解説など、存在しないということ…



わかりました。では教えてください。

『法華経』の中に出て来る「キツネ」とは?


そんなものは ない。


出典:横山光輝『三国志』18巻147頁(潮出版社)


はい?


だから言ってるでしょう…

そんなものは ない!


出典:横山光輝『三国志』18巻147頁(潮出版社)


いや、カリー・オストロさん…

僕は1分で終わるような簡潔な答えをくださいと言ってるんじゃないんです…

そんなものはないことは、もう重々承知なので…


だから「そんなもの」はないんです。

『妙法蓮華経』の中に「キツネの喩え話」なんて。


ええっ?

でもさっき「法華経の中のキツネの話を」って…


私はそんなこと一言も言ってません。

「法華経とキツネの話を」と言ったのです。


おいおいおいおい。

いったいどういうことなんだよ?


『法華経』には『ルカによる福音書』のように例え話がたくさん出て来ますが、そこに「キツネの例え話」はありません。

おそらく『雪渡り』を書く際に賢治の念頭にあったのは…

日蓮が『法華経』について記した五つの書「五大部」のひとつ『報恩抄』でしょう。


ごだいぶ? ほうおんしょう?


日蓮が『法華経』について記した五つの書「五大部」とは、『立正安国論』『開目抄』『観心本尊抄』『撰時抄』『報恩抄』を指し、日蓮宗系団体の信徒にとっては基本中の基本の書。

聖書で例えるなら、旧約聖書の基礎を成す「モーセ五書」、新約聖書の半分を占める「パウロ書簡」のようなものですね。

もちろん賢治も『法華経』同様「五大部」を暗記するほど読み込んでいます。


その「五大部」のひとつ『報恩抄』という書に「キツネの例え話」が出て来るのですか?


出て来るどころの騒ぎではありません。

冒頭のフレーズ、つまり書き出しから、いきなり「キツネの例え話」なのです。


ええっ? 書き出しから?


『報恩抄』の前書きと冒頭部分は、こんな風になっています…


報恩抄

報恩抄 日蓮これせん
建治けんじ二年七月二十一日 五十五歳 御作
身延みのぶに於て


老狐ろうこは塚をあとにせず

白亀はっき毛宝もうほうが恩を報ず

畜生ちくしょうすらかくの如し

いわんや人倫をや


けんじ二年? この頃の天皇の名前は「けんじ」だったのか?


いいえ。今と違って昔は元号と天皇の名前が別々なんです。

ちなみに建治の時代の天皇は後宇多ごうだ天皇でした。


ごうだ天皇?

「お前のものは俺のもの」とか言って臣下の宝物を借りパクしそうな天皇だな。

歌も下手そうだ。



後宇多天皇が人のものを借りパクしたかどうかはわかりませんが、歌は上手かったといいます。

有名な歌い手とコラボしてオリジナルアルバムを2枚(『続後拾遺和歌集』『新後撰和歌集』)も出してますし、息子はあの後醍醐天皇です。


ご、ゴダイゴ天皇?!

『ガンダーラ』とか『Holy & Bright』とか歌ったのか?! 



そんなわけないだろ、Leonard(レオナール)…

話は簡潔に頼むって言いながら、君が一番脱線させているじゃないか。

重要なのは「キツネの例え話」だぞ。


すまんすまん。

確かに『報恩抄』の書き出しは、いきなり「キツネの例え話」だな。


老狐ろうこは塚をあとにせず

白亀はっき毛宝もうほうが恩を報ず

畜生ちくしょうすらかくの如し

いわんや人倫をや


これはいったいどういう意味なんだ?


群れを作らない肉食獣である狐は、子供の頃は親元で暮らしていますが、巣立ちした後は遠く離れた別の場所に自分の巣穴を作り、自分が生まれ育った巣穴には二度と戻ることはない…

しかし臨終の際には必ず、自分が生まれ育った巣穴の方向へ頭を向けて死ぬという…

同じように白亀も、昔に受けた毛宝の恩は忘れなかった…

動物でさえもこうなのだから、人間は言うに及ばない…

という意味です。



キツネは死ぬ時に生まれ故郷へ頭を向けて死ぬのか?

そんな話、初めて聞いたぞ。


もちろん嘘、方便ですよ。

でも昔の人は、そういう風に考えていたんです。


何だよ、嘘か。

いきなり嘘のキツネの話から始まるとは、人間を騙すのはキツネじゃなくて人間自身だな。

で、次の白亀と毛宝の恩ってのは何だ?


モーホーではありません。モウホウです。


爺さん、耳は大丈夫か?

俺はちゃんとモウホウと言ったぞ。


話すと長くなるので、こちらを観てください。

これが「白亀と毛宝の恩」です。



ん?


どうかしましたか?


