うつの旅々

ひとたびでるひと 2度の大学中退 2度の自殺未遂 IQ137(CAMS)

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最近の記事

首奇

年齢を尋ねられると、どうして後ろめたいと感じるのか? どうして給料を聞かれると、恥ずかしいと感じるのか? どうして学歴を問われると、心苦しいと感じるのか? いつからそう思わされるようになったのだろうか。 若ければ偉いと思っているのか 給料が高ければ能力が高いと思っているのか 学歴が良ければ賢いとでも思っているのか 意識すると吐き捨てたくなることばかりだが、これらについて聞かれたとき、僕の頭は無意識に防衛心を張り巡らせる、そして時には我が身可愛さに信念に反して嘘を

    • 旅に出て初めてメンサで良かったと思えた話

      僕はメンサという、いわゆる高IQのコミュニティに入っているのだが、日本では大して活用してこなかった。精々ボードゲームをしたりクイズをしたり、社会人クラブという感じで、仲の良い友人が数人できた程度であった(それだけでも十分なのだが)。しかし、メンサは国際組織、旅に出るのに使わない手はないとそのことを相談すると、各国の人がその国を訪れた人をコーディネートしてくれる仕組みがあることを教えてもらった。 そして、シンガポールやマレーシア、インドでメンサの人たちにあった。 インドでは奨学

      • 怒りの矛先

        インドのチェンナイという街で、外国人だからという理由で予約したホテルを3度も追い返されて、炎天下の中4時間も歩いていた。そうして街なかで歩いていると珍しい動物でも見るような眼差しを向けられた。そして道行く子供にズボンを指さされbaggieと呼ばれた。 僕はこの日、もうインドなぞ懲り懲りだと思った。しかしこの前日、僕はインドのメンサ3人と会っていた。インドメンサが貧困層のギフテッド教育プロジェクトを行っている話をしながら一緒に食事をし、僕の要望でインド工科大学マドラス校を案内し

        • 無能な善意が人を貶める

          ハンロンの剃刀という言葉がある。曰く、無能を悪意と取り違えてはいけないというやつだ。善意か悪意かは、その能力と本来なんら関係はない。にもかかわらず、誰かの言動に際して不利益を被ったときに、人はそれを悪意と見なす傾向がある。悪意であることもあるだろうが、大抵は無能で十分に説明がつくケースが多い。おそらくそれは、できるからやる(I can therefore I do)という言外の了解に立っていることが一因なのだろう。 しかし、もっと厄介なケースがある。 それは無能な善意だ。 こ

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        • ひとたびたびでる
          4本
        • 枝葉節
          12本

        記事

          亜変

          みんな何かに酔っている 酔ってなければ見てられない 少し変わっているだけで 差別と区別を行き来する ああ偏屈な人たちよ ここが私の阿片窟 誰もいないこの場所から 世界をこの手でケシとばす 不要な私のあふようよ 今宵も君とかく酔うよ

          同情と心配の帰属意識

          台湾で大きな地震があった。友達が心配で連絡をした。旅をしていると云うので、日本にいる友人が僕に心配のメールをくれた。しかし、どうして、日本にとって台湾の地震はそれほど心配の種になるのだろう。どうして東北大震災とモロッコの大地震では同情と心配の度合いが違うのだろうか。 これはおそらく単に想像力の範囲の問題だ、そしてその想像力の範囲は僕らが知らずのうちに植え付けられたものだ。 この間会った人が言っていた。一緒に寝た女がいる国にミサイルを打てるか、風俗業は世界を救っているんだと。

          同情と心配の帰属意識

          耐力

          自分の身体のどこにこんなに体力があったのかと、旅に来て驚かされた。ラオスから深夜バスで12時間の陸路の国境を越えバンコクへ到着し、宿まで2時間半の道を徒歩で移動し、カフェで3時間ほど読書とコーディングをし、デパートで買い物をして、ホステルに戻り、インドへの出発の準備をしている。サッカーを15年くらいやっていたが、持久走ではいつも後ろから5番以内だった僕とは到底思えない。自分への認識などその程度、のものなのだろう。

          加害者になる覚悟

          なにかの信念は主観的な枠組みから完全に這い出る事はできない。どんなに大層な主義もそれを捉える人の信仰をその部分に負う。完全無欠な考えなど存在せず、すべての情報が出揃うことなども決してない、それでも僕らは何かを変えるために、何かを与えるために、決心や決断を迫られる。僕らは加害者になる覚悟を持たないといけない。自分がどんな思想の共犯なのか、どんな行為の犯罪者なのかを自覚しないといけない。そうした上、それでもなお、為したいという思いがあるのならとことんやるべきだ。加害者にすらなって

