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【世界遺産・短編小説】「八幡女のニセ札騒動」前編


明治日本の産業革命遺産ミステリー小説
新人ミステリー作家の登竜門『このミステリーがすごい!』大賞受賞者をはじめとした新進気鋭のミステリー作家たちが、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の地を実際に訪れて短編のミステリー小説を書き下ろし。広域にまたがる構成資産を舞台とした物語をミステリー作家陣が紡いでいきます。
ものづくり大国となった日本の技術力の源となり、先人たちの驚異的なエネルギーを宿す世界遺産を舞台にした不思議な物語を通じて、この世界遺産の魅力をより多くの方に感じていただき、価値が後世に繋がっていくことを願っています。


八幡女のニセ札騒動

新川 帆立

 玄関のベルが鳴るなんて何年ぶりだろう。ここには保険の勧誘人も、布団のセールスマンもこない。ずっと居留守をつかっていたら福祉の人もこなくなった。指を折って数える。十、十一、十二……すくなくとも十五年くらいは、誰も訪ねてきていなかった。
 肩にかけていただけの浴衣に袖をとおし、床に転がしてあった小倉織こくらおりの半幅帯をきゅっとしめる。すっかり薄くなった髪を片手でなでつけ、よろめきながら玄関に向かった。
「はァい」思った以上に朗らかな声が出た。