溺れて川底へ沈んだ主人公を、幼い頃に出会った白亀が助けてくれた?

なんか『千と千尋の神隠し』っぽくねえか?



はっはっは。

確かに似てますけど、たまたまでしょう。


いや、これはたまたまじゃねえ…

白竜ハクのモデルは白亀ハッキだ…


また話を脱線させて…

『千と千尋の神隠し』なんてどうでもいいだろ!


すまんすまん。つい…


日蓮の『報恩抄』とは、題名の通り「恩に報いる話」で始まる…

育ててくれた者や故郷への恩を忘れず、それに報いなさいと…

妹のトシ同様に、賢治も一度は捨てた故郷の家へ帰った…

つまり賢治は、自分も「報恩した」という意識で、狐の物語『雪渡り』を書いた…

そういうことでしょうか?


読みが浅いですね、Jean-Paul O'Cahiermont(ジャン=ポール・オカエモン)…

今まで何を聴いていたのですか?


え?


賢治が故郷の家に帰ったのは「報恩」などではありません…

同志にして最愛の人トシを看病するために戻ったのです…

花巻の実家に戻った賢治は「宮沢家の長男・跡継ぎ」であることは拒み、毎月の宿泊代を払って「宮沢家に下宿する人」という形をとっていました…

だから家業の質屋も手伝わず、父に改宗を迫られていた日蓮宗も断固として捨てませんでした…

そしてトシが亡くなった際も、葬儀が浄土真宗で行われることに抗議し、出席しなかった…


そうだった…

賢治が故郷へ帰ったのは、帰りたくて帰ったわけじゃない…

トシを看病するためにはそうするしかないから帰ったんだ…


なんだよ。『報恩抄』と話が違うじゃねえか。

賢治は人倫が無いどころか畜生以下ってことになる。


そう早合点しなさんな。

あなた方にはまだ法華経と日蓮のことが何もわかっていない。


何だと?


『報恩抄』の冒頭、日蓮はこう続けます。


さればいにしへの賢者 予譲よじょうといゐし者は 剣をみて智伯ちはくが恩にあて

弘演こうえんと申せし臣下は 腹を裂ひてえい懿公いこうきもを入れたり

いかにいわうや 仏教を習はん者 父母 師匠 国恩を忘するべしや


今度は「仏教を習得しようとする者は、父母、師匠、故郷の恩を、忘れてはいけない」ということの例え話ですね。

いろいろ人名が出て来ますが、いったいどういう話なのでしょう?


むかしむかし、春秋戦国時代の晋という国に、予譲(豫譲)という人がいました…

長らく小役人として芽が出ない生活をしていたのですが、晋国の実権を握っていた将軍 智伯(智瑶)に見い出され、側近のひとりとして大抜擢されます…

そして智伯は名実ともに晋国を掌握するためにクーデターを起こし、ライバルの将軍 趙無恤(趙襄子)の軍勢と決戦を行いました…

しかし趙無恤の仕掛けた裏切り工作によって智伯軍は大混乱に陥り、智伯は捕らえられ処刑されてしまいます…


なるほど。予譲は主君の敵討ちをするわけだな。

しかし「恩に報いるために剣を呑む」ってどういうことだ?


武将の買収工作によって乱を制圧した趙無恤は、討ち取った智伯の頭蓋骨を常に持ち歩き、人々の前でそれを盃代わりにして酒を飲むことで、自身の権力の強さを誇示していました…

この戦を辛くも生き延びた予譲は、自分の才能を唯一認めてくれた智伯の恩に報いるため、趙無恤の首を取ろうと誓います…

予譲は漆で全身をただれさせてライ病患者のようになり、正体を隠して趙無恤に近づける瞬間が来るのを待ちました…

何年も、何年も…

そしてついにチャンスが訪れ、予譲は隠し持っていた剣で趙無恤に襲い掛かりました…

しかし、目の前まで迫ったところで取り押さえられ、正体も見破られてしまいます…

処刑の前に趙無恤は、智伯の頭蓋骨で酒を飲みながら、予譲にこう尋ねました…

「なぜそこまでして何年も待ち続けた?戦の後わしの家来になっていれば、いくらでも敵討ちの機会はあったはずだ」

それに対して予譲はこう答えます…

「それでは我が主 智伯の恩を裏切ることになります。たとえ敵討ちのためだろうと、我が主以外に忠誠を誓うことは出来ません」

これを聞いた趙無恤は感服し、死ぬ前に何かやっておきたいことはないかと尋ねました…

すると予譲は、こう答えました…

「趙無恤様の身につけている外套(マント)を頂きたく存じます」

不思議に思いながら趙無恤が外套を与えると、予譲は剣で外套を4つに切り裂きました…

そしてその剣を口から飲み込み、自分を串刺しにして命を絶ったのです…

これが「智伯の恩に報いるために剣を呑んだ予譲」の話…


美しい忠義の話というよりも、激烈すぎてドン引きする話ですね…


まあ、そこは仏教界の激烈士 日蓮ですから。


ん? ちょ、待てよ…

処刑場… 頭蓋骨… そして4つに引き裂かれた外套…


どうした?


