見出し画像

秀吉が見た「花の雨」

【御礼】#古典がすき 応募作品の中で、「西行が見た「花の雨」」が先週特にスキを集めました!とのことでした。


 豊臣秀吉は、文禄三年二月二十七日(新暦四月十七日)から五日間にわたって、吉野山で花見を開催しました。

秀吉が、絶頂の勢力を誇った文禄3(1594 )年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れました。しかし、この年の吉野は長雨に祟られ、秀吉が吉野山に入ってから3 日間雨が降り続きました。苛立った秀吉は、同行していた聖護院の僧 道澄に「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と伝えると、道澄はあわてて、吉野全山の僧たちに晴天祈願を命じました。その甲斐 あってか、翌日には前日までの雨が嘘のように晴れ上がり、盛大に豪華 絢爛な花見が催され、さすがの秀吉も吉野山の神仏の効験に感じ入ったと伝えられています。

吉野町ホームページ

文禄三年二月二十九日(新暦四月十九日)、雨が降り続く三日目、世に「文禄三年吉野山御会御歌」とよばれる歌会で、秀吉が詠んだとされる歌

 乙女子が袖振る山に千年へて
 ながめにあかじ花の色香を 

『吉野花見和歌百首』/秀吉〔ほか 撰〕早稲田大学図書館

この「ながめにあかじ」は「眺めに飽かじ」と「長雨に明かじ」の掛詞なのでしょうか。
この日は、秀吉の苛立ちもピークに達していると思われますが、これが本当に本人がこの日に詠んだ歌だとしたら、結構、冷静に雨を詠み込んでいるのではないでしょうか。

奈良県立図書情報館 さんの記事に、江戸、明治期に出版された吉野山の桜の絵図や、吉野山の定点カメラの動画があります。雨の吉野山もすこし映されています。お薦めです。

(岡田 耕)


この記事が参加している募集

古典がすき

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?