 たてつけの悪い引き戸をひと思いに引くと、あたしより頭一つ低いところに、丸い顔が見えた。十歳くらいか。半ズボンと白いTシャツを着て、ナイロンのリュックを背負っている。
「あっ」と、目の前に立つ少年が声をもらした。目をいっぱいにひろげて、こちらを見ている。「すんません、えーっと、おばあさんが……えー」
「なんの用ね?」ぎろりと見かえす。
少年はヒィとおびえたような声をあげ、肩をすぼませた。
「おばあさんが、伝説の女スリ、里見さとみさとだって、本当ですかッ?」
 勢いこんだように少年は声を張りあげた。その鼻先に叩きつけるように、あたしは引き戸をぴしゃりとしめた。
「えっ、ちょっと、待ってください。えっ。おばあさんがあの『弁天おさと』じゃないんですか」
 引き戸の向こうで小さい影が騒いでいる。
「野次馬はうせな」
 つばをとばしながら言って、きびすを返そうとしたそのとき、
「ぼく、丹沢たんざわ慎吾しんごっていいます。丹沢刑事の孫です。小学五年生です」
 息がとまるかと思った。
 引き戸にふたたび手をかけ、おそるおそるあける。
 真っ黒に日焼けした、焼きおにぎりのような顔が得意げに笑っていた。
「お話をきかせてもらえませんか。じいちゃんについて調べているんです」
「夏休みの自由研究かなんかね?」
「いやっ、えー、そうじゃなくて」慎吾はモジモジしながらうつむいて言った。「ただ気になって、調べてるんです。だから、だいじょうぶです。学校の先生にも言わないし、警察にも言いません」
 心にひろがる苦いものを感じながらきいた。
「……丹沢さんは、元気しとると?」
「じいちゃんは、先月、死にました。八十八歳、老衰でした」
「そうか」短く言って、息をはいた。
 あたしらくらいの歳になれば元気もなにもない。くしの歯が欠けるように知り合いがどんどん死んでいく。いまさら同情したり、悲しんだりしない。ただ、家族に見守られながら苦しまずに逝った人の話をきくと、そういう人生を歩んでみたかったものだと少しうらやましく思う。
「言っておくが、サツの前に出されても、こっちにはなんの弱みもないけんね。これまでやった犯罪は、全部自白して、懲役したもん。あわせて十九回刑務所に入ったんや。被害者の人たちには悪いことしたと思っとる。けどいまはスリをすっぱりやめて、働いて、この家を建てて、年金で細々暮らしとる。そりゃあ道のまんなかを歩ける身の上ではないにしても、お天道様に顔向けはできる」
「ニセ札のことも、警察は知ってるんですか?」
「ニセ札?」
「これです」
 慎吾はリュックを前向きにからって、その中からビニール袋をとりだした。
 あたしは首をかしげながらあごを突きだし、ビニール袋の中を見た。
 千円札が一束入っていた。
「手にとって、見てみてください」
 慎吾にうながされるまま、ビニール袋に手を突っこみ、それをまじまじと見る。
 聖徳太子の千円札だった。
 昔はこれが大金だった。小学校の先生の初任給が二万円くらいだったはずだ。モノクロのテレビの前にむらがり、洗濯機の絞り機ハンドルを力いっぱい回し、留守電もない黒電話の前で友達からの連絡を待つ。そういう娘らしい娘時代をあたしは送らなかったけど、国鉄のプラットフォームでひろった婦人雑誌を食い入るように読んだものだ。
「千円札が百枚、十万円分あります」
 慎吾が淡々とした口調で言った。
「じいちゃんがタンスに入れて、持ってたものです。身体が悪くなってきて、もうやばいぞってなって、入院することになったんですけど。病院に行く前の晩、じいちゃんが僕を枕元に呼んで、言いました。『タンスの一番下、左奥の箱に入っとる札束、あれはニセ札や。誰にも見つからんうちに、焼いて捨ててしまえ』って。僕は驚きました。だってじいちゃんはずっと刑事をしていて、ズルは絶対に許さない人だったから。怖かったけど、自分にも厳しかった。毎日同じ時間に起きて、同じ新聞を読んで、散歩をして、掃除をして。死ぬ直前まで、きちんと、真面目に、暮らしていた。ニセ札なんて隠し持ってるわけないのに」
「あの人がどういう刑事だったか、知っとるんね?」
 慎吾はこちらの反応をうかがうように上目遣いをしながら、うなずいた。
「じいちゃん本人は何も言いませんでしたけど、ばあちゃんが自慢してましたから。四十年くらいの刑事生活の中で、ホンブチョーショーってのを何百回ももらってるそうです。スリ逮捕競技コンクールで全国一位のレジェンドで――」
 その先はあたしが引き取った。「この『弁天おさと』を唯一捕まえることができた男、『掏摸もさかかりの鬼』といえば、丹沢光亥みついだよ」
 坊主頭で銀縁眼鏡、小柄だがたくましく鍛えられた男の背格好が脳裏にうかぶ。顔をしじゅうほころばせて人をそらさない愛想のよさがあった。だが目だけはスンと冴えている。いつの間にかすぐ横にいて、「アンタ、またやったね」と笑いかけてくる。
 一度ふたを開けると、つい昨日のことのように記憶がよみがえった。
 初めて会ったとき、丹沢刑事は比翼仕立ての灰色のコートを着て、黒っぽいハンチング帽をかぶっていた。そうあれは寒い日だった。
 二月だった。それも、今からちょうど六十年前。
 世界でも類を見ない五市合併でこのあたりが湧いていたころだ。
「ちょいと、外を歩きながら話そうか」
 慎吾にそう声をかけて、草履に足をとおした。

