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【子を持つ親にみてもらいたいお話】



ストーリー



少し独自性のある個性を持った男の子。
男の子は、我慢強く
数年間にわたり痛みに耐えてきた。

たくさん書いた『苦痛』を訴える文字。
あやまった行動を示すも
誰にもその声は届かず。

開かれた「謝罪会」の末、
15歳という若さで自らその命を絶った。

問題点


まず先に、私は他者とは違う考え方を持つ人間だ。

しかし、他者とは異なるからこそ、見えるものもある。

・人とは
・多数決意識
・学校とは
・いじめを受けていた先生がいない
・加害者の親
・被害者の親

上記であげた6点がこの件には深く問題がある。
私はそう感じた。

人とは


前提として
人とは『ある一定の条件下で攻撃的な生き物』であると私は思う。
・戦争と紛争
・いじめ
・パワハラ
・誹謗中傷など
これらは全て人が作り出している。
理由はどうあれ結果として起こる『出来事』である。

感情要素で言えば、
「怒り」「恐れ」「嫌悪」「悲しみ」と言ったところではないだろうか。

つまり、全世界の人間からこの感情をなくさない限り
上記で述べた『出来事』の撲滅は不可能だ。

つまり、加害者にどんだけ重い処罰を課せようが、出来事はなくならず、
被害に遭うという方が出てしまえば「撲滅する」観点では諦めざる負えない。※重い処罰は最低限の抑止力にはなりうる。

多数決意識


学校生活を振り返れば、何かを決める時など「多数決」が多くとられる。
これは国においてもそうだ「投票=多数決」だ。

ここで大事なのは多数決がダメというわけではない。

ただ、数多い「多数決の決定の経験」は、
「多数決=正しい」と誤認しやすい。

例えば10人の村に、善人が3人・悪人が7人だった場合、
村の方針を決める時、それは本当に正しい事が決まるのか?
それを考えたとき、初めて多数決の欠点に気付くと思います。

『沢山の人が思っている事は、必ず正しいとは限らない』
それを子供たちに教えるのも大切な事だ。

いじめは「集団化」しやすい。

誤認したままの子供が大人になることが何より私は恐ろしい。

・学校とは


日本の義務教育の中で注意してみないといけないのは、
「一定の年齢まで学校に通うという事だ」
一見、それは国のサービスであり、個人の学力向上、国全体の質の向上にも繋がります。
しかし、子供が「選択肢を選びにくい」という裏返しでもある。

広い目で見れば、世の中には中退の方も多くいらっしゃるし、それが悪いとも私は思はない。ただ、『中退でも大丈夫』なんだと知る子供は少ない。

また、それらを踏まえて「学校に行きたくない」というお子さんや、
「学校に行かせたい親」の思いや考えの開きが出てしまう。

その開きにより、親からの期待により、応えようとする子供が、
「行きたくない」と言えず、苦しむのではないだろうか。

そして、その「行きたくない」の言葉の裏にある理由を吸い上げられなくなるのだ。つまり、吸い上げられないという事は、問題が浮上せず、解決する事も考えられないという事。

・義務教育の中で一定年齢まで学校に通うという考えが強い
・中退でも大丈夫と知る子供は少ない
・子供と親の思いや考え方の開き
・「行きたくない」の裏に、理由があり、「行きたくない」と言える環境である事。
・学校に行かなくてもいいという選択肢の考え方。

・いじめを受けていた先生がいない


私の中で、ここは重要だと感じている。
まず先に、教師になろうとすれば、資格はもちろん学校生活を必要とする場合が多い。
教師とは「学校生活の中で、支障なく過ごしてきた」人が大半だと私は考える。

いじめを受けたことがある人は、そもそも学校が嫌いで苦手な場所だ。
つまり、嫌いで苦手な場所で、大人になっても働こうと思う人はいないという事であり、いじめを受けている被害者の立場になれないという事でもある。

いくらいじめはダメだと勉強会や話し合いの場を設けていたとしても、
被害者の目線にはなれない。

例えば、
歯の痛みを経験したことない人に「歯がズキズキ痛む」と訴えても、
その痛みを経験したことない人にとって、その痛みはわからない。

つまり、根本的にいじめ問題を教師には解決できない事となる。

もし仮に、教師側にいじめ問題を解決させる方法があるとするなら、
いじめ被害経験のある者をその狭い世界の中に参入させ、
勢力として成り立つ人数または権力が必要である。
そこから、いじめに対する『知恵』が出ると私は思う。

また、日頃ニュースを見ていたら、教師には女子生徒に悪さをするという変態も多い。「学園生活」という中に、別の何かしらを求めて集まっているのも現状なのだろう。

しかし、それらを踏まえたとしても大切なお子さんを預かっているという気持ちは最低でも持ち合わせていなければいけない。

・学校の先生には経験者がいない
・未経験者にはわからない、伝わらない事がある
・変態もいる
・最低限の配慮を持ち合わせていなければならない


・加害者の親


加害者の親の目線で見てみましょう。
自分の子供が例え悪いことをしてしまったとしても、可愛い子供です。
庇いたくも、その問題すらも否定してしまうのも自然な事のよう気もします。

しかし、福沢諭吉の名言の中に
自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり
つまり、手の届く範囲で、他者に危害をなどをあたえない程度に自由であるという事。大事な事です。

