ochaarekore

大分県竹田市在住。

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最近の記事

お茶あれこれ305 2018.0422~0505

1. 江岑夏書Ⅱ 浪花野茨の花が、開いてきた。暫く硬いグリンの蕾のままだったのに、この二日ほどの初夏のような天気に慌てて咲いたのだろう。野茨と言えば、蕪村である。蕪村にとって、花茨は原風景を象徴する花であったと言われる。甘く爽やかな香り立つ花は蕪村の郷愁でもあったのだろうが、浪花野茨の棘は尋常ではない。 それが世間の壁を意味していたともいわれる。「花茨 故郷の路に 似たるかな」 「路絶て 香にせまり咲く 茨かな」 「愁ひつゝ 岡にのぼれば 花いばら」 野茨にしては大輪の白い花

    • お茶あれこれ304 2018.0419~0503

      1. 江岑夏書 大手毬の色が真っ白になった。小さな蕾の頃は、葉と同じように甘やかな若草色をしている。葉は緑がだんだん濃く鮮やかになっていき、蕾はかなり大きくなってから色は薄れて白に近付いてくる。一つ一つの花が開いて手毬になった時、真っ白になる。しばらくその姿のまま、夕風に幽かに揺らいでいたりする。 白いツツジが、いきなり満開になって驚く。蕾の時期は、うかつにも気が付かなかった。ありふれた何でもないようなツツジも、白い花をいっぱい付けると清々しい。 何と言ってもツツジの美しさは

      • お茶あれこれ303 2018.0415~0426

        1. 中川廣倫Ⅳ 今年の桜は、3月中に早々と散ってしまった。花の後に散っていく花柄が道や露地を赤く染める中に、いくらか残っていた花びらが爪ほどの白い点を際立たせる。先に付いている「がく片」の赤は変わらないが、数センチの花柄自体は色が変わっていく。始めに散る花柄は薄い色で目立たず、後に散っていくほどグリンの色が濃くなってくる。すると、散り積もった道の色が違ってくる。同じように散っているのだが、前半は赤く後半はグリンが混ざって橙色っぽくなってくる。毎日掃き集めると、重さはなくても

        • お茶あれこれ302 2018.0412~0424

          1. 中川廣倫Ⅲ やっと数日前から木香バラが咲き始め、毎日花を増やしていく。どちらかといえば、満開の黄色一面になるよりも三分咲きくらいの方が生垣全体としては美しい。7尺ほどの高さで15mくらいの長さになる若緑の垣根は、今は点々とした黄色が二週間ほどに渡って増えていく。木香バラが枯れていく頃、隣り合わせに続く生垣の浪花野茨に花は移り変わる。その頃は、汗ばむ初夏となる。黄色で呼応するように、庭では黄色の踊子草が一斉に花開いた。樅の廻り、蹲の裏手、ツツジの下草と増えていった。黄色の

        お茶あれこれ305 2018.0422~0505

          お茶あれこれ301 2018.0407~0422

          1. 中川廣倫Ⅱ 紫から藤色の花が目に付くようになった。ご近所の裏の畑へ上がる土手に、山藤が花をいっぱい付けているのが見える。桜が終わると、入れ替わりに藤の季節になる。庭では、蔓桔梗が咲き始めた。家では、蕾を胡銅鶴首に入れた。先日の稽古の日、竹花入れを壁に掛け、蔓桔梗と黄花踊子草を入れた。 菫やハナニラが小さな群を作って咲いている。青紫のイチハツの蕾が、急に目立ってきた。一初とも逸初、一八とも書く。あやめの種類で初めに咲くから、一初というらしい。ぽってりとした姿から、何か良質

