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時間を流す、あるいは余白を埋める「苦み」について

どうも、西川タイジです。先日リリースしました私の作品『珈琲短編』を読んで頂いた方から、素敵な感想を頂きましたのでご紹介させてください。

素晴らしい感想を頂くと、自分がとんでもなく文章が上手いのではないか…?と錯覚してしまいそうになりますが、これからも精進したいと思います。本当にありがとうございます。

それでは、どうぞ。

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主観的なひとり語りの文章なのに、脳裏に描かれる、まるでその場にいるような言葉では捉えがたい臨場感はいったいなんなんだ、とわたしは西川さんの小説を黙読でテイスティングするたびに、常々感じる。

彼の言葉を通して、読み手として、わたしの感性が映写機のように日常を再現しているわけだけれど、登場人物の気持ちに寄り添いなりきるような感情の追体験を味わう読書体験というより、かの物語は完全に「外側から」眺めているような心地になる。ああ、氷がなくてあたふたしている、抜け駆けのように一人ですすっている、――名前のある女とは、明確に分けてるタイプなのか、とか。

先に温度を訴えてくるように感じるセリフたちは、洒落た文言であってちゃんと若い感情の含羞があるのに、匂い立つほど異様に生々しい。近すぎるくらいに近いのにわかり得ない透明な空気と距離感のコミュニケート。名前を伏せた演出は顔を隠してみせるけど、いやいや強烈な「らしさ」がチラリ(東京怖ッ)。

作中のおいしそうな珈琲の苦さや香りや喉越しを思い起こそうとするとき、そのあまりにもリアルな感覚に、いつぞやどうにか忘れてきたはずの苦味までも引っ張り出してくるわけだけれど、珈琲とは――日々の余白を埋める、あまりにもありふれた相棒とは、そういうふうに深みを増していくものなのかもしれない。温かくても、冷たくても、甘くても、苦くてもおいしいことの罪深さを、ため息一つに思っている。

川淵紀和
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書いてくれたのは川淵紀和さんです。本当にありがとうございます。

紀和さんの他の文章も、是非チェック頂ければ幸いです。

※以前、『さよならシティボーイ』への感想もお寄せ頂きましたので、合わせて是非。

■『珈琲短編』については、こちらから。

■オフィシャル通販はこちらから。

それでは、また。

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