また、いじめの感情要素でもあげたが、いじめの原因は『怒り』の要素が強いと思います。

私は、いじめる子は『怒り』を常日頃から持っていると感じています。
・家庭環境
・親からの期待
・学校への不満
などが、あげられます。

家庭環境
・頻繁に両親がケンカしているのを見ている
・理不尽に親から怒られる

親からの期待
・いい成績、結果などを期待される

学校への不満
・つまらない
・行きたくない

他にも様々な事が考えられるが、
これらは、目に見えない『怒り』に繋がりやすい。
そして、その『怒り』は弱い立場の人に向けられやすい。

ひとつの『怒り』のきっかけは自分より弱い誰かに向けられ、
その風景は、集団化し
多い数の人の決定ならやっても大丈夫と間違った集団行動に繋がる。

この世から『怒りを消すことは不可能です』
しかし、まだ怒りが小さい内に、次の怒りに繋げないよう心がけが必要です。

自ら、いじめて欲しいと望む子供はいない。
誰かの『怒り』がいじめのきっかけとなる。

・悪いことをしても自分の子供は可愛いし守りたい
・子供に『怒り』を生み出させない
・出来事は、誰かの『怒り』がきっかけである
・子供に教える自由とは他者に危害をなどをあたえない程度だと教える。

・被害者の親


まず先に、私の学生時代の話をします。
私には3歳離れた妹がいる。
高校生のある日、自分の部屋に戻ると妹から手紙が机に置いてあった。

学校でいじめられている事、その内容。
過度なストレスにより体に帯状疱疹が出来た事が書いてあった。

私は、いじめている子らに対して『強い怒りと殺意』を感じ、
妹に迫る様に、「どこのだれ?」「早く教えろ」と問い詰めた事があった。

聞き出して、いじめている子らを殴り殺してやろうと思ったからだ。

しかし妹は、泣いた。
仕返ししてほしいとか、そういう事ではないんだと…

当初でも述べたように、
人間は『ある一定の条件下で攻撃的な生き物』だと書いたように
私にとって「家族への攻撃は相手を攻撃する条件になる」

しかし妹はどうだろう
自分が攻撃されているのにも関わらず、ただただ「打ち明けたかっただけ」だと涙する姿を、私は忘れない。

その後、家族みんなで話し合い、妹は転校した。

私は、被害者は「優しい人」であると考える。

反撃したいわけでもない、傷つけられた相手を傷つけたいわけでもなく、
聞いてほしい、そして、ただやめて欲しいだけ。

しかし、それらを自分ひとりではどうすることも出来ず、
悩み苦しみそれらは、自身の人格否定すらも引き起こす。

学校は、他者を傷つけない人間が、生き苦しい世界であってはならない。

しかし、
「傷つけられない=誰かの『怒り』から自身を守れない」が成り立つ。

だからこそ、
聞いてあげる事、
理解する姿勢である事、
自身で守れる知識や行動が身につくまで見守る事が大事だと感じます。

私自身、いじめによって子供をなくす親の気持ち、全てはわからない。

ただ、自然界でも草食動物の子供が、肉食動物に襲われ、
草食動物の親が身を挺して守り、逃がす行動のように。

その場所から、『逃げ出させる』という選択肢もあったほうがいい。

捕食される姿をただ見ていては、ただただ辛い。

・優しい人間は成長するまで、自身で自身を守れない
・ある一定の条件とは人それぞれ
・他者を傷つけない人が生き苦しい世界であってはならない
・逃げ出させる事も視野に

まとめ


・人とは『ある一定の条件下で攻撃的な生き物』
・沢山の人が思っている事は、必ず正しいとは限らない
・いじめは「集団化」しやすい。
・義務教育の中で一定年齢まで学校に通うという考えが強い
・中退でも大丈夫と知る子供は少ない
・子供と親の思いや考え方の開き
・「行きたくない」の裏に、理由があり、「行きたくない」と言える環境である事。
・学校に行かなくてもいいという選択肢の考え方。
・学校の先生には経験者がいない
・未経験者にはわからない、伝わらない事がある
・変態もいる
・最低限の配慮を持ち合わせていなければならない
・悪いことをしても自分の子供は可愛いし守りたい
・子供に『怒り』を生み出させない
・出来事は、誰かの『怒り』がきっかけである
・自由とは他者に危害をなどをあたえない程度
・優しい人間は成長するまで、自身で自身を守れない
・ある一定の条件とは人それぞれ
・他者を傷つけない人が生き苦しい世界であってはならない
・逃げ出させる事も視野に


このニュースは、子を持つすべての親に該当する内容だと感じています。
ただ、わかっていても、抑止していても全てを取り除くのは難しいでしょう。結局、「いじめ」をしていた人が大人になり「パワハラ」となりえる話で、言葉が違うだけでこの世には『攻撃』が溢れている。

この記事も、『現代社会』に向けたひとつの攻撃であるように…

だけど、そのような出来事がひとつでも減るように、
社会全体で変わっていけたらいいのにな。

お花の騎士

この記事を作成するきっかけとなったニュース

学校の「謝罪会」が被害者を糾弾する場に…埼玉・川口市 生徒いじめ自殺(2023年8月5日)

https://youtu.be/PhWYYfZFpKY?si=RpCos86hQvC6hAlq


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