お茶あれこれ262 2017.1222~1229

1. 燈篭
白菜がうまい、漬物が堪らない。汁に入れても炊いてもうまい。冬の寒さが身にしむようになってくると、殊更うまくなってくる。蕪もうまい。酢漬けにしても蕪蒸しも、これまたうまい。

一茶に「おく霜の 一味付けし 蕪かな」という句がある。冷え込む夜が続き、霜が降りると、上品な甘みが出てくる。田舎なので、野菜の煮物に芋や青菜の汁があり、漬物があれば腹いっぱい飯が食える、こんな幸せな日々があろうか、そんな気になってうつらうつらする、で、横になる。人生を終わろうかとする頃の、極上の日々である。古来、菊は全ての花の最後を飾るものとされてきた。そんな詩を載せた「和漢朗詠集」は、藤原公任が編集し藤原行成が清書した。ちょうど千年前の、1018年に作られた。芭蕉は、それを読んでいたに違いない。

芭蕉は「菊の後 大根の外 さらになし」、と句を詠んでいる。芭蕉も大根は美味いと、この外には更にないと、誉めて喜んでいる。20年以上も前に、高橋治が昨今のタクワンを嘆いた文がある。着色料と甘味料で大根本来の味を殺した、下衆の細工が本物を滅ぼしたと。12月の寒くなった頃に大根を洗って干し、友人から教わった割合の通り塩と糠だけで漬ける。一冬だけの僅かばかりだが、これがうまい。

間違った話を聞くので、露地の燈篭の話をする。「三日月の透かしは西に向け、満月の透かしは東に向けるという習いは間違っている。三日月は、日没近くに西の空に見えることからの作意だろうが、そのような決まりはない。石燈篭は、露地の景色のためにあるわけではない。夜咄などの折に、手水鉢や雪隠のあたり、あるいは露地の暗い部分を照らすためにこそある。透かしの形に関係なく、明かりの必要なところに、明かりの多い透かしを向けることが基本である。遠州が三日月の透かしを西に向くよう直したという話を弟子が後世伝えて、遠州流の習いにしたとかの話はあるが」

といった話が「源流茶話」に載って居る。燈篭は、客が露地を通り、茶室に着くまでの心遣いで据える。暗くて不便なようでは、燈篭の意味がない。実は「槐記」にも似たような話がある。「大きな燈篭を据えて、明り採りのためではないものがある。明かりの為でなければ、何の役にも立たない。露地に入ると向かう先に燈火が見えるように据え、その傍まで来たら、また向かう先に燈火が見えるように据えていく。明かりが多く要る方に大きな火を向け、明かりが強く要らない所に三日月を向ける。同じところに、同じ形が向き合わないようにすることが重要である」と。つまり簡単に言えば、石燈籠は露地の景色の格好付けのためにある訳ではない、ここだろうねえ。300年前から、こんな露地が結構多かったと見える、もちろん今でも。

「源流茶話」は、1730年頃に薮内家五代竹心紹智が道具や料理などの軽薄な茶風を批判し利休の原点に返れと書き上げた書である。茶の湯を浄化しようとした薮内竹心の叫びでもある。「槐記」は、太政大臣近衛家煕の言動を記した日記、茶、花、香道についての貴重な文献として知られている。

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