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大都会・香川県

正直、香川県をなめていた。人口は日本で5本の指に入るほどに少なく、特産品として思い浮かぶものといえばうどんくらい。高松東港にフェリーが到着して、高松駅までバスで運んでもらう10分ほどの間に、うどん屋が何軒あるか数えてやろうと思うほどには香川県をなめていた。その10分ほどの間に見つかったうどん屋はわずか2軒であり、そのどちらも、もはや営業しているのかどうか判断がつかぬほど寂れた店であったが、ラーメン屋や中華屋も見え、香川県にはうどん以外の食事を提供するお店が存在するらしい。香川県に上陸してわずかの間に発見はあった。旅は発見の連続だ。

とはいえ、香川県に来たからにはうどんを食べないという選択肢はなく、朝の5時からやっているといううどん屋に入り、朝食をとることとする。時刻は朝の6時。僕と同じように旅行鞄を抱えたお客や、地元の大工さんと見られるつなぎを着たおじさんなどが、うどんをちゅるちゅると平らげては店を出てゆく。そんな店で、肉うどんと天ぷらを2つほど頂戴し、料金を支払って席につく。お店のおとうさんに呼ばれ、何かと思ってみればうどんの出汁はセルフサービスらしい。これは香川県のスタンダードなのかもしれないけれど、京都から来た人間にとっては知る由もない。いかにもな観光客らしい失態を犯し、きっと「これだから観光客は......」なんて思われながら(推測)、うどんを食べ始める。うどんの太さは面によって不規則で、1本の麺の中で、竜頭蛇尾の四字熟語の如く徐々に細くなってゆく麺もある。なんなら、龍頭蛇腹龍尾のように、太い麺が細くなり、再び太くなるものもあり、手打ちのうどんはなかなか面白い。中の黄身があふれぬよう、慎重に卵の天ぷらをかじるも、どうも完熟の茹で卵を天ぷらにしているらしく、卵に裏をかかれ、騙され、たぶらかされ、なんだか悔しい気持ちになったけれど、うどんをすすれば誰でも再び幸せになれる。香川県はそんな場所なのだ。

朝食の肉うどん。500円。



厨房ではおとうさんがうどんを作っている。大きなお餅みたいな、白い小麦粉のかたまりを2つ重ね、白いシートを敷いて上に乗って足踏みをする。地面も靴下もサンダルも小麦粉塗れになりながら、白い塊は薄っぺらく、平たく、より大きくなってゆく。そうやって平たくなった小麦粉のかたまりを4つほど重ね、また上に乗って足踏みをする。そうやってできる小麦粉の円盤は、まるでピザの生地のようだと言うと、うどんを生業としている人には叱られてしまいそうだけれど、本当にピザのようなのだから仕方がない。そんなふうにして作られたピザうどんを最後まですすり、よく晴れた高松へと出る。

高松城石垣と旅仲間Tくん



朝早い時間であるにもかかわらず、暑い。日差しが強い。休むはずだったジャンボフェリーの上でなぜか生まれた疲労と眠気とトランクケースを抱え、潮風でべたべたになって多少不快な思いをしながら、本来なら5分もあれば着くほどの距離を6倍くらいの時間をかけ、島へゆくためにフェリー乗り場へと向かう。途中でよく見たジュリアン・オピーによるイラストの作品を見つけ、立ち止まったりしたせいもある。ユニクロのフリーマガジンの表紙でみたイラストだ。他にも、看板自体がアート作品になっていたり、 高松城跡で高松城にまつわる映画の上映会があったり、どうも香川県はアートに対する感度が高いらしい。高松周辺はビルも高い。ガラス張りのハリケーンのような形をした建造物もある。ミニストップだってある。そんな発見がたくさんあったことで、香川県は(さすがに京都にはとても及ばないけれど)住みやすそうな町だと思った。旅は発見の連続なのである。

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