時間軸をズラしてみる

面白いライブの告知がTwitterで回覧されてきた。
何人かのフォロワーの方がチケットを購入されたり、迷われたりされている様子。
特に熱心に追いかけている芸人さんが出演されていたのなら、私も秒で購入していたことだろう。

12年前は2011年。そう考えると、12年後の2035年もすぐ先のことのような気がするけれど、振り返って、よくよく考えてみると、やっぱり、ずいぶんと変わっている。

12年前の自分がどんなんだったか、ちょっと思い出してみたのだけれど、一番の関心事は仕事と育児の両立で、趣味的なことにはそこまでエネルギーを注いでいなかったと思う。とにかく「小1の壁」が不安すぎて悩みまくっていた頃だ。あの頃は、12年後に、自分がこんなに好き放題してるとは全く想像つかなかった。

今追いかけている方々について言えば、阿佐ヶ谷姉妹はASH&Dに所属前のフリーで活動をされていた頃だし、永田敬介さんは早稲田大学の学生で 学生HEROESの大会で優勝した年だ。佐藤優樹さんは小学校6年生でモーニング娘。のオーディションを受け10期メンバーとして採用された年になる。

こうして振り返ってみると、やっぱり、12年で状況はずいぶんと変わっている。12年後、自分がどうなってるのかなんてわからないな。そもそも還暦を過ぎて、生きているかどうかも分からない。

ちなみに、佐藤優樹さんについては、2012年の7月頃から追いかけているので、ほぼ同時代を生きてきたと言ってもいいと思う。意外と一途である。阿佐ヶ谷姉妹と永田さんについても、熱量は一定でないにせよ、佐藤さん同様に、12年後も自分にとって特別な存在である気はする。

ところで、これを書いていて気が付いたのだけど、今、私は、佐藤さんを、優先的には追いかけていない。M-lineのコンサートも昨年の12月に1回行ったきりだ。ステージで歌い踊る彼女を生で見ると、やっぱり魂が震えるのだけれど、チケット代の高さ(お笑いライブ4回以上行ける)や、彼女が闘病中のためやむなく急な休演をせざるを得ない状況、また、お笑いライブの演者との距離の近さなどを踏まえると、どうしても、コンサートよりもお笑いライブの優先順位が高くなってしまう。
それでも彼女が出演予定のコンサートに足を運び続けている人たちこそが、今の真の佐藤優樹のファンだ。そう考えると、Twitterなどでは、私は、おとなしくしておくべきなんだろうなと思う。他界するつもりはないけど隠居の自覚は持ちたい。昔話を聞きにきてくれた人にだけ慎み深くお話しさせてもらおう。

今日は夕方から知人の歌のサークルのコンサートを聴きにいってきて今、帰宅した。私も2019年頃に参加していた社会人サークルで、この頃は歌うことが私の1番の楽しみだった。ボイストレーニングを受けて自分の声が変わっていくのが楽しかった。2020年のコロナ禍でがらりと生活が変化し、そもそも歌のレッスンが中止になった。また、レッスンが再開しても、当時は月100時間くらい残業する生活を余儀なくされていたので、足を運ぶのが億劫になってしまい、結局、やめてしまった。当時、阿佐ヶ谷姉妹を推すのが楽しくて、全ての隙間時間を推し活に注ぎ込んでいたのも一因だ。今思うと、あれだけ残業していて、よく、あれだけ情報収集と発信を毎日欠かさずできたものだなと自分がおそろしくなる。
今日のコンサートに参加した生徒さんは、私の知らない人ばかりだったけど、みなさんとても楽しそうだった。でも、私は、一緒にやりたいなとは思わなかった。もし、また先生に歌を習うとしても、ソロボーカルのレッスンにすると思うし、そもそも、私が選ぶ表現手段は、やっぱり、歌より言葉かなと思っている。

私の「楽しいこと」は、やっぱりどんどん変わっていく。好きな人への熱量の注ぎ方も変化する。
「今このときを大切に後悔ないように生きよう」と思うと、今日、見られなかったライブが存在することに絶望して苦しくなる。でも、長いスパンで見たら、どうせ気持ちは変わるんだから、たぶん、見られなくてもここまで苦しまないだろうなと、と少し肩から力が抜けるような気がする。健やかに、芸能人を愛するために、時間軸を少しズラして考えてみるのも、有効かもしれないなと思った。とりあえず、今日の『魔の巣』と明日の絶望ラジオ公開収録を目撃できないことの悲しみを癒してみたい。