お茶あれこれ302 2018.0412~0424

1. 中川廣倫Ⅲ
やっと数日前から木香バラが咲き始め、毎日花を増やしていく。どちらかといえば、満開の黄色一面になるよりも三分咲きくらいの方が生垣全体としては美しい。7尺ほどの高さで15mくらいの長さになる若緑の垣根は、今は点々とした黄色が二週間ほどに渡って増えていく。木香バラが枯れていく頃、隣り合わせに続く生垣の浪花野茨に花は移り変わる。その頃は、汗ばむ初夏となる。黄色で呼応するように、庭では黄色の踊子草が一斉に花開いた。樅の廻り、蹲の裏手、ツツジの下草と増えていった。黄色の花を見ると、幸運を運んできてくれるような気がする。この黄色と蔓日々草の紫とは、お互いに引き立て合うように色の取り合わせがいいのかもしれない。西の隅で、寄り添いながらいい組み合わせで咲いている。

(前回からの続き)これまでの制度では年貢を納めることは覚束ない、人別を増すことも難しい、窮民を助け育てていくには年貢を減じるしかない、しかし減じれば御用向きの処理はできない、それでも民は国の元、封内は御政道によって豊凶盛衰をする、重役一人一人が封内庶民の安否、人別の増減、田畑の作柄、について委細を聴き直に沙汰をすれば、役人共も民も有難く思いその業に励む、徳義と仁政も行き届き庶民安富を得て御家繁栄の元となろう」、まことに畏れながらと、廣倫は藩主へ言上する。

3月の「覚」は、老職から城代、番頭、用人、物頭、家臣、役人たちに見せ、意見を聞き、全体に徹底させようとしたことを申し上げている。困窮の原因の中で、「自然災害や火災、寺社普請や公役によって耕作が行き届かず、嫁娶りも叶い難くいよいよ少子化は進み、近年流行の病も多く死亡者も多いのは菜っ葉や草と塩だけの食による、困窮離散、人別減り農村は荒廃していく」と。そこで「上が良ければ下は痛む、下々の痛みも困窮が重なると田畑は野山となる、田畑山川が富んで天民は多く郡村は豊饒となる、それを目出度き政道と心掛け、家中関係役人全員で昼夜朝暮に考え取り計らいたい」としている。

4月の「追釈」には、廣倫が認めた書物を上庄兵衛に見せ、意見を聞いたことを表している。上庄兵衛は、この頃までに18年間郡奉行を勤め地方盛衰の有様を見続けてきた。つまり4月の報告書と提案書は、ありのままの現場報告と言えるだろう。

「薪或いは産物を売りに出て、また費用稼ぎなどで命をつないだなら、自然と耕作の業を失い、大地は痩せ衰え、本業は凶作や災害を乗り越える、本来の力を失うであろう、自然を敬い天災も謙虚に受け止め、根本の農業活動以外の副業や費用稼ぎに手を広げると、本業は疎かになり、結局は凶作が続くことになってしまう」

三宅や植木の実例を挙げ、新田開発や松林の開拓を行ったが、諸経費や人力を費やした割には成果も出ず失敗に終わった、計画性のない事業の為、人別が減少し困窮した。恵良原のように、好景気時に手を広げ過ぎ、不景気に重荷となり困窮、人別減少の元になった、岡藩の年貢の高さも宇田枝で具体的な話が出ている。(次へ続けます)

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