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謝らないことしかできない。

私の両親は、六十代で地方移住し、いまは夫婦二人で暮らしている。
田舎暮らしも八年目を迎え、もうすっかり、その町の人になった。ふだんは遠く離れて暮らし、年に何回か、顔を見せに会いに行っている。

五月の連休にも、父と母に会いに行った。静かで小さな町には海があり、山があり、広い空がある。滞在中は、いろんな路地を散歩したり、庭でビールを飲んだり、小さな畑でつくっている野菜の様子をみたり、両親にスマホを教えたりして、のんびり過ごす。母の手料理を味わいながら夫婦のいろいろな話を聞くのも、楽しい時間だ。

お昼過ぎ、母が近所のスーパーへ行くというので、一緒について行った。レジの女性は母と同じ歳くらい。顔見知りのようで挨拶を交わしている。私を見て「娘さん?」と聞き、母がそうだと答える。私は会釈をした。

「お孫さんが来てるなら、賑やかでいいわねー」と、その女性は笑顔で言った。
私の年格好を見て、子どもがいると思ったのだろう。娘の子ども、つまり母にとっての孫も一緒に遊びに来ているのだ、と。

「孫はいないのよ」と、母が返す。
一瞬の沈黙。気まずい空気が流れる予感がして、私は咄嗟に、「近くのお土産コーナーに気をとられて聞こえなかったふり」をしようとした。
後ろからすぐに、母の声がした。
「来るのが娘だけだと、気が楽でいいわー」
その明るい調子にレジの人も同調し、なごやかな空気のうちに会計は終わった。

私は、母の対応に感心していた。
「帰省するのは娘だけ」と笑ってみせることで、孫はいない、そもそも娘は結婚もしていない、ということをさらっと、相手に気まずい思いをさせることなく伝えていた。急にプライベートに踏みこまれて、しかも勝手な決めつけを真正面からぶつけられて、それをあんなに軽やかに切り返せるなんて、すごいじゃないか。
前のめりで否定するでもなく、あいまいに濁すでもなく、実に自然で、あれ以上の模範解答はないくらいの完璧さだった。反射神経も見事、言葉の選択もスマート。その鮮やかな振る舞いが痛快でさえあり、私は気分がよかった。さすが我が母、やるじゃん。かっこいいじゃん。

スーパーを出て、歩きだす。お互いどちらも、さっきのレジでの出来事にはふれなかった。何事もなかったような顔をしている母がたのもしく、私の生き方を肯定してくれているのだと思えて、うれしかった。

畑の中の道に、ふたつの影が並んでいる。母と、母にならない私と、影の形はそっくりなのに、生き方はまるで違っているふたり。庭の植木に水をやっている父の背中が見えた。いつもは父になんでも話す母が、この日は家に着いてもそれをしなかった。

ふだんどおりの楽しい夕食。楽しいお酒。なごやかな家族の時間が流れていく。

自分の思い違いに気づいたのは、ひととおり飲み終わり、台所で片付けを手伝っている時だった。
洗い物をしている母の背中がなんだか小さく見えて、歳をとったな、と思った瞬間、はっとした。「そんなわけない」と思った。

母の世代は、結婚して子どもを産んで家族をつくる、それが当たり前の時代だ。友人も、近所の人も、パート先のひとたちも、まわりはみんな同じような価値観だったはず。まさか自分の娘が、四十路を過ぎても未婚でいるとは思いもしなかっただろう。仕方ないとは思いつつ、すんなり受け入れられていたはずがない。そんなわけはないのだ。
まして今、両親が住むこの町は、地方都市のさらに田舎の、良くも悪くも昔からの古い習慣や考え方が残っている場所。個性よりも協調性、多様性よりも周囲と同じであること、それが正しくて良いこととされている世界。お嫁にいって子を産んで、その子を連れて実家に帰ってくることが普通で、当たり前で、それ以外の正解なんてないようなところだ。

「娘さん、結婚は?」「お孫さんは?」
きっとこれまで、数えきれないくらい、母は聞かれてきたに違いない。たわいない世間話の途中で、ひさしぶりに会う友人との会話で、そして、この町に移住してきてからの日々の中で。

そのたびに胸がざわついただろうか。無理に笑顔をつくっていたのだろうか。うやむやに返したこともあったのだろうか。最初から平気でいられたはずがない。母だって、「どうしてうちの娘は・・・」と思ったことがあったはずだ。

昼間のスーパーでの出来事を思い返す。私がかっこいいと驚き、心の中で称賛したあの対応は、これまで何度も、うんざりするほど何度も聞かれ続けた母がたどりついた、最適解だったのだ。
相手に気を遣わせないために。自分の感情を動かさないために。この田舎町で、これからも生きていくために。

母にそうさせたのは、させてしまったのは、私だ。
出さなくていい明るい声、しなくていい笑顔、使わなくていい社交性。ぜんぶ、私がさせていたことだった。
「孫はいないのよ」「来るのは子どもだけだから気が楽だわ」
定型文のような言葉をにこやかに返すことに、慣れさせてしまった。なんて残酷なことをしたのだろう。

なにも気にしていないように見えたのも、娘の生き方に理解のある進んだ母親に見えたのも、母が自分から望んだことではなく、そうするしかなかったからだ。私という娘を持ったことで、母はそう振る舞うしかなかったのだ。

そんなこともわからずに、私は母をかっこいいと思い、「やるじゃん」なんて評価していい気になっていた。
恥ずかしくて、悲しくて、自分が今どんな感情でいるのかが、わからなくなった。


鼻歌を歌いながら用事をしている小さな背中に、ごめんね、と言いたくなる。でも、言ってはいけない、とも思った。ここで謝ったら、私が両親に対してなにかを申し訳なく思ったり、負い目を感じていたり、していることになってしまう。そう思わせることが一番、悲しませる気がした。
親不孝かもしれないが、私は不幸ではない。私は悪くない。私も、母も、レジの人も、世間も誰も悪くない。だから余計にやりきれない。やりきれないから、謝らないことだけ決めて、その日はずっと眠れなかった。


翌朝、お隣の農家さんが、朝彩れの野菜を持ってきてくれた。私と会うといつも、「ここは田舎だから退屈でしょう」「お母さんのご飯はおいしいでしょう」「ゆっくりしていってね」と声をかけてくれる。私の個人的なことはなにも聞かない。母も聞かれたことがないという。いつもすごくお世話になっているかただけど、そういう距離感でいてくれる人もいる。有り難い。いい人の多い町なのだ。


両親が思い描いていたような人生を、自分が歩んでいないことは、ずいぶん前からよくわかっている。
「元気でいてくれたらそれだけでいいから」と言ってくれるのは、本当に心からの気持ちだろう。
でも、その心境になるまでに飲みこんできた言葉、折り合いをつけて受け入れてきた感情、諦めた理想、たくさんあったのだと思う。あったはずだ。
今頃になって、それがわかる。だから私はやっぱり、謝らない。

お母さん、ありがとうね。
夏になったらまた、あなたに会いに帰ります。

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