          お茶あれこれ301 2018.0407~0422

          お茶あれこれ300 2018.0405~0419

          1. 中川廣倫 白の山吹が咲き始めた。黒い実をつける一重の山吹である。この葉と大手毬の葉が、もっとも緑の色が鮮やかで美しい。それは花の白を一際引き立たせる。昔から五月には白い花が咲くと言ってきたが、玄関の横には「イカリソウ」も咲き、満天星も小さな白いベルのような花を、文字通り鈴なりに付けている。先日の一人静もそうだが、この月も白い花が多いのかもしれない。いずれも緑をバックにした白い花は、邪念も無く美しい。大手毬は、まだ花の色は若草色のまま塊だけは日々大きくなっていく。手毬の姿

          お茶あれこれ300 2018.0405~0419

          お茶あれこれ265 2017.1227~2018.0108

          1. 古田廣計Ⅸ 先日、今年初めて蕾を付けた椿の話をした。有楽椿と思い込んでいるのだが、「袖隠し」と言う。毎月、家に園芸店がワゴンでやってくるが、私が相手をしたことはない。庭には、まだ花が咲いたことのない椿が幾つかある。植え替えるのは、私の仕事だが、細かく尋ねたりはしない。どこがどうなったのかわからないが、樅のそばの椿は有楽椿と思っていたし、初めて蕾を付けたと喜んだ。袖隠しなら、初夏の花になる、しかも大輪の八重である。茶花には、なるまい。面白いのは、名の由来だろうか。その昔、

          お茶あれこれ265 2017.1227~2018.0108

          お茶あれこれ264 2017.1226~2018.0106

          1. 古田廣計Ⅷ 先日「美吟」を買って帰った。酒は東北が美味いが、これも国東の銘酒である。純米吟醸の中でも、これほど上品な酒は少ない。萱嶋酒造という造り酒屋が、竹田に焼酎の小さな醸造所を造った。銀鼠(ぎんねず)の和瓦を葺き、板塀で囲い、高さを抑え、前庭の隅に木を植え、反対側には水を通した小さな庭のある、岡藩時代の商店としての構えをしてもらった。城下町に似合った、いい雰囲気の店である。今朝、新酒が来ましたと言われて、つい買った。酒よりも、酒粕の方が好物なのだが。石川桂郎に「粕汁

          お茶あれこれ264 2017.1226~2018.0106

          お茶あれこれ263 2017.1222~1231

          1. 古田廣計Ⅶ 植栽部分の苔と砂利の路地の境は土が表れている。霜柱が立つような時期に掃くと、霜柱が土と混ざり合い汚くなる。砂利路地は、腰掛から蹲を過ぎて、三和土の階段まで緩やかに曲がっている。苔の方は、植栽に合わせて出入がある。そのため、土の面が広くなったり狭くなったりする。どちらにしても狭い庭だが。 11月に松の手入れの時に取っておいた松葉を、苔と砂利の境をする地面に敷いた。古田織部が口切の時に霜柱対策にした敷松葉の真似事である。庭の松は、赤松だから敷松葉にいいのだが、

          お茶あれこれ263 2017.1222~1231

          お茶あれこれ262 2017.1222~1229

          1. 燈篭 白菜がうまい、漬物が堪らない。汁に入れても炊いてもうまい。冬の寒さが身にしむようになってくると、殊更うまくなってくる。蕪もうまい。酢漬けにしても蕪蒸しも、これまたうまい。 一茶に「おく霜の 一味付けし 蕪かな」という句がある。冷え込む夜が続き、霜が降りると、上品な甘みが出てくる。田舎なので、野菜の煮物に芋や青菜の汁があり、漬物があれば腹いっぱい飯が食える、こんな幸せな日々があろうか、そんな気になってうつらうつらする、で、横になる。人生を終わろうかとする頃の、極上

          お茶あれこれ262 2017.1222~1229

          お茶あれこれ261 2017.1219~1223

          1. 露地 最近、花は椿と山茶花くらいしかない。藪椿は、小気味よく落花する。 山茶花はどうもいけない。色褪せた花びらが反り返って、枝にしがみついた様が嫌で、数日おきに花を取っていく。土にかえればよいとツツジの下あたりに撒く。 「落ちざまに 水こぼしけり 花椿」と詠んだ芭蕉を追い続けた蕪村は、17音の内10音まで同じながら、「椿落ちて きのふの雨を こぼしけり」の句を作った。 和歌にある本歌取りとは少し違う感じであり、オマージュと言った方がいいだろう。瞬間を切り取る芭蕉の天

