思考の図と地

事物には良い面と悪い面がある、というわけではない。事物は良くも悪くも捉えることができる。つまり、事物の解釈に一義性はなく、多義性がある。そして、この多義性という概念自体も、一義的に捉えられるわけではないという矛盾を孕む。これは、人間の認知の限界による問題だけでなく、原理的に全ての側面を渉猟することが不可能だからである。人間はすべての情報を瞬時に理解することはできないため、直感的に感じる方を瞬間的に採択する傾向がある。これは、良い面が見えやすい人には良いと、悪い面が見えやすい人には悪いと、事物が判断されることに繋がる。良い面と悪い面は同時に知覚することが難しい。まるで思考にも図と地が存在するように。このような状況では、時間をかけて考えを深め、ここは良い、ここは悪いと切り分けることが求められる。そうすれば、比較ができ、より良い判断が可能になる。しかし、この切り分けには限度がある。この限度を超えると、全体像を見失い、トリガミ(損失を避けられない状態)になってしまう可能性がある。このバランス感覚を保つことは非常に難しい。日常的に人はこうしたタスクを考えながら生きている。情報の洪水の中で、すべてを評価し、バランスを取ることは疲弊する作業だ。そして、疲弊した状態では、簡単な解決策や愚かな選択を下しやすくなる。

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