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神戸在住アラサー🙆‍♀️韓国交換留学🍚・オーストラリアワーホリ経験者🐨「やらない後悔より、や…

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神戸在住アラサー🙆‍♀️韓国交換留学🍚・オーストラリアワーホリ経験者🐨「やらない後悔より、やる後悔」

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#0-part1「わたし・나・I」どれも自分

韓国とオーストラリアに留学経験がある私は、当然ながら、その国に行けばその国の文化で生活し、その国の言葉で生活をしてきた。では、日本での「わたし」、韓国での「나」、オーストラリアでの「I」はそれぞれ違う人間か? 私がいつも自分の中で大切にしてきたことは、死ぬときに「あぁ、大変なこともしんどいこともあったけど、めっちゃええ人生やった!自分お疲れ!」とつぶやいてあの世へ行くことである。笑われるかもしれないけど、これが割とマジなのだ。子どもの頃から漠然と「せっかく生まれてきたから、

    • #39アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part12

      四男のフレディーが手足口病にかかり、私にうつり、それをまたフレディーにうつし返してしまう、という地獄絵図がなんとか終了…。次に不調が現れ出したのが、三男のマックスだった。彼の症状としては、嘔吐、下痢、発熱。なかでも嘔吐を頻繁に繰り返すようになり、3歳の小さな体には度重なる嘔吐はきつく、体力が奪われグッタリしていた。リビングのソファに横になり、常にバケツを側に置いて(いつ吐いてもいいように)、一日映画を観て過ごす日が1週間ほど続いた。 またサリーが病院に電話し、診察の予約を取

      • #38アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part11

        子どものお世話をしていた家庭で手足口病にかかってしまった私。1日目は38度台の発熱で、一日中ベッドの中で過ごすことになってしまった。 次の日、幸いにも熱は下がり、ただフレディーの看病で疲れていたのだな、ぐらいにしか思っていなかったが、ふと手の指に1、2か所発疹を見つけた。そして、その晩から体中が痛痒くて眠れなくなり、どんどん発疹と水泡が増えていった。手、顔、足…すごいスピードで増えていくのでとても怖くなったことを覚えている。めちゃくちゃ痒い、痛い…。 数日後、フレディーは

        • #37アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part10

          サリー家での日々を振り返るとき、この期間については思い出さずにいられない。ずっと今でも残っている「一番大変だったな」という約1か月。 毎日子どもたちと密に過ごすからだろうか、子どもが体調の悪いときは私までその病気をもらったものだった。それもほぼ毎回。ただの風邪なら平気だが、その中でもキツかったのが「手足口病」だ。あれ?手足口病って、普通、子どもしか罹らないんじゃなかったっけ?と思った人、私もそう思っていたのだから、もう笑うしかない。 まず、末っ子のフレディーがやたらと機嫌

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        #0-part1「わたし・나・I」どれも自分

          #36アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part9

          子どもたちとの少々の揉め事はあったものの、普段は家族みんな私に親切に、本当の家族のように接してくれた。特に思い出に残っているのは、サリーとの何気ない日常だ。 彼女はパズルをすることを好み、時間を見つけてはそれに勤しんだ。ときに私も混ぜてもらい一緒にすることがあったが、ほとんどパズルの経験がなかった私にとっては、100を超えるピースをどこから手を付けていいか分からなかった。「周りの枠を初めに固めてしまうとやりやすい」というのを、私はサリーに教えてもらって知った。 また、庭に

          #36アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part9

          #35アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part8

          オーペアをしている間、私は日々子育てに悩んでいた。それは、やはり小さい子どもとの経験はあっても、子どもの数だけ性格や考え方が違うと気付いたからだった。ましてや前にも書いたように、オーストラリアの子どもたちは主張が強く、私ひとりで4人をお世話しないといけないときなどは、言うことを聞いてくれず爆発してしまったことが何度かあった。 農業の繁忙期に、夜の10時頃までマットもサリーも帰って来られないことがあり、夕食・お風呂・絵本タイム・就寝までフルセットでワンオペなことがときどきあっ

          #35アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part8

          #34アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part7

          今日は前回に続き、サリーの家でオーペアとして3か月間過ごしてみてビックリしたことを紹介しよう。(①~③は#33をご一読ください) ④毎日、肉! オーストラリアの食事と言えば、どんなものが浮かび上がるだろうか?私は行く前はお肉が多いんだろうなと予測はしていたが、本当にお肉ばかりでビックリした。オーストラリアの肉といえば牛肉だが、一番食卓に上がるので多かったのがラム肉だったように思う。正直言うと、私はラムが苦手だった。どう調理しようと口に入れた瞬間漂う羊臭。あの独特の臭みがなん

          #34アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part7

          #33アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part6

          今日は、オーペアとしてサリーたち家族と3か月がっつり過ごしてみてビックリしたことを紹介しよう。 ①子どもたちの主張の強さ私は日本に甥っ子がいて、少しだがお世話をした経験があったためオーストラリアの子どもたちも同じようにすればいいと高を括っていた。だが、オージーの子どもたちは日本の子どもと全然違って良くも悪くも、とにかく主張がハッキリしていた。やりたい、やりたくない、食べたい、食べたくないなど、人に気を遣ってとか、空気を読んでということが全くない。 こんなエピソードがあった

