『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』第7話「君が、嘘を、ついた〈前篇〉」
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スナックふかよみ にて
寄り道はいいから先に進もうぜ。
でも… 僕の直感が正しければ、この歌は…
いいんだよ、そんなことは。
次は大事な場面「すみれとミュウの出会いと恋に落ちるまで」だろ?
まだまだチャプター1の半分にも行ってないんだぜ。
たしかに… そうでした…
次のパートは、この作品の「種明かし」になっている部分…
非常に重要な描写の連続です…
作品のタネ明かし!?そうなの?
・・・・・
うん。では、じっくりと見ていこうか…
このシーンは、いとこの結婚式の席で「すみれ」がミュウと出会い、最近のお気に入り「ジャック・ケルアック」の話をして、それに対してミュウが返答するところから始まる。
ふだん小説を全く読まないミュウは「ケルアック」という名前を聞いてしばらく考え込んだ。
そしてすみれにこう聞き返すんだよね。
「それって、ひょっとしてスプートニクってやつでしょう?」
ホントは「ビートニク」って言いたかったんだけど、文学音痴だったから「スプートニク」って言っちゃったのよね(笑)
そう。そしてすみれはミュウに対し、こう答える…
「スプートニク? スプートニクっていえば、1950年代にはじめて宇宙を飛んだソ連の人工衛星でしょう。ジャック・ケルアックはアメリカの小説家なんだけど。たしかにまあ、時代的には重なっているけど」
この作品における「スプートニク」は「RYE(ライ麦)」の記号であり、両者は交換可能だったよね?
つまりこのセリフでは、『THE CATCHER IN THE RYE(ライ麦畑でつかまえて)』が1950年代に大ヒットし、ブームとなって文字通り世界を駆け巡ったこと。そしてサリンジャーとジャック・ケルアックが同世代であり時代的に重なっている…ということを説明してるというわけだ。
アメリカで『THE CATCHER IN THE RYE』が出版されたのは1951年で、サリンジャーとケルアックは三歳違いだから。
ああ、そういうことだったのか!
すみれの指摘に対しミュウは、スプートニクというのは「その手の小説家」の呼び名のことじゃないかと尋ねる。
二人の会話部分だけを見てみよう…
「そういう、ブンガクの流れの名前。よくなんとか派ってあるでしょう。ほら、ちょうど〈白樺派〉みたいに」
「ビートニク」
「ビートニク、スプートニク……私はそういう用語をいつも忘れてしまうの。〈建武の中興〉だの〈ラッパロ条約〉だの。いずれにせよ、大昔に起こったことでしょう」
「ラッパロ条約?」
この一連の会話、なんか変よね? すっごくモヤモヤする…
あたしの気のせい?
深代ママのせいじゃない。
このシーンの会話は、そもそも全部おかしいんだ。
まったく笑わせてくれるよな村上春樹は。やれやれ。
・・・・・
え!?やっぱりそうなの!?
でも、どうして?
よく考えてみて。
最初にミュウが「スプートニク」の名前を出した時、すみれはそれが「ソ連による人類初の人工衛星」で「1950年代に打ち上げられたもの」であることを説明した。
これって、どう考えても不自然だよね?
すみれは文学少女で、文学以外のことには無関心で、人一倍、世間知らずなんだよ?
なぜスプートニクに関してあそこまで知識がスラスラと出て来たんだろう?
あ… たしかに…
そしてミュウの発言…
彼女は幼少期からピアノひとすじで、フランスに音楽留学し、父の死後は家業の貿易会社を継いだ人間だ。
小説の類は全く読まず、ビジネスにつながる実用書にしか興味がない。
なぜそんな彼女の口から「建武の中興」とか「ラッパロ条約」なんて言葉がパッと出て来たんだろう?