          加害者になる覚悟

          セックスをせずに進撃の巨人の名言を聞きながら帰った夜

          今のところ、今回の旅で最大の挫折だった。知り合った人に、女の子が裸で踊るバーに連れて行ってもらった。感動が止まらなかった。こんな場所があるんだと膝を打った。月並みだけど、今までここを訪れた日本人が同じことを思ったであろうことに思いを馳せながら、ラップダンスをするかわいい女の子と話していた。ただ、僕はその人と一夜を共にできなかった。臆病風をふかした、わけではない、むしろいい経験だと思ったし、身体は乗り気でもあった。それでも、最後は独りで帰路についていた。帰り道、オフラインに入れ

          セックスをせずに進撃の巨人の名言を聞きながら帰った夜

          属人化と自助努力を要しないシステム

          もっとも美しいシステムは属人化と自助努力を要しない。誰かに依存しているシステムはその人物の代替不可能性ゆえに、簡単なことで機能しなくなってしまう。一時の首相が暗殺されても国が転覆することはないが、タレントが死ねばオンラインサロンは閉鎖する。さらに、そのシステムを使う人に努力を要する、つまりは性善説を前提としたシステムはダサい。誰かが用を足したあとに便器の蓋を閉めるように呼びかけるのではなく、自動的に閉まるトイレを開発しろみたいなことを云っていたが、まさにこのことである。

          属人化と自助努力を要しないシステム

          素敵で陳腐な臭い信念

          久しぶりに、嬉しくて泣いた。台湾の旧友が色々話を聞いてくれた。マレーシアの大学の同期に連絡をとったら会って本当に優しい言葉をくれた。マレーシアで知り合った人は最高にもてなしてくれて君と会えて良かったこれからもよろしくと云われた。シンガポールで出会った人は初対面の僕に本当に優しくしてくれた。月並みだけど、世界は広くて、僕らは独りではなくて、どこかには助けてくれる人が必ずいる、そして人に優しくするのに理由は大して必要ない。今のところ、これが一番学んだこと、かな。必ず持ち帰りたい、

          素敵で陳腐な臭い信念

          観光圧力

          観光地がそれほど好きではない。観光客もそこにどうしても行きたいわけではないのに訪れるし、現地の人は観光客相手にどう振る舞うかをプログラミングされているし、なんだか気持ち悪い共犯関係が生まれ独特な雰囲気を醸成している。しかし、僕らはある国を訪れるとき、その国のことを大して知らない。そして観光ガイドブックで調べては特集の組まれているところへと足を運ぶ。それが悪いわけではないのだが、他の場所を知るすべを僕らはあまり持ち合わせていない、ように思う。そもそも知らない場所は調べようがない

          代替思考の友情論

          友達は替えが効くと考えたほうがむしろ代替不可能な深い仲になれる、という猛言をわりかし信じている。替えがきかないと考えると相手に阿るようになる、すると本来の自分として振る舞えなくなる、なので居心地が悪くなる、だから人から離れる、という繰り返しを演じてきたのだが、今仲良くしている人の殆どは出会った当初どうでもいいよ思っていた人間ばかりだ。だが気付けば話すしわりと深い仲になっている。人に好かれすぎる人間はこうした淘汰が起きづらいのでトラブルにも見舞われることが多い。

          代替思考の友情論

          仮想小説装丁作家

          仮想小説装丁作家

          固有名詞の力と嘘

          メモ帳に語彙語彙スーというタイトルで、普段出会った固有名詞を記録している。 僕は、品詞の中で固有名詞が一番偉いと思っている、と同時に、会話の中で固有名詞を乱発する人間をちょっとだけ軽蔑もしている。 固有名詞には、力と嘘がある。 まず、検索に強い。学術用語や地名、人名などは他の言葉では代替が難しく、書き手もこれらの言葉を載せているのでタグを見つけやすく、検索エンジンで拾ってきやすい。それが故に、流行っている言葉は検索上位にするためだけの記事を書いたりするので検索が濁りつつあるが

          固有名詞の力と嘘

          分かっている人ほど平気で分からないと云う

          しょっぱい処世術だが、何かを聞いたときに、わからないなあ、という言葉で始める人は信用が置ける、ような気がする。世の中は複雑で、一人間が取り扱える情報には限りがある。認知は有限なので、何か一つの原因に帰属させたり、銀の弾丸のような万能の解決策はないし、あったとて理解できない。しかし、何かを判断しなければならないとき、人は自信のある人や断言しているを信奉してしまう。なぜなら、自分には理解できない領分に精通しているかを判断できないので、そうしたパッケージを持っている人を信用するのが

          分かっている人ほど平気で分からないと云う