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【目印を見つけるノート】1441. 人は盛りばかりを見るものかは

きのうPoguesを出しましたが、こちらはファッションがらみのニュースです。おしゃれなので出します❤️

けさ、
Allen Ginsburgさんが「100歳まで生きたい」とおっしゃっている動画をSNSで見てから検索して、Gary Snyderさんがいらっしゃると思いました。

きのうは「人は奥深いものだな」と感じることが多い1日でした。

図書館でスタンダール(本名はマリ=アンリ・ベール)の本を取って肖像を見たのです。ネットによく出ているのとは違うものでしたが、俗な表現をすればぽっちゃりしていました。以後よく見られるような顔つきになるのにはそれなりの変遷があったのだろうと思いました。肖像画で見る限り、悪くない変わりかたですが。
フランスの政治の変化による紆余曲折が大きいでしょうし、あるいは女性関係もあるのかもしれません。女性たちは彼にはとても重要な存在だったようですので。

あ、目的は肖像画ではなくて『イタリア紀行』でした。あしからず。いい図書館ですね。探して見つかる。
イレーヌ・ヴァジェホさんの『パピルスのなかの永遠』は、区内の図書館に3冊あるものの、すべて貸し出し中でした。イレーヌさん、見田さん、読まれていますよ~とつぶやきます。

もとい、
スタンダールの肖像を見て「人はどのように老けるのがいいのかな」などと考えてみるのでした。文豪に限らず、老けるのは人間の必定ですからね😉
映画でスタンダール作品はじめ文豪作品の主役を演じたジェラール・フィリップのようにはいきません。彼は早く亡くなってしまいました。妻一筋で浮いた話もなかったようですし。

そして、続く講演になだれこむのでした。

講演はこちらです。

『尾﨑士郎と坂口安吾~二人の戦後文学~』

大森在住の小説家・尾﨑士郎と蒲田在住の小説家・坂口安吾の交友は、一九三六(昭和十一)年、尾﨑邸で酒を片手に文学論を交わしたことから始まり、一九五五(昭和三十)年に安吾が世を去るまで続きました。二人の出会いから、戦後の士郎と安吾の作家生活、そして士郎が中心となった安吾の墓碑建立の経緯などを紹介します。
(上記の講演会チラシより抜粋)

『馬込文士村』というのが大森から馬込一帯にかつてあって、作家や文化人が居を構えていました。田端、荻窪、鎌倉にも同様のものがありますね。『人生劇場』で有名な尾﨑士郎はその中心人物なのですが、あまり知られていない坂口安吾との交流を紹介するのが今回の講演のテーマです。

まず、坂口安吾さんが蒲田(当時は堤方、安方という地域)に住んでいたというのにびっくりしました。「おらが村の~」というわけではありませんが、ものすごくご近所でちょっと嬉しい。この頃から無頼の風で😅

固有名詞が分からない場合もあるかと思いますが、大丈夫です。私も分かりません。『文スト』ご存じの方はいくらかハードルが下がるのかな🤔

尾﨑さんと坂口さん、仲良くなるきっかけは「決闘」だったそうです。士郎さんのお師匠さんの徳田秋聲さんのことを安吾さんが酷評したので、怒って「決闘だ」と。ただ、実際は決闘になどならず、二人は意気投合したそうです。
当時の小説は今のように単行本を出すかたちより、同人誌に発表するのが普通でした。印税の制度もほとんどなく、原稿料が作家の収入でした。
そのような時期、尾﨑さんは『人生劇場』を新聞に連載していている売れっ子でしたが、坂口さんはまだという感じ。

直後の戦争がすべてを変えてしまいます。

戦後、文学者の戦争協力者として尾﨑さんは公職追放となり、坂口さんは打ちひしがれた日本人を立ち上がらせるように『堕落論』を書き、一躍時の人となります。いっときは袂を分かっていた尾﨑さんとの交流もしだいに復活します。さきのチラシの一葉は一緒に同人誌『風報』を立ち上げての座談会のときのものです。左が坂口さん、中央が士郎さん、右は尾崎一雄さんですね。

坂口さんはよく太宰治さんとともに語られることが多い。確かにテーマの取り方や文章に通じるところはあるかもしれません。ただ、長く交流していたかというとそうではないようです。太宰さんは井伏さんの方が長いでしょう🤔

翻って、私たちもそうですね。
共通点があるからといって長く付き合える保証があるわけではありません。『アナと雪の女王』のサンドイッチのようなものです。むしろ、細部で違うところを長い時間をかけて認め合い、たとえ一度袂を分かつことがあっても、お互いに必要な存在となっていくというのが自然で望ましいように思います。
そのような意味で、文学の区分けとしては前後していても尾﨑さんと坂口さんは真の友人だったのでしょう。

そうして尾﨑さんは戦前の作品が映画などでリヴァイヴァルされたのもあって、道に戻っていきます。ですが今度は坂口さんが多忙のあまり健康を損なってしまいます。その辺りはご存じの方も多いでしょう。尾﨑さんは坂口さんの身を案じて、別荘のある伊東での静養をすすめます。坂口さんも別荘を建てて、束の間の穏やかな日々を過ごします。

しかし、坂口さんは1955年に脳溢血で他界します。その葬儀委員長は尾﨑さんでした。
また、坂口さんは遺言書の証人を奥さまと尾崎さんにしていました(※誤りがありましたので修正しました)。
加えて、尾﨑さんは坂口さんの碑を新潟に建てるのにも尽力したそうです。

通して語って下さった尾﨑士郎記念館学芸員の黒崎さんは最後に、「馬込文士村」のメンバーに坂口安吾を加えてもよいのではないかと締めくくられました。そうですね、ぜひ。

桜のつぼみ🌸

聞いて思ったのは、
作家は作品で語られるべきだというのが前提だと思うのですが、書く人の紆余曲折なり環境は作品に作用します。私が高校の頃に、皆さん太宰さんの『人間失格』を感想文で取り上げていました。「文豪の有名な作品だから」と読んだ人は少なからずいたのかとも思いますが、作品のあらすじではない部分を知ることで一歩踏み込んだ読み方ができる場合もあるのではないかと思います。
そして、私個人の話になりますが、
そもそも作品のあらすじより、書いた人の人生を追ってみたい欲求が強いのかと思いました。
リアルな人の人生は複雑で興味深いです。
あわよくば書いてみようぐらいの😱

人の印象は年齢や環境によっても変わりますが、それを経てなお残るものがその人の本来の姿であるように思います。それは、顔とか体型とか出で立ちだけではなくて、人とのかかわりで生まれる「純粋な意思」というようなものかとも感じます。

うわあ、すごい。
アップです。

きのうはそのように、時と人の奥深さを知った一日でした。

楽しい講演会でした。
ありがとうございます。

それでは、今日の曲です。
Peggy Lee『What's New』

この曲は……複雑です。
「最近どう?」と久しぶりに会った異性に繰り返すのですが、
アデュー以外ははっきりした結論を示していないので、何パターンもストーリーが考えられます。歌う人もそれぞれ解釈しているのではないかと思います。
「再会したけれど戻ることはなかったふたり」というのは同じだと思いますが、そこにいたるいきさつや環境は無数にありうるでしょう。

インストも名演が多いですが、素敵な曲です。

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

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