          #33アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part6

          #32アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part5

          私がオーペアの家に着いた次の日から仕事が始まった。始めにサリーが業務内容と家族の1週間の動きを書いた紙をくれ、説明してくれた。それから契約内容を相互確認し、契約書にサインをした。 私がどうしても気になっていたことがあった。面接のとき私の他にカナダ人も応募していたが、なぜ私が採用されたのかということだ。カナダは英語圏だし、一緒に住むとなれば言葉に支障がない方が圧倒的に楽だと思ったからだ。するとサリーがこんなことを話してくれた。 「あなたの1つ前のドイツ人オーペアが全く仕事を

          #32アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part5

          #31アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part4

          前回の「私の一日のスケジュール」で子供たちの車での送り迎え、と書いたが、私は日本で免許は持っているが、ほぼ経験のないペーパーだった。しかし今回のオーペア業務では子どもの送り迎えに運転が必須だということで、まずオーストラリアの役所で日本の免許を英語に翻訳してもらい、証明書を発行してもらわなければならなかった。この証明書、パスポート、ビザを携帯することで車の運転が出来る。ほとんど経験のない私が外国で運転するなんて!と緊張していたが、いざ行ってみると家の敷地内を車で走るだけで、右折

          #31アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part4

          #30アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part3

          ジェーンと別れ、車の中でサリーといろんな話をした。彼女は子どもの頃、学校のLOTE(※1)で日本語を勉強していたのだそうだ。だが、今となっては「こんにちは」と「ありがとう」しか覚えていないと笑った。 景色がどんどん茶色一色になっていく。建物がなく、遊べそうな施設も全くない。完全に農業地帯だ。こりゃすごい田舎に来たぞ!と思った。すると、道路の端に何か塊が見えた。布か何かか?と思い凝視した瞬間、ハッとした。 カンガルーや…そう、その布の塊のように見えた物体は、なんと車に轢かれ

          #30アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part3

          #29アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part2

          さて、今日はオーペアの仕組みについて紹介しよう。日本にはない制度なので知らない人も多いだろう。「オーペア」(Au Pair)とは、以前のnoteでも少し書いたように「対等な立場で」というフランス語が語源であり、オーストラリアやアメリカ、ドイツなどの国で一般的に受け入れられている。子どものいる家庭に住み込みで、子どものお世話を中心に家事をお手伝いする仕事である。アメリカでは採用時に300時間以上の保育経験があることを条件としているが、オーストラリアでは特にない。だが、「Work

          #29アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part2

          #28アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part1

          1か月間の日本語教師アシスタントを終え、2年目も滞在できるビザ「セカンドビザ」取得のために農業地帯へ向かう。 学校のあったオーバリーから、オーペアをする家庭のあるグールゴウィまでは車で4時間ほどかかる。電車とバスを乗り継いで行くことも可能だが、大量の荷物を抱えての長距離移動は大変だ。心配したジェーンとオーペア先のママ、サリーが話し合って長距離を半分ずつドライブしようと提案してくれた!中間地点の公園で彼女たちがバトンタッチし、私が引き渡されるという取引だ(大げさ)。 オーバ

          #28アラサーの豪ワーホリ!オーペア編part1

          #27アラサーの豪ワーホリ!日本語教師アシスタント編part7

          語学学校で開催した「カルチャーデイ」と同様のイベントが派遣先の学校でも行われた。多民族国家のオーストラリアでは、色んな国を知るためにやはりこういったイベントが多いのだろうか? 私は日本に関する何かを出来ないかと日本語の先生ジャッキーと話し合い、生徒たちに浴衣を着てもらうことにした。幸いジェーン、ジャッキー、タミの3人が持っている浴衣をかき集めるとそれなりの数になったので生徒がたくさん来ても着付け対応が出来るだろう。 当日はジャッキーと私も一日浴衣を着て対応した。幼稚園から

          #27アラサーの豪ワーホリ!日本語教師アシスタント編part7

          #26アラサーの豪ワーホリ!日本語教師アシスタント編part6

          アシスタント生活を始めて2週間ほど経ったとき、私は次の引越し先を探し始めた。どこに行こうか全く未定だったがワーホリ2年目のビザが欲しかったため、取得条件の特定の仕事に従事することにした。その特定の仕事というのがファームジョブ(農場での仕事)だ(※1)。どこかいいファームはないかとネットで探していたが、なかなかうまく見つけられない。私はジェーンにアドバイスを求めた。すると、「この学校の先生も生徒も農家の人多いよ」と彼女が言う。全ての人に声を掛けて回るのは難しいだろうと思い、ジェ

          #26アラサーの豪ワーホリ!日本語教師アシスタント編part6

          #25アラサーの豪ワーホリ!日本語教師アシスタント編part5

          学生寮は男子と女子に分かれていて、中学生から高校生まで住んでいた。寮が古く、私に与えられた一人部屋はあちこちから隙間風が吹いているほどだった。シャワーを浴びても全然体が温まらない…湯船が恋しくて堪らない日々。赴任した当時は8月半ば、オーストラリアは冬だったので夜は本当に寒く、私は自分で持ってきた布団を重ねて眠りについていた。 ご飯は寮から歩いて5分ぐらいの食堂まで歩いて行く。週末を含め毎日3食提供されたが、生徒と先生のテーブルが完全に分かれていて、私は先生のテーブルを使うよ

          #25アラサーの豪ワーホリ!日本語教師アシスタント編part5