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うちはうち。バスタオルとサラダの家族ルール

自分の家で当たり前だったことが、世の中ではどうやら当たり前ではないらしいと気づく瞬間がある。

おや、他の家のすき焼きは豚肉じゃないっぽいぞ・・・とか。
えっ、ご飯の時はテレビ消すんじゃないの?とか。
うわー あの家はキャラメル食べてもいいんだ!とか。

ただ、気づいたところで、子どもの自分に何かできるわけでもない。親の保護の元でしか生きていけない身分では、そこに疑問を感じたり、ましてや他の家と同じにしてほしいと頼んだりなんてしてはいけない、ということはわかっていた。それに、自分の家のルールや習慣が特に嫌ということもなかったので、「よそはよそ、うちはうち」を素直に受け入れ、実家という文化圏の中で長く過ごしてきたのだった。

父と母が下の名前で呼びあっていたのも、私にとってはごく自然なことだった。今思うと、「夫婦」という最小単位への意識がもともと強かったのだろう。子育て中も、子どもたちが家を出た後も、ずっと同じ呼び方で二人は暮らしている。
親であることよりも先に、夫婦であること。それを大切にしたいと考える人たちだから、移住にまつわるさまざまなことも乗り越えられたのだと思う。

他の家と違うと知って一番驚いたことは、バスタオルの枚数だった。一日一枚が普通だと思っていたからだ。父、母、子どもたち、家族みんなで一枚。ずっとそういうものだと思っていた。当然、最後のほうに使う人はしっとりしちゃうけれど、それも日常だった。
一家で一枚ではなく、一人一枚という"文化"があることを知ったのはいつだっただろう。友人との会話の中でそんな話題になり、どうもかみあわないと思って追求してしまったのがきっかけだったかもしれない。一人一枚の家で育った友人はとても驚き、異星人を見るような目で私を見ていたっけ。別の友人は私の話を応用し、合コンや飲み会で盛り上がる鉄板ネタとして「実家のバスタオル何枚だった?」を多用するようになった。少し複雑な気もしたが、それだけ普遍的で奥深いテーマを提供したのだと思うことにした。

バスタオルほどではないが、友人に驚かれたことがもうひとつある。サラダに対する認識だ。私の家では、サラダといえばポテトサラダだった。たまにマカロニサラダとか、春雨とハムを中華風やマヨネーズ風味にしたものとかも出たが、いわゆる生野菜シャキシャキのサラダが食卓に出ることがほとんどなかった。
理由はよくわからないが、それらのメニューを「サラダ」「野菜」と認識していたので、火を通していない生野菜がどうにも苦手な大人になってしまった。レディースランチにだけ付いてくるミニサラダも別にうれしくないし、飲み会でまずサラダから選ぼうとする人の心理も正直理解できない。ビールにあわせる揚げ物を決めるのが先だろう、と心の中でぼやいてしまう。
そういえば実家では、たまに豚しゃぶサラダも出ていたな、と思い出す。レタスと肉の割合が2:8くらいだったあれは、はたしてサラダといえるのか疑問だが、サラダのある献立をなんとか成立させようとしていた母の工夫は理解できる。全体的に茶色っぽかった我が家の食卓もまた、ひとつの文化だったと思いながら、アジフライと、こっそりポテトサラダも注文する。

今は、父と母のバスタオルは別々になった。小さめで乾きやすいものをそれぞれ使っている。移住先では新鮮な野菜が安く手に入るようになり、サラダのバリエーションも増えた。自分たちでつくったトマトなどは、想い入れがあるぶん余計においしく感じるらしい。バスタオルやサラダにまつわる我が家の"文化"は過去のものになりつつあるが、私たち家族だけの「普通」が、大切な記憶であることに変わりはない。

みんなで一枚のタオルを使っていたあの時代を経て、両親は今、おだやかに暮らしている。大好きな場所へ移住する夢をかなえ、山と海と空しかない日常の中で、第二の人生をいきいきと過ごしている。新しい家の浴室には大きな窓があり、開けると山からの風が心地いい。夏は湯船から月を見上げることもできる。引っ越して最初のお正月、父は三が日とも朝風呂に入った。

家族全員がそろう機会は減ったけれど、同じタオルを使うことももう無いけれど、家族はずっと続いていく。我が家が特別に仲良しだとは思わないし、正直その存在を煩わしく感じることもあるが、続ける努力をしなくても終わらない関係ってなかなか他に無いし、不思議だ。

たまに会って元気な顔を見せ、懐かしい話をして笑い、ひとときを一緒に過ごし、またそれぞれの生活に戻っていく。この距離感が今はちょうどいいと思っているが、これから先、家族のカタチもまた変わっていくかもしれない。
その時が来るまでは、両親の移住先でのおだやかな暮らしが少しでも長く続いてほしいと思っている。

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