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芭蕉が見た「花の雨」

【御礼】#日本史がすき 応募作品の中で、「秀吉が見た「花の雨」」が
先週特にスキを集めました!とのことでした。


松尾芭蕉は、吉野を二回訪れている記録があります。
一回目は、一六八四(貞享元)年、九月。独りで吉野山に入ります。
目的は、西行の遺跡を見ることにありました。

 独よし野ゝ奥に辿りけるに、まことに山深く、白雲峯に重り、烟雨谷を埋んで、山賤の家処々に小いさく、西に木を伐音東にひゞき、院々の鐘の聲は心の底にこたふ。

「野ざらし紀行」『芭蕉紀行文集』岩波書店 1971年

烟雨とは、けむるように降る雨、霧雨のこと。
雨に遭いましたが、秋の吉野山の幽邃な景色だったと思われます。
このとき、奥千本の西行の庵の跡を訪ねて、

 露とくとく心みに浮世すゝがばや

の句を残します。
「とくとく」とは、西行庵の近くにある「とくとくの清水」のことで、西行作といわれる「とくとくと落る岩間の苔清水くみほすほどもなきすまひかな」という歌を踏まえています。

二回目は、四年後の一六八八(貞享五)年、三月十九日から三日間、杜国とともに吉野の花見に赴きます。
ここでも、西行の庵を訪れて、ふたたび「とくとくの清水」にて

 苔清水
春雨
のこしたをつたふ清水哉

「笈の小文」『芭蕉紀行文集』岩波書店 1971年

の句を残します。
とくとくの清水のまわりの木の下では、春の雨が幹を伝って垂れてきているというのです。

芭蕉が訪れた秋も春も、雨の吉野山を見ていたことになります。

西行庵のとくとくの清水については、水田 壮彦 さんが詳しく写真付きで記事にされていますので、ご紹介します。

(岡田 耕)


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