なんか、似てねえか?



またそうやって話を脱線させる…


わりーね、わりーね、わりーね・でーとりっひ。


もう1つの例え話のほうは?

弘演こうえんと申せし臣下は 腹を裂ひてえい懿公いこうきもを入れたり」とは、いったいどんな話なのでしょう?


今から2600年ほど昔、衛という国に懿公という王がいました…

懿公は鶴をこよなく愛する平和主義者で、戦争が嫌いな王でした…

しかし衛の国は、北方騎馬民族の北狄に攻め込まれてしまいます…

そして懿公は皆に身体を食べられてしまいました…


え? 主君の身体が皆に食べられた?

みんなで懿公の人肉を食べたってことですか?


ええ。そうです。

そしてそれを見ていた忠臣の弘演は、残されていた主君の肝臓を手に取り、自分の腹を切り裂いて自分の肝臓を取り出し、代わりに主君の肝臓を自分の体内に入れたのです…


なんていう話だ…

さっきの予譲なんか比べ物にならないくらいのドン引き話だ…


ん? 主君の肉を食う?

主君の肉片を体内に取り込むだと?


やれやれ。また脱線か…


まるで、これだな…



は? なにこれ?


間違えた。こっちだ。



そう来るだろうと思った。

しかし『君の膵臓を食べたい』は本当に人間の膵臓を食べるわけじゃない。

例え話だ。「爪の垢を煎じて飲む」と同じ比喩表現だよ。


そんなこと、お前に言われなくてもわかってらァ。

肝臓と膵臓が似てるから言ってみただけだ。

それにしても、なぜ「膵臓」なんだろうな。


は?


恋愛ストーリーなら普通「君の心臓(ハート)を食べちゃいたい」だろ?

なぜ「肝臓」でも「心臓」でもなく「膵臓」なんだ?


さあ…

「肝臓を食べたい」だとフォアグラのことみたいだし、「心臓を食べたい」だとゾンビみたいになるから、特定のイメージがわかない「膵臓を食べたい」にしたんじゃないかな…


ふうむ。それだけの理由だろうか…

何かもっと深い意味が「膵臓を食べたい」にはあるような気がする…


バウッ!


急にどうしたカール?

てか、何を口に咥えてるんだ?


バウッ!バウッ!


なんだ。どっかからパンの切れ端を拾って来たんだな…

俺は要らねえから、お前が食っとけ。


カールが言いたいのは、これのことですよ。


『This bread is my flesh(このパンは私の肉)』
Juan de Juanes(フアン・デ・フアネス)


バウッ!


最後の晩餐?

俺が今しているのは「なぜ『君の膵臓を食べたい』なのか?」という話だ。

イエス・キリストの話じゃねえんだよ。


「膵臓」は紀元前3世紀に古代ギリシアの医学者ヘロフィロスにより初めて同定され、1世紀にエフェソスのルフスによって「pancreas」と命名されました。

ギリシャ語で「pan」とは「パン」、「creas」とは「肉」…

つまり「パンは肉」という意味…


何だって!?


「君の膵臓を食べたい」とは「君の肉であるパンを食べたい」という意味…

なんてこった…


だから主人公カップルの名前は「桜良(さくら)」と「春樹(はるき)」なのです…

聖餐(最後の晩餐)は英語で「Eucharist(ユーカリスト)」と言い、ハルキストのように「ユーカリの木が好きな人」のように聞こえます…

そして聖餐でイエス・キリストの肉体として食べるパン「聖体」は「Sacramental bread(サクラメンタル・ブレッド)」という…


主人公カップルの名前にも、そんな深い意味が…


すべての名前の中には、特別な力が秘められています…

つまり名前、それは…

もえる、いのち…



すべての名前の中には、特別な力が秘められている…

「いと甘し」と書く、白狐の紺三郎にも…


然り。

では話を進めましょう。賢治が「キツネの紺三郎」に込めた思いを…


しかし『報恩抄』で日蓮が言ってることは、『雪渡り』を書いた時の賢治の心境とは全く違ってる。

賢治はちっとも両親や故郷に「報恩」してねえ。


だから言ってるでしょう。早合点しなさんなと。

ここまでの忠孝美談は前フリみたいなもの。日蓮の本領が発揮されるのはここからです。

ここから『報恩抄』の神髄が展開されるのですよ…


ここからだと?



à suivre

つ づ く




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