しかも普通なら「建武の新政」と言うところを「建武の中興」なんてマニアックな呼び方をしてみたり、余程の近代史マニアでないと知らないような「ラッパロ条約」なんてものを例に出してみたり…
変だわ、絶対…
これも全て、この小説が全部「ぼく」の嘘だからだよ。
「ぼく」は大学で歴史学を専攻し、小学校の先生になった。
歴史好きの「ぼく」の妄想の物語だから、登場人物が歴史に詳しいんだね…
ああ… なんで昔読んだ時に気がつかなかったんだろう…
そんな単純なことに…
ちなみにサリンジャーも『THE CATCHER IN THE RYE』で似たような手を使った。
あっちは「歴史ネタ」じゃなくて「スペルミス」だけどね。
サリンジャーは、早熟な文学少女フィービーのセリフで使われる単語を「わざと間違える」ことで、あの小説が全部「僕」ことホールデンの妄想だということを勘のいい読者が気付けるようにしておいたんだ。
その他にも、わざわざホールデンに「僕は嘘つきだ」と言わせてみたり、随所で物語が全部嘘であることがわかるようになっているんだけど、そのへんも村上春樹は『スプートニクの恋人』できっちり踏襲している。
そうだったんだ…
「信頼のできない語り手」だもんな。
まさに。『スプートニクの恋人』はカズオ・イシグロの『日の名残り』と全く同じ構造なんだ。
ケルアックは短編集『ロンサム・トラヴェラー(孤独な旅人)』で、自身のルーツがコーンウォールにあることを語っていた。
だからカズオ・イシグロは『日の名残り』で旅の終着点をコーンウォールにした。
『日の名残り』のストーリーは『ロンサム・トラヴェラー』の逆回転バージョンになっているから…
カズオ・イシグロの話は、いいっつーの。
そんなことよりもすみれとミュウの会話を深読みしろよ。
あそこにはもうひとつ重要なことが隠されているだろ。
もうひとつ重要なこと? なあに?
小説の後半部の舞台となるギリシャの島の名前だよ。
小説内では最後まで名前が明かされない秘密の島なんだけど、すみれとミュウの会話の中にヒントが隠されているんだよね。
は? 島の名前?
ハルキ島でしょ?
秘密でも何でもなく、ファンなら誰でも知っているわよ。
それが違うんだな。
「ぼく」が到着してから島の情報がいくつか提示されるんだけど、まず人口規模が全く異なっている。
『スプートニクの恋人』の島の人口は3000~6000人。冬場は島民が出稼ぎに出てしまうから3000人くらいで、夏場は別荘で過ごす人たちもやって来て6000人ほどに膨れ上がる。
ハルキ島の人口は、その十分の一程度なんだ。
そうなの? 知らなかった。
てっきりハルキ島が舞台なのかと思ってたわ。
そういえば、ハルキ島って春木さんの島みたいね(笑)
あそこに別荘持ってます。
ええ⁉ マジで?
冗談ですよ冗談。
あんな何もない超不便な海域に別荘なんて持とうと思うのは、物好きなイギリス人だけです。
イギリス人は変態ですから。
飴ちゃんやろうか? のど黒~飴~♫
チッ…
じゃあ、いったい舞台になった島はどこなの?
あの会話の中のどこにヒントがあったの?
「白樺派」だよ。
は?
だって「白樺派」って、どう考えても不自然じゃない?
「ビートニク」の喩えに「白樺派」はないよね?
普通なら「無頼派」とか「太陽族」になるはずだ。
言われてみればそうよね。
ビートニクって「ニューヨークのアンダーグラウンド社会で生きる非遵法者の若者たちを総称する語」とwikiにも書いてある。
かたや白樺派は「恵まれた環境を自明とは考えず、人生への疑惑や社会の不合理への憤る正義感をすり減らさずに保ち得た作家たち」のことを指す。
すごい。立派な人たちね。お釈迦様とかイエス様みたい。
やっぱりビートニクとは全然違うわ。
なぜ村上春樹は「白樺派」なんて言葉を出したのかしら?
それとギリシャの島と何の関係が?
そのヒントは、白樺派を象徴する「この絵」の中にある。
同人誌「白樺」の表紙の絵の中に…
あ!この表紙、知ってる!教科書で見た記憶があるわ!
でもこの絵の中にギリシャの島の名前が隠されてるってホント?
of course。
では、その秘密を解き明かしてみせよう…
「白樺派」を象徴する絵の中に隠されたギリシャの島の名前を…
つづく
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