 
 戦争の真っただ中にあたしは生まれた。
 父は出征先で死んだという。母は、まだ首もすわっていないあたしを腕に抱いて、八幡やはた空襲のなかを逃げ惑った。官営八幡製鐵所せいてつしょを第一目標として、B‐29が初めて投入された空襲だった。
 いまは市立中央図書館が建っている場所、あそこには昔、小倉陸軍造兵廠りくぐんぞうへいしょうがあった。あたしには年の離れた兄が二人いたらしいが、二人とも学徒動員で造兵廠にいたところ、B-29の直撃弾を受けて死んでしまった。
 母は命からがら、着の身着のままで、なんとか終戦を迎えた。といっても、幼子がいてはまともな仕事につけない。若松わかまつにあった親戚の家にあたしを預けて、戸畑とばたへ働きに出るようになった。最初の数年は毎週末、ポンポン船に乗ってあたしの顔を見にきてくれた。だけど、あたしが五歳になるころから母がやってくる回数は減り、いつのまにか音沙汰すらなくなった。外に男ができて、どこかで新しい家庭をつくったのだろう――と、子供ながらに分かった。
 あたしは親戚の家を転々とすることになった。どこにいっても金食い虫といっていびられる。あたしはどんどんひねくれていった。
 中学を出てからは、世話になっていた縁戚の雑貨問屋を手伝うようになる。住まいも商売もあるのはありがたいが、実際はただ働きをさせられるばかりで、どうにもしんどかった。
 十八歳の春、あたしは店の金を五万円持って家を出た。
 ちょうど世間はオリンピック前の好景気にわいていた。みんな嬉しそうに顔をほくほくさせて、大股で歩いていく。それを見ているとよけいくさくさした。
 魚町うおまちをうろついていると、兼子かねこという男と親しくなった。この男が「木鼠きねずみかつ」という名うてのスリだった。家には怪しげな男たちがひっきりなしにやってくる。兼子は男たちにスリの稽古けいこをつけてやっていた。
 上着やズボンの外ポケットからるのは初心者で、上着のボタンを外し、内ポケットから財布を抜いて空財布だけ元に戻し、ボタンまではめてやるような技もあった。まるで手品みたいに見事なものだった。
 見ているうちに、あたしもやってみたくなった。門前の小僧で基本のキくらいは分かっていたから、ついむくむくと悪心を起こして、小倉駅で紳士の内ポケットから一万円を抜いた。こんなに簡単に大金が手に入るのかと興奮にうちふるえ、すっかり味をしめてしまった。次々と手を出し稼いでいた。
 丹沢刑事に会ったのはそんなときだ。
 枝光えだみつ駅前にあった中華料理屋で、あたしは炒飯を食べていた。神棚におかれたテレビではTNCの「テレビ・インターハイ」をやっていた。高校対抗クイズの番組なのに、背広姿のおじさんたちがぞろぞろと出てきて、みんな嬉しそうに笑っている。
「何なの、このおっさんら」
 と店主にきくと、店主は「お前知らんのか。五つの市が合併して、北九州市つうのに、なるんよ。新しい市の名前、募集しとったやろ。俺はてっきり、西京市になると思っとったわ」と言う。
 どうも、新しい市名の全国公募では「西京市」がトップだったらしい。そのまま諮問しもん会議でも西京市に決まる雰囲気だったところ、ひとりの長老が「天子様がおられた歴史がないのに、京と名乗っていいのかなあ」とつぶやいたそうだ。そう言われた途端みんなシュンとなって、公募で二番目だった「北九州市」になったという。
「そんで、このおっさんらは何なん?」あたしはテレビを指さした。
「合併する市の市長さんらよ。昨日合併がまとまって、報道にも出たから。重荷が下りたっつうことで、みんなニコニコ、テレビ出てるわけよ」
 確かにおじさんの数を数えるとちゃんと五人いる。若松高校の生徒たちとクイズで対決し、ボロ負けしていた。高校生らは勝ち誇りつつ、照れたように両手を挙げた。会場がドッと笑いに包まれる。
 あたしは舌打ちをして、上着のポケットからがま口財布を取りだして中を見た。
三千円入っているきりだ。それ以上の金はどこを探してもない。
オリンピックだ、五市合併だ、若乃花だ、鉄腕アトムだと、世間は騒がしい。けれどもあたしらの底辺の者の暮らしはちっとも変っていない。妙にいじけた気持ちになって、勘定をすませ、店を出た。
 駅前を歩いてくる一人の青年に目をつけた。
 外套がいとうの外ポケットが不自然にふくらんでいる。給料袋でも入っているのだろうか。靴も帽子も新品で、若いのにかなり羽振りがよさそうに見えた。
