お茶あれこれ260 2017.1216~1221

1. 江岑夏書Ⅵ
苔も冬になると黄色っぽくなってくるのか、それとも手入れが足りないのか、青さを失い黄味がかってきた。桜や紅葉はもちろん、木槿も日向水木も、木蓮も葉を落としてしまい、庭全体が末枯れた冬の様相である。蕪村の句を思い出す。

「落葉して 遠く飛去(とびさる) 鳥孤ツ(ひとつ)」

近代の歌人や俳人のように、写実とばかり叫んでいては、この句の凄さはわからない。映像が浮かんでくる句や、音が聞こえる句の深さが、蕪村にはある。うわべの写実が、広がりと深みを奪った。平安の昔、風の音に驚いて秋を知った和歌のように、蕪村の句にも音の風景がある。この句も、そこを外してはつかめない。「サウンドスケープ」という思想で鳥越けい子氏は、かつて瀧廉太郎記念館を美しく構築した。小さい頃の廉太郎が聞いた水路の水音、竹林の葉擦れの音、風の音、周りの寺々の梵鐘、目に見える風景と同じように、聞こえてくる音がその時の暮らしを彩っている、と。音や声は風景をゆたかにする大切なもの、そこに気が付かないと十分ではない、とも。

このところ毎日、蹲の水は凍っている。青木の実は、未だ葉の色と変わりなく緑色のまま。数粒しかついていない金柑の実は、少しずつ黄色みを帯びてきつつある。


江岑夏書に、気になるところがあった。

「こい茶立候時、左之手をそへ申事悪敷候、右ニ而茶洗斗持てふり申候、旦も手ハ御そへなく候、台天目之時ハ手をそへ申候」

5月15日の項になるが、訳す。濃茶を点てる時、左の手を茶碗に添えるのはよくないことです。右手に茶筅だけをもって振ることです。宗旦も手は添えずに点てました。台天目の点前では、手を添えて点てるようにします。

さて、これはないだろう、と思う。水や湯を茶碗に注ぐ時は、手を添えなくても理解はできる。濃茶を練る時に、特に千家さんでは織部よりかなり濃く、3人か4人分になる茶なのに、手を添えずに練るには違和感を覚える。現に、表千家の方に聞いても、左手は添えるという。とすると、これも時代とともに変化したのか、或いは地域的に違うのか、あるいは指導者によってか。当時、宗旦が間違いを言うはずはない。とすれば、どんな理由か、あるいは意味が、そこにあったのだろう。

その二日後17日の後半。

「ふたの事、茶入ニより色々在之事也、すふたハけかに引合候、いまハすならてハならぬやうニいたし申事」

茶入の蓋のことです。茶入によって、蓋にはいろいろ種類があります。窠蓋(すふた・茶色っぽく虫食いのある牙蓋=げぶた)は、たまたま偶然にできたものです。それなのに今は、牙蓋には窠がなくてはならぬようになってしまいました。

いつの時代も一緒だが、宗旦は呆れ果て情けなく江岑宗左に言ったことだろう。以前「あれこれ」でも話した。職人が窠の出てきた牙蓋の茶入を持ってきた時、利休は受け取り、客向きと窠が反対側になるように置いた。織部は逆に客側にそれを見せた。利休は、その発想を納得した。今もそうだが、象牙の蓋は数少ない貴重品である。

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