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【妄想語り】永田敬介さんの厳しさと優しさについて

【妄想語り】永田敬介さんの厳しさと優しさについて

永田さんは、老若男女分け隔てなく厳しいなと感じることがあります。

『絶望ラジオ』でリスナーのレターに対応される姿を見ていると、基本的には優しい方だと思います。とても丁寧に人に向き合い、全てをフラットに受けとめる姿勢には、最近、よく耳にする「多様性」を尊重する精神を感じます。様々な絶望を吐き出すリスナーの言葉に、「そうだね」「わかるよ」「よく話してくれた」と淡々と応える永田さんの声を聞いているだけ

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時間軸をズラしてみる

面白いライブの告知がTwitterで回覧されてきた。
何人かのフォロワーの方がチケットを購入されたり、迷われたりされている様子。
特に熱心に追いかけている芸人さんが出演されていたのなら、私も秒で購入していたことだろう。

12年前は2011年。そう考えると、12年後の2035年もすぐ先のことのような気がするけれど、振り返って、よくよく考えてみると、やっぱり、ずいぶんと変わっている。

12年前の自

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一年前に距離を置いた方がいいなと判断せざるを得ない状況があり、Twitterを離れ、こちらのnoteを代用的に別名で運用し始めたのですが、状況も落ち着いたと思うので、本垢名に統合することにしました。別名の間も優しく見守って下さった方には感謝しています。ありがとうございました。

言葉が出てこない時、「身体の中に溜めておけ」という永田敬介さんの声が頭の中に響く。おかげさまで焦らず「自分」を待ってあげられる。「身体の中に溜めておけ」良い言葉だなと思う。

「考えさせられました」

完全に自分が悪いのだけれど睡眠時間1時間ほどで出勤中である。

昨晩23時頃に、永田敬介の絶望ラジオ公開収録のアーカイブが公開された。私は仕事で行けなかったのだが、参加者の呟きを見ると絶賛の嵐であり、配信開始を心待ちにしていた。荷造りを始めようとしていたところだったが、空っぽのスーツケースを放り出して、配信を見始めた。

参加者の呟きを見るに、永田さんがずいぶんとヤンチャなトークをしたようで、マス

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断酒日記おわります

5月末から続けてきた断酒日記を、今日で終わりにすることにした。半年程度の期間に100本以上の記事を書いたのは初めてのことで、書くということへのハードルは少しだけ下がった気はする。下書きに眠っているものを含めれば、本当に沢山の言葉が私の中から出てきた。自分はこんなに自分のことを話したかったんだなと思った。

断酒自体は継続していく。
自分の行動と思考を言語化してアウトプットすることは、生活改善に絶大

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「思いやりや敬意を忘れずに発言することは、良き言葉を自分自身に聞かせることになり、それは良き自分との出会いでもある。言葉は常に自分に返ってくる。」

マウントにキレていこう

「別に他人に認められたいとか思わない。」などと、誰かに向かって、我が主義を、わざわざ言いたがる人がいる。「他の人より自分は高次元を生きている」という角度から人に認められようとしてるじゃないかと思う。

真に相手のことを思い、寄り添った助言の出来る人は、相手を聴しつつ迎合しない。フラットに相手の話を聞き受け止め率直に自分の意見を言う。

偽物のニュートラル。バレてるからな。

Centralのラジオ

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身を焦がして語れ

永田敬介の絶望ラジオ、好きな回の一つ。

リスナーの絶望レターを受けての永田さんの怒り。フレンドリーな関係性があるわけでもないのに、人の人生に好奇心でズケズケと介入してくる近所のおばさんがムカつくという話。共感するし何度聞いても救われる。

私も同様の経験をしたことがある。
13歳のときだ。父が高熱で意識混濁状態となり救急車で運ばれたことがあった。隣の家の窓が少し開いていた。その隙間から父が担架で

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虚構的な遊び

人を「愛する」には、相手からも「愛される」ことが必要だ。しかし、アイドルから、ファンが愛されることはないから、ファンがアイドルを愛してしまったら、自我は崩壊してしまう。だから、ファンはアイドルを「推す」。

自らの理想や願望が「人形(ひとがた)」になったもの(=アイドル)を、ファンは主体的に選びとり、愛情を注ぐ。その姿を見て声や歌を聴き、言葉に触れるとき、内から湧き上がってくる愛情は、どこまでも一

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Twitterサークルの機能がなくなったようだ。好きを語るのを推しに見られたくないという奥ゆかしさや、そのアカウントの「人」が見えてくる日常寄りの呟きに触れられるのは、なかなか楽しかったけれども。結局、私はこの機能を一度も使わずに終わった。

書くことについて

こうしてnoteを書くほどに、笑われて、馬鹿だと思われて、評判を落としているのかもしれない。

それでも、自分の内にある「ものさし」に従って、自分の考えや思いを言葉で拾い上げ、外に問うてみたいという気持ちの方が強い。

失敗して、嘲笑され、馬鹿だと思われ、悪い評判を流されることよりも、自分の内側にあるものを抱え込んだまま死んでいくことの方が、残念なことのように感じている。

明日はどうなるやらわか

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距離感の話

お笑いを見始めた4年ほど前に、一番驚いたのは、芸人さんとファンの物理的な距離の近さである。10年以上ハロプロのヲタクとして、神を崇めるような生活を送ってきた私にとってはあまりに異文化であった。

私にとって、落ちた当時、阿佐ヶ谷姉妹さんは、ハロプロの子と同等に「アイドル」であり、神として崇めるような存在であったのだけれども、どうやら、多くのお笑い芸人とファンの関係性は、そういうものではないようだっ

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感情に過剰反応しないことについて

身に覚えのないことを一方的に触れ回られたとしたら、普通は「私はそんなことは言っていない。していない。それは事実とは違う。」と、同じように触れて回りたくなるものだと思う。

でも、私の好きな芸人さんたちは、そんな怒りや憤りといった感情に振り回されることがない。きっと、その状況を冷静に観察し、その悪い噂を口にした人の心や状態、そして、自分にその攻撃が向けられた理由を見定める。彼女たちの語りからは、そん

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