 どいつもこいつも浮かれやがって、と再び舌打ちをした。
 頭にかぶっていたベージュのフェルト帽を片手にとり、髪形をなおすふりをしながらサラリーマンに近づいた。フェルト帽を持ちかえて「幕」にして、相手の視界をふさぎ、もう片方の手で外ポケットに手を突っこんだ。やはり、パンパンにふくらんだ封筒が入っていた。青年はこちらの動きにまったく気づいていない。いい稼ぎになった――と思って、ほくそ笑みながらその場を離れようとしたところ、後ろから声がかかった。
「おさと、今のは見事な芸当だったなあ」
 振り返ると、丹沢刑事が立っていた。
 人相はスリの間で有名だから、すぐに彼だと分かった。おにぎりみたいに人の良さそうな顔でニコニコしながら、両手をポケットに突っ込んで、おちょくるようにいたずらっぽい目で見つめてきた。
 丹沢刑事が声をかけたことではじめて、青年は金を掏られたことに気づいたらしい。慌てた様子で外套のポケットを裏返している。
 あたしは捕まるのが初めてだった。内心かなり驚いていたけど、すぐにかしこまった顔をつくって、
「とんだところをお目にかけまして」
 と、丹沢刑事に頭を下げた。
 昔のスリは、今と違って逃げたりしなかった。捕まったら神妙にしておく。そうすると刑事さんもこちらに手錠をかけない。手錠をはめられないスリだというのは、仲間うちでも自慢できることだった。
 丹沢刑事はあたしを放っておいて、被害者の青年と二、三分話をして、戻ってきた。
「あの青年が、その金はくれてやると言っている。ありがたく受け取っておくように。被害者がいいと言うから、この件は見なかったことにしとくよ」
 手に握った封筒の中をのぞくと、千円札がぎっしり入っていた。これを全部もらえて、しかもおとがめなしなんて、いい話だ。だけど、あたしにもスリとしてのプライドがあった。
「いえ、いりませんよ」
 青年にかけより、つき返そうとした。
「いらないなら、なんで盗るんだ」と丹沢刑事は笑った。
「盗ったものは自分のもんにしますけど、もらいたくはないんですわ」
 すると青年が口をひらいた。
「そりゃ、あぶく銭だからくれるわ」
 九州の人間とは違うイントネーションだった。関西弁のようにきこえるけど、大阪の人の話し方よりのったりしている。
「俺な、仲間内で、賭けてたさ。新しい市の名前が何になるか。みんな西京市に賭けていたが、おれだけ北九州市に賭けた。それで儲かったわさ。でもこんなところで運を無駄につかうのはかなんなあ。そんだから、それはくれますわ。俺は別に金に困ってねえし、お姉さんは困ってるみたいだし。金は天下の回りものでさあ。お気になさらず、とってください。そんじゃあ」
 こちらの制止もきかず、青年は足早に立ち去ってしまった。
 そういうことだから、と丹沢刑事もあたしの肩を叩き、どこかへ消えていった。
 一人残されて、あたしの手の中には千円札の束が残った。
 冷たい風が吹きつけていた。とぼとぼと裏路地を歩きながら、札束の枚数を数えた。ちょうど百枚、十万円分あった。
 もうかったのだけど、どうもみじめだった。俺は別に金に困ってねえし、お姉さんは困ってるみたいだし――だなんて。青年は好景気に乗った実業家なのか、金回りがよさそうに見えた。十万円をポンと人にやれる身分なのだろう。対するあたしは、確かに金に困っていた。だからこそ、金をもらうのはみじめだった。盗みが成功していれば、丹沢刑事が現れなければ、こんな思いはせずにすんだ。
 ふっと目をあげると、道の向こう側に八幡製鐵所の旧本事務所が見えた。
 レンガ造りの立派な建物だ。もうつかわれていなかったみたいけど、地元の人がよく自慢をしていたから知っていた。レンガ積みはイギリス式で、屋根は和式の瓦葺かわらぶきだ。当時は第三高炉だいさんこうろが戸畑で火入れを開始したころだったから、全国から技術者が集まっていた。
「三重の人やわ。あれは三重弁や」
 独り言をつぶやいた。
 三重からきた技術者と、枝光本町の飲み屋で一緒になったことがある。その男も「やる」という意味で「くれる」と言い、語尾に「さ」とか「わさ」とかつけていた。困るというような文脈で「かなんなあ」とも言っていた。つかう言葉、イントネーションともにさっきの青年に似ている。年ごろが違うから、同じ人ではないだろうけど、同郷の匂いがした。
「三重からわざわざきて、何の用なんやろ」
 宙に向かって言うと、おずおずと家に帰った。


後編へ続く