          お茶あれこれ261 2017.1219~1223

          お茶あれこれ260 2017.1216~1221

          1. 江岑夏書Ⅵ 苔も冬になると黄色っぽくなってくるのか、それとも手入れが足りないのか、青さを失い黄味がかってきた。桜や紅葉はもちろん、木槿も日向水木も、木蓮も葉を落としてしまい、庭全体が末枯れた冬の様相である。蕪村の句を思い出す。 「落葉して 遠く飛去(とびさる) 鳥孤ツ(ひとつ)」 近代の歌人や俳人のように、写実とばかり叫んでいては、この句の凄さはわからない。映像が浮かんでくる句や、音が聞こえる句の深さが、蕪村にはある。うわべの写実が、広がりと深みを奪った。平安の昔、

          お茶あれこれ260 2017.1216~1221

          お茶あれこれ259 2017.1214~1220

          1. 武野紹鷗 今日は討ち入りの日だなあ。微かに風花が舞っているが、片岡千恵蔵の大石内蔵助が、吉良邸へ討ち入りした元禄15年(1702)のように降ってはいない。映画の話であって、実際に降っていたかどうかは知らない。 毎年12月9日には、水仙を大壺に入れ玄関に置く。長崎から取り寄せているようだが、花屋の話では近年花が遅くなり、手に入りにくいという。数本は居間に置く、心を良質にするというとおかしいが、そんな香りに包まれる。人間の質がよくなった訳ではない。74歳になろうという者に

          お茶あれこれ259 2017.1214~1220

          お茶あれこれ258 2017.1212~1219

          1. 江岑夏書Ⅴ 今日はかなり寒い。会津の山々を思い出すと、とても言えないのだが寒い。隙間風が通り抜ける昔の家に暮らす友人に、この寒さ大丈夫かと尋ねたら、いっぱい食べて少しだけ仕事して「コタツむり」している、と返事が来た。笑った。 それでも、去年蹲の水が凍って盛り上がっていたほどの冷たさには、未だ襲われていない。花が無くなり、藪椿が床に入れてあった。薄暗い床に曽呂利が溶け込み、この深い濃紅だけが際立って浮かび上がる。蝋梅を入れたかったらしいが、蕾も見つけられなかった。庭の蝋

          お茶あれこれ258 2017.1212~1219

          お茶あれこれ256 2017.1208~1213

          1. 江岑夏書Ⅳ 昨夜の稽古に、侘助と日向水木を使った。花芽が寒風に震えながら陽を浴びていたが、そばの山茱萸と沈丁花にも花芽が付いていた。今日の昼は、横殴りの粉雪が舞った、というより吹き飛んでいった。しばらく西の窓から外は白く煙って見えなくなるほどだったが、積もるほどには降りきらなかった。 照葉が終わり葉は枯れ落ち、冷たい日が続く内に、木々は花芽を付け春の用意をしていく。可憐な花たちの毎年変わらぬ営みには、感動がある。比べてみれば、人間はだらしがないのかもしれない。一般的に

          お茶あれこれ256 2017.1208~1213

          お茶あれこれ257 2017.1209~1215

          1. 北向道陳 青いままの堅い蕾だった藪椿の先が紅くなってきたと思っていたら、この数日の昼の暖かさのせいだろうか、花びらが伸びてきた。暮れに向かって、藪椿の蕾に色が着いてくると嬉しくなる。数年前に植えた有楽椿が、今年初めて蕾を付けている。京都では有楽椿と呼ばれるが、江戸で呼ばれた太郎冠者の名が本来らしい。 太郎冠者と言えば、狂言の滑稽味も含んだスーパースターである。元々冠者は、武家の従者や使用人の中での若者頭を意味していたから、そこから物語に合わせて多様な性格付けがなされ、

          お茶あれこれ257 2017.1209~1215