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【目印を見つけるノート】540. ロシュフォールの姉妹たち

こんばんは。
ふう。
今日は見直しという名の書き加えが半端なく、小説の更新が遅くなってしまいました。
不思議なのですが、ときどき、
書いているのに一歩も進んでいないような、
無の状態でひたすら打っているような、
まったく自分でコントロールできないような、
もっと言うと、自分が書いているのではないような、
それでハッと気づくと何千字かできているような、
そんな状態になることがあります。
一種のトランス状態なのかもしれませんが、
個人的に『戯作三昧』状態と名付けています(by芥川龍之介センセイ)。
芥川センセイがあの作品で描いた滝沢馬琴センセイの書く様子に、「そうそう、これこれ、これが分かっている方がいらっしゃったのか」と感動した記憶があります。
僭越千万ですね。
うふふ。

この状態になれるのはとてつもなく幸せなことだと思っています。
明日は遅くならないようにしますね。


最近、妹と連絡を取っていないなあと思います。私は下のきょうだいが多いのですが、女子は彼女だけです。生まれたときから転がして遊んでいたので(!)、こんな年齢になっても彼女のイメージの原型は5歳ぐらいで止まっていたりします。
20歳ぐらいまではうらやましいと思っていました。愛らしいから、したいと言えば習い事もたくさんさせてもらえて、怒られることもない。ただ、いろいろあってそんな感情はどこかへ吹っ飛んでいきました。性格も違うから、お互いうまく距離が保てるようになって今は友だちみたいです。それに、小さい頃こうだと思っていたキャラ付けがまったく違うことに気づいたりもするのです。
妹がいろいろ習い事をするのは、自分で納得がいくまでチャレンジしたいからなのだなと気づいたり。自分にしても三日坊主だと思っていましたが、合うものならばいつまでもやっていたりします。
この前子どものことでも書きましたが、お互いを違いのあるひとりの人間として見られれば、ストレスになるようなこともないのかなと思います。
おーい、元気かな。

そんなことを思うのは、
違う形の姉妹の方を思い出したからです。
ものすごく架空に近いぐらいぼかしますが、
お互いをライバルだと考えていて、
成績とか、習い事とか、学校とかを比べて、
結婚したら夫の学校とか、会社とか、子どもをどこで産むとか、収入とか、車とか、家とか、長じては子どもの学校とか、就職先とか、もっと言ったら自分の知人が有名だとか、有名な医者にかかったとか、そのようなことを全部比べているのです。
もっとも、これは姉妹という関係に限らず、男女に限らず、しばしば見られるものでもあります。
その人が好きでやっていることならば、他人が口をはさむものではないのですが、それは本当に幸せなのだろうかと思うことはあります。

自分にそのような要素がないかと言われれば、ありますあります(苦笑)。ありますが、私はハナから負けでいいやって思っています。言うなら妹にも負けでいい。それで嬉しい。私には私の幸せがあって、それは誰かに勝つことではないからです。

フランスの女優、カトリーヌ・ドヌーヴさんはフランソワーズ・ドルレアックさんというお姉さんがいて同じく女優をされていました。お姉さんは私などがその経歴を見てもとても優秀で、カトリーヌさんはそれと比較してずいぶん落ち込んでいたそうです。そのお姉さんは20代半ばに事故で亡くなりました。カトリーヌさんはとてもショックを受けて後悔したそうです。
そのように大事な肉親を亡くしてしまったら、比べてどうのこうのなんて吹っ飛んでしまうでしょう。
あるがまま、そこにあることを喜びあえるなら、それがいいなあと思います。それがどれほど素晴らしいことか。

お姉さんが亡くなった年に、姉妹が共演した映画のトレーラーを。
『ロシュフォールの恋人たち』

ふたりともとても美しいです。
しかし、60年代のファッションは本当に垂涎です。こういうのが着られることにジェラシー三昧です❤️

このテーマについてはもうひとつ、サマセット・モームの『獅子の皮』という短編の話もしたいのですが、文字数もかさんできましたのでこの辺りで。また改めます。これからまた見直しです。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽


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