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次元が違う話

先日なのですが、市バスの中で、おばちゃん同士が、「そら、あんたとでは、次元が違うからな!」と、やや強い語気で口論しておられたのですが、どうやら「私の方が上やからな」的なマウントの意味のようです。

でも、次元が違うって、どれ程の違いがあるのでしょうか?隣で座りながら、少し次元を検索してみると、こんな動画がありました。

☝️わかりやすく出来ている、次元の解説動画

これがなかなか面白い。でも、自分たちの世界(三次元という意味でなく、生活や環境という側面)にしっかり説明を落とし込めていない。これでは、おばちゃん達も、理解出来ないでしょう。

この手の動画が間違えやすい点に、次元を全て図形で説明しようとするものがあるんですが、実は時間が次元を確定させる要素(方向)になった時点で、図形での説明が入らなくなる人は多いと思うんです。これは残念なことだけど、一つ上の次元(四次元)で、既に多くの人は理解不能というのが実際じゃないでしょうか?

もちろん、文系(福祉系学科)の私が理系の解説者ほどに上手く出来るかわからないですが、次元を「生活や環境」という視点で、一部図形も使って説明してみたいと思います。

まず、三次元(この世界)までの次元は、理解するのに難しくない。

点=0次元
線=1次元
面=2次元
奥行き=3次元
(詳しくは添付動画参照!)

ところが、四次元から時間が次元を確定させる要素(方向)になるんだけど、「じゃあ三次元の時間は何なの?」と言われると、あれは正確には時間じゃなくて、次元(空間)を維持させる為の要素的なもので、世界を立体にさせる為に「必要最低限な一方通行の流れ」(要素)だと思う。

ただし、三次元の世界において、二次元の世界の時間を早送り、巻き戻しは可能で、当然同じところを何度も見たり、読んだりできる。本や動画がそうだよね?

では、三次元の世界を四次元の世界の人は、同じように早送り、巻き戻し、繰り返しなどが出来るのか?と言われると、「たぶん出来るだろう」。いや、もっと言うなら、自分自身の人生さえ早送り、巻き戻し、繰り返しが可能で、彼らはお気に入りの年代を何度も体験する事が可能だと思う。

ここで、添付動画の四次元の図形画像に戻っていただくと解りやすいのだけど、三次元の時の図形と違い、図形は前後に分身するように延びて、形造られているのが解る。これが時間をコントロールできる根拠で、四次元は三次元のようにコントロールできない一方通行な時間が流れる世界ではないことが解る。彼らは自分の時間をコントロールする事が可能なのだ。

ちなみに、私たち(三次元民)が時間をコントロールするという意味は、優先順位を決めているか、時間配分を決めているかであって、本当の意味で、時間をコントロールしている訳ではない。

さて、では更に上の五次元だが、このあたりまで来ると、図形も複雑だし、要素(方向)も多数ある。まあ、推測になるが、Aさんの人生もBさんの人生も、いかなる他者の人生も、自分の体験(人生)に代えることが出来るのが、五次元ではなかろうか?もちろん、各体験での時間のコントロールも可能だ!だから、一つの人生の中で(といっても終わり方がわからないが?)、いくつもの人生が任意で選択できる訳だ。

そして、六次元になれば、それが人間だけでなく、虫や動物、植物さえも自分の体験(人生)に代える事ができるとか?どんどん要素(方向)の矢印が拡大して行くイメージだ。おそらく、ここまで来ると、人物だけでなく、物体の発生起源から消滅理由まで、予測ではなく、事実としていかなる場面(時期)でも、知ることが出来ているはずだ。

どうだろう?やはり「生活と環境」にまで話を落とし込むのは、かなり難しいか…

では、おばちゃん達が言い合っていた、「次元が違う」という部分にわかりやすく焦点を当ててみよう。

まず「違う次元に行けるのか?」だが、これはわからない。この三次元の世界に、ドラえもんのタイムマシンのような設備が、秘密裏に既にあるのかもしれないが、理論的に言うと、その次元に行った段階で、元の次元での自分の存在は、消滅する可能性が高くて、故に「行けたか行けなかったか?」、「行ったらどうなったか?」は、本来聞くことはできないはずだ。それは、死人に死後の世界を直接聞くことができないのと同じだ。

よく、未来から来た「未来人」というスレがあり、結局「未来人」は、未来に帰っていつも終わっているが、実際は未来から過去に来て、再び未来に戻ることは、容易ではないだろう。(まず高次元に移動する必要がある)。ドラえもんのタイムマシンではなく、バックトゥザフューチャーの西部開拓時代での時間移動の方が苦労の表現としては近いかもしれない。

もっと言うなら、時間移動が次元を越えて容易にできる程の次元(10次元とか)から来た人物は、もはやこの次元(三次元)の人間が同じ人間として認識することは出来ないかもしれない?

わかりやすく言うと、神に近いそんな高度な未来人は、「我々を観察することはあっても、いちいち介入してくることはないし、ブラインドタッチでパソコンからスレにアクセスもしない」ということだ。

(あなたは、めんどくさい事になるとわかっている問題に、敢えて絡みに行くだろうか?犬のうんちを道端で見れば、敢えて自分から踏まずにはいられない人ならば、あなたは異次元の未来人と遭遇するかもしれない)。

また、今回の記事の添付動画では、次元移動した先の人間の存在を、「シャボン玉のよう」と表現して、極めて不安定で危うい状態だと説明しているが、これは動画製作者の優しい表現だろう。

勝手な想像だが、私的には「刃物のようなレーザー光線が張り巡らされた物凄い急流の流れるプールを逆向きに泳ぐイメージ」が、私の次元移動のイメージだ。おそらく、個人の力でたどり着くことはない。というか、入り口さえもわからない。

もちろん、反論もあると思う。例えば仮想空間の「アバター」なんかは、「二次元に行けたじゃないか?」と言われる方もいるかもしれないが、あれは「アバター」が二次元の世界に行っただけのことだし、あなたは今も三次元の住民に変わりはない。

反対に二次元の住民が、三次元に来たら、おそらく棒人間みたいなペラペラで不思議な存在が街を歩くことになる。決してアニメ(二次元)のコスプレイヤーのイメージでは現れないだろう。

もし、あなたが街で棒人間を見かけたら、「よく来たね!よく頑張った」と握手をしてあげて欲しい。その人はその圧力で容易に崩壊し、消滅するだろう。

と、このように相手と次元が違う場合、そもそも「同じ場所に存在することが不可能」なのだ。だから、市バスの車内で口論している二人は、確実に同じ次元であることに間違いはない。

どうだろう?これでおばちゃん達は、「次元の違い」を理解してくれるだろうか?

そんなことを考えつつ、車内のおばちゃん達を「そっと」見ると、幾つかのバス停を無言で過ぎてから急に、「ちょっとアイスコーヒーでも飲まへん?」と高次元の側のおばちゃんの声かけに乗る形で、二人仲良く下車して行った。

あの口論はいったい何だったのか?「次元が違う」程の彼女らの隔たりは、どうやら一瞬で同じ次元に戻れたようだった。

もしかしたら、次元を自由に往き来できる未来人は、私の想像を遥かに越えた姿をしている可能性もある。もちろん、道端の犬のうんちは、踏まないに越したことはない。

終わり


※この記事をnoteを引退された「りんご探偵」先生に捧げる。


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