記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

物語は完結し、呪縛は解かれた─ 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:ll」の誠実さ


「シン・エヴァンゲリオン劇場版:ll」(以下「シンエヴァ」)は、とても誠実な映画だった。俺が「シンエヴァ」劇場鑑賞時に抱いたこの私見を、この度のAmazonプライム配信開始を期に振り返っておきたい。


●大作長編シリーズの呪縛



 近年、終わりが見えない大作長編シリーズが多い。

 これは決して否定的な意味ではない。その手のシリーズの多くは俺も大好きだ。例えば「アベンジャーズ」等で知られるヒーロー映画群:「マーベル・シネマティック・ユニバース」は、どの作品も一定のクオリティが保証されており、娯楽性もメッセージ性も強い良作映画で溢れている。シリーズ間の繋がらせ方や伏線の張り方も周到で、製作過程の綿密さを考えると気が遠くなってしまう。


 その反面、主人公やその世界の人々は、いつ戦いから解放されて救われるんだろう…?と複雑な想いを抱く事も少なくない。終わりが見えない戦いの物語からは、時に登場人物や作品世界に対しての不誠実さを感じてしまうのだ。
 例えば「スターウォーズ」。こちらも好きなシリーズではあるが、“完結編”とうたわれた「エピソード9」公開前から「エピソード10〜12」の製作決定が判明している時点で、結局銀河にまた危機が訪れるんじゃん!何だよもう!!どうせ12以降も続くんだろ!!!と萎えてしまった。もちろん商業的事情を考慮すれば、シリーズを継続することも大切だと理解してはいるが…。 



 そんな風潮が映画界(或いはエンタメ界)を席巻する中、「シンエヴァ」は違った。


●物語を完結させるということ




 登場人物の間にあった様々なわだかまりは解け、福音どころか不幸をもたらす存在“エヴァンゲリオン”に永遠の別れを告げ、“永遠の子ども”だったキャラクター達は立派に成長する…。昨今ありがちな“続編への匂わせ描写”はなく、平穏ながらも希望に満ちた日々を予感させながら、「シンエヴァ」そして「エヴァ」シリーズの物語は完全に完結した。
 俺はそんな本作について、“長編シリーズの完結”そのものがメインテーマとなった作品だったのではないか?と解釈した。なぜなら物語を完結させることで、戦いに明け暮れる物語に囚われたキャラクターを前向きに解放しようとした作り手の“誠実な意思”が伝わってきたからだ。




 エヴァシリーズは、方法次第で無限に継続させることが可能だろう※。その度にパチスロ台は量産され、フィギュアは売れ、様々な企業とのコラボ商品も好調なセールスを記録し続けるはずだ。しかしそれが続く限り、シンジ君や彼が住む世界の人々に安息の時は訪れない。
 シンジ君も綾波もアスカも、これまで何度も肉体と精神を傷付けながら戦い続けてきた。出来事や描写こそ違えど、この点はTV版も新劇場版も同じはずだ。「エヴァ」シリーズの物語=エヴァに乗って戦うことは、彼らが消耗し疲弊していくことと同義なのだから。「シンエヴァ」は安易な商売っ気に乗ることがなく、そんな悲劇的で不健全な物語構造を見事に打ち砕いてくれたように思える。 




 1997年に公開された旧劇場版:「Air / まごころを、君に(以下“旧劇”)」もシリーズの完結を意図した作品だったが、こちらはキャラクターも観客も徹底的に突き放し、物語から後ろ向きに解放させようとした露悪的な内容だ…と感じている。
 個人的には好きな映画だが、(TVシリーズ終盤頃から徐々に垣間見えていたように)過酷なスケジュール等による製作陣の精神状態・体力面の限界が作品世界に表出してしまった悲劇的な作品と言わざるをえない。庵野秀明監督ほか多くの関係者にとって、非常に不本意な作品となってしまったのではないだろうか。




 莫大な予算と膨大な製作期間が許された今作(それでもNHKのドキュメンタリー番組を見る限り相当カツカツだったと思われるが)こそ、余裕をもって物語にケジメを付け、前向きにキャラクターを卒業させてあげることができた=遂に旧劇のリベンジを果たすことができたと俺は思っている。



※  アムロとシャアが戦っていた世界観“宇宙世紀”とは別の次元“未来世紀” “コズミックイラ”等を創造したガンダムシリーズのように、シンジ君も綾波もいない別の世界観を創造するなら別だ。
 また、本作の綺麗な結末を崩さない“「エヴァQ」謎の14年間”のスピンオフならば見てみたい。「シンエヴァ」の続きを作るのは絶対にやめて欲しい。


●「シンエヴァ」の個人的総括


 上記に書き連ねたテーマ以外でも、映画としての魅力は数多く存在する。
 写実的な“第三村”には目を奪われっ放しだった。不器用ダメ親父:碇ゲンドウとシンジ君の和解や、しばらくの間“やらかし”が続いていたミサトさんの名誉挽回といった展開には溜飲が下がり感動させられる。特撮番組を意識させる終盤の撮影スタジオ・ハリボテ演出も、現実と虚構が曖昧になるような独特の不気味さと気持ち良さがあったと思えた。 かつては“少年”の代名詞的役者だった神木隆之介氏が“大人”の象徴として出演したのも感慨深い。




 その一方で、「Q」から続くヴンダー乗組員の粗雑な描写や、縦横無尽に繰り広げられるアクションシーンの視認性の悪さといった不満点もある。また改めて振り返ると、ゲンドウとシンジ君の和解も感動的ではあるが少々説明的だった。他にも気になる細かい点は多々ある。よって残念ながら、一点の曇りもない文句無しの大傑作映画として本作を評することはできない。




 しかし長編シリーズをしっかり完結させ、安易な“続編匂わせ”に走ることなく、肥大化した悲劇に落とし前を付けたことは何よりも評価に値する。俺はこの一点だけでも、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を絶賛したい。


この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?