「考えさせられました」

完全に自分が悪いのだけれど睡眠時間1時間ほどで出勤中である。

昨晩23時頃に、永田敬介の絶望ラジオ公開収録のアーカイブが公開された。私は仕事で行けなかったのだが、参加者の呟きを見ると絶賛の嵐であり、配信開始を心待ちにしていた。荷造りを始めようとしていたところだったが、空っぽのスーツケースを放り出して、配信を見始めた。

参加者の呟きを見るに、永田さんがずいぶんとヤンチャなトークをしたようで、マスキングや一部カットもやむを得ないだろうと思っていたのだが、おそらく完全版でお届けいただいた。永田さんがマスキング指示をした部分もそのまま流れていた。本当にありがたかった。運営の方のご英断に感謝したい。

永田さんは終始穏やかな表情でお話されていたし、絶望的な話ばかりなのに客席はなぜか優しくあたたかい空気に満ちていた。これを現場で味わってみたかったなと思った。

とても面白かった一方で胸に刺さった棘のようなものが残った。この棘の正体について、今は鬱々と考えている。

人が、何かについての感想を求められたときに「考えさせられました」という言葉はよく使われるものだと思うが、それで自分が何かを言ったような気になっていないだろうか?

永田敬介さんの言葉は、そんな「消化試合」(永田さんの言葉を借りる)の「考えさせられました」を許してくれない気がする。身をもって考えなければいけないような気持ちになる。それは痛みを伴う。永田さんはいつも、そんな言葉を、客を笑わせながら放っているように思う。

眠れないなぁと思っていたら、永田さんのYouTubeで「龍が如く喋り」が更新された。どうせ眠れないならと、この動画も見た。
話の流れで、私的に制裁行為を行う際、冤罪の余地はないのだろうかとモヤモヤするという話をされていたのが印象に残った。正義や公正さに対する永田さんのこの感度の良さは、本当に信頼できると言うか、共感させられる部分だ。

午前3時半頃から旅支度を始め、4時半頃に一度眠った。5時40分頃に起きて息子の弁当を作り、身支度をして家を出た。忘れ物をしてるだろうなと思う。でも山奥にキャンプに行くわけではないので問題はない。

今もずっと「考えさせられて」いる。
少しだけ辛いけれど、有益な時間だ。

引き続き、私は私の言葉を磨きたい。精進します。