密度、濃度、圧縮、希釈

一度に人間が処理できる情報には上限がある。それを超えれば情報氾濫で頭がスタックオーバーフローし煙を上げて停止する、という言う事にはならず、むしろそれだけの情報にさらされると、適切な判断力を失い自分に都合の良い甘言だけを聞き手痛い選択をし這々の体で帰路につくことになる。逆に、処理する情報量が少なすぎると見るのも聞くのも退屈し、処理自体をやめ別の情報源へと目移り耳移りしてしまう。そう考えると、情報には固体的な密度や液体的な濃度が存在していて、それらを適切な帯域にアジャストするために発信者や受信者自身で圧縮、希釈してやる必要がある気がしてくる。さて、この情報の密度や濃度には時間方向か空間方向かによってそれぞれに分類できるような気がするが、乱暴に言って両者は時間方向にまとめて差し支えないだろう。なぜなら、いくら空間方向に情報を詰め込もうと時間方向には閾値があり、結果としてそれがディズニーリゾートのような物理的な場所だろうとWebサイトのような仮想的な空間だろうと、これらの場所に滞在する時間が伸びるという時間方向に還元できるからだ。さらにもう一つ大事な軸としては、これらの情報処理が意識的なのか無意識下なのか、というのがある。自覚がなくとも僕らはあらゆる情報を無意識にプロセスしている。むしろ、無意識的な処理のほうが格段に多い。しかし,僕らが意志を持って圧縮や希釈できるのは意識的な処理の方だ。断片的で希薄な情報は一箇所に集め並べ繋げ、未来の自分や他人のためにその密度をます。網羅的で濃縮された情報は一度に飲み下すのは味がこ濃すぎるで刻み薄め分けて割る。濃縮と希釈、連結と分割、部分が寄り集まって全体を形成し、全体から見た部分がまた新たな意味を帯びる。

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