賢いってバカにされる

かしこい、と言われる機会が増えてようやっとこさ気付いたのだが、かしこいというのはどちらかといえば無意識的な侮蔑、あるいは意識的なブランドの賞賛であることがおおおい。まずかしこいという言葉は目上に使うと違和感のある言葉だ。子供が親や教師をかしこいと評すればどこか心にしこりが残る。そんな目上目下を選ぶ言葉のようだ。そして、人が人をかしこいというとき、人はその発言者の言動を理解していないことが多い。それでも何かすごいことを言っていそうだとほめておこうと、一周回ってさげすまれた侮蔑がかしこいという言葉を選ばせている。もちろん、言動の意味を理解し、本質を感受したうえでかしこいと評する手合いもいようが、そこまでのレベルであればかしこいという目上が目下に対して使う言葉を積極的に使いはしない。ひっきょう、分からないけどすごそうなものに対して相手に気を遣いかしこいという目下にいう言葉を投げかける、大学や会社などの明確なブランドに対して言っているのだろう。
元来、かしこさで負けている人がかしこい人を正しく評することは相当難しい、のであればかしこいといった側のほうが常にかしこいという状況になってしまう。
いわれた側にも問題はある。何かを伝える際に相手にわかる言葉にかみ砕いて説明した時に、かしこいといわせる圧力がそこに発するのをわかっていながらそれでも容易な表現で説明してしまうことがある。そのわりには、かしこいという言葉が使われる文脈はかなり限定的だ。僕は野球や音楽の知識はからっきしだ。それでもそれらをいう人は自らをかしこいとは評せず、僕が話すようなことを平気でかしこいと一笑に付す。
ではどうするか。
かしこい、という言葉を自分ができない、またはできるようになりたい能力を有する人がそのスキルを出したときの尊敬と憧憬の言葉にしたい。
だから、
歌ってみたの歌い手はかしこいし、野球のチーム変遷の話をする彼らもかしこい。みんなかしこい、IQが高いとかしこいし、東大に受かればかしこい。泳ぐのが早ければかしこいし、惚れっぽいのもかしこい。
みーーーんなかしこい、どうせみんな愚かなんだからさ。

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