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本居宣長が見た「花の雨」

【スキ御礼】
歳時記を旅する13〔桜〕後*上千本中の千本花の雨
芭蕉が見た「花の雨」
西行が見た「花の雨」
秀吉が見た「花の雨」

江戸時代の国学者、本居宣長の吉野の花見もまた、雨に祟られた。

本居宣長は、万葉集に詠まれている吉野の山の花見に行きたいと思ってから二十年間行くことができなかった。

よき人のよしととく見てよしといひし吉野よく見よよき人よく見つ
天武天皇

『万葉集』巻第一「雑歌」

明和九年(1772年)三月五日、思い立ってついに吉野の花見へ旅立つことを決心した。宣長四十三歳の春のことである。
その十日間の記録が『菅笠日記』に残されている。

出発した三月五日、この日は雨で八太という宿場で、早くも吉野の花が心配になり、同行の友(4名)と互いに話を交わす。

春雨にほさぬ袖よりこのたびはしをれむ花の色をこそ思へ
しちしとと降る春の雨に、乾く間もなく濡れる旅衣の袖より、この度はこれから行く吉野の花の濡れ萎れている容色が、気にかかることだ。

三嶋健男 宮村千素『現代語訳 菅笠日記』和泉書院 1995年

翌日の三月六日も雨。萩原という地に宿をとるが、ここでも吉野の花が心配になって眠れなくなる。

今宵雨いたく降り、風激しきに、故郷の空はさし置かれて、まづ花の梢やいかになるらんと、吉野の山のみ、夜一夜安からず思ひ遣られて、いとど目も合はぬに、此宿の主にやあらん、夜中に起き出て、「さもいみしき風雨かな。かくて明日はかならず晴れなん」とぞいふなる。

今宵は雨が、ひどく降り、風も激しいにつけ、故郷の空模様はそのままにして、ともかく花の咲いた梢がどうなるだろうか、と吉野のやまのことばかり一晩中不安に思いやられて、ちょっとも眠れないでいると、この宿の主人であろうか、夜中に起き出して「全くひどい風雨だなあ。これで必ず明日は晴れるだろう。」と、言うのを寝たままで聞き、なんとかしてそうあって欲しいものだと心に祈る。

同上

翌々日の三月八日、いよいよ吉野に入ることになる。
道中も花の咲き具合はどうなのか心配でならない。
これまでも吉野から来る人に尋ねると、「よい時機でしょう。」とか「まだその時機ではないでしょう。」などと言う人もいて期待していた。

 果たして吉野の里の入口に着くと、なんと桜の盛りは過ぎていた。
里の人からは、三日四日前の雨で花は散ってしまったという話を聞かされる。

「この二月の晦がた、いと暖かなりし気にや、例の年の程よりも、今年はいと早く咲出侍りつるを、往にし三日四日ばかりや、盛りとは申すべかりけん。其も雨繁く、風吹きなどせし程に、まことに盛と申つべき頃も侍らぬ様にてなん、移ろひ侍りにし。」
この二月の下旬頃、大変暖かであったからか、例年の頃よりも今年はたいそう早く咲き出しましたが、過ぎ去った三、四日の頃が、盛りと言うべきであったのでしょう。それにしても雨が激しく、風が吹くなどするうちに、本当に盛りと言うべき頃もありませんでしたようで、花が散ってしまいました。

同上

眺めの良い吉水院の境内からは、向かいの山や傍らの谷にも隙間なく多くの桜が見える。その桜が今は青葉がちなのを、大層残念がる。
それでも奥の方にある桜の花は盛りと見えるものも多くあって、気を取り直してか、歌を詠む。

みよし野の花は日数もかぎりなし青葉のおくも猶盛りにて
吉野の花の桜の花は、日数に限りがない。青葉の向こうに桜の花はなお盛んに咲き誇っている。

同上

続く竹林院では、四方を見渡せる高いところに上がって景色を見て、いたく感心して歌を詠む。

花とのみおもひ入ぬるよしの山よものながめもたぐひやはある
桜の花だけが、美しいと思い込んで分け入った吉野山ではあったが、四方の景色も他に比べるものがあるだろうか。

同上

花の盛りが見られなかった悔しさもあろうと思う。

☆宣長が訪れた「吉水院」は、今の「吉水神社」。やんまあ さんが詳しいレポートをされています。ご紹介します。

(岡田 耕)

*参考文献(引用のほか)
有岡利幸『ものと人間の文化史137-2 桜Ⅱ』法政大学出版局 2007年
『近世歌文集 下 新 日本古典文学大系68』岩波書店 1997年


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