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“仏教が始まった地”を訪れた日のこと


 七年前、俺がネパールに行った最大の目的。
 それは仏教が誕生した地、すなわち“ブッダ”“釈尊”と称される仏教の開祖:ゴータマ・シッダールタの生誕地を訪れること。



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仏教八大聖地の一番目:生誕地ルンビニは、閑静な田舎の村に存在する。広大な畑が一面に広がり、住人や観光・参拝客の数もまばら。時折見かける個人商店に、のどかな村のささやかな賑わいを見ることができた。ユネスコ世界遺産がある村だとは、一見すると信じがたい。


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 所変わって、聖地“ルンビニ園”の入り口。敷地内には肝心の“ブッダ生誕の地”が安置された“マヤデヴィ寺院”のほか、芝で覆われた庭園や、世界各国の仏教団体によって建立された小規模な寺院が点在している。


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 ルンビニの整備には、著名な建築家:丹下健三氏が携わっている。マスタープランは1978年に作成されているものの、2014年の時点で未だ建築途中。随所で工事中の光景をみることができたが、あれからもう七年…。少しは完成形に近付いているだろうか。




 ──さて、重要なのはここから先。
 写真に収められている白い城のような建物が、“マヤデヴィ寺院”と称される場所。寺院と銘打たれてはいるが、仏像や礼拝用の場所は存在せず、僧侶が常駐している訳でもない。この建物はある種のシェルターである。ブッダ生誕地の建物の遺構を風雨から守るための大きな囲いだ。


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 内部の写真撮影は固く禁じられていたので、様子を知りたい方はこちら(ネパール観光庁WEBサイト)をご参照あれ。レンガ造りの建物の基礎だけが残り、その一部に“生誕地”をであることを示すマーカーストーンなるものが置かれている。




 ブッダの母:マーヤー(摩耶夫人まやぶにんは、里帰りの途中で産気付き、この地に立ち寄り出産をしたという。一般的にはこのエピソードよりも、その後ブッダが生後すぐに歩き出し「天上天下唯我独尊」と述べた伝説の方が有名だろうか。のちにブッダが歴史的人物・宗教的な重要人物になるにつれこの建物の重要性も上がり、“生誕地”を標榜するマーカーストーンが置かれるようになったのだろう。そんな聖地も宗教的な争いの末に廃墟と化し、長い年月の間に忘れ去られ、いつしか所在不明となってしまったそうだ。


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 そして、更に重要なのがこの柱。古代インドにて仏教を守護した大王:である。壊滅したルンビニの遺跡が発掘される1890年頃までは、折れた状態で地面に埋もれていたらしい。
 “三蔵法師”としてお馴染みの玄奘三蔵も、天竺への旅の途中でこの地を訪れ、在りし日の石柱を見たと『大唐西域記』に記していた。(『大唐西域記』二巻 水谷真成 訳 東洋文庫 p.291より)


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 石柱の側面には“この地はブッダが生誕した場所のため、(かつて存在した)村の税金を安くする”といった旨の内容が書いてある。これがブッダ=ゴータマ・シッダールタという人物の実在と、この地こそがその生誕地であると示す根拠になったようだ。



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 日本の都会に暮らす俺にとっても、仏教は生活によく馴染んだものである。月命日に祖父の墓参を欠かしたことは無い。自宅の徒歩十分圏内だけで約五ヶ所もの寺院をみることができる。東博で仏像展が開催された際には(毎回ではないが)足を運ぶ。
 そんな馴染み深い仏教は非常に長い距離と時間を掛け、教義・思想の変遷を経ながら日本へ伝来した。そのルーツを辿り、仏教という名の大河の最初の一滴を見たい。俺はそう考え、ネパールに行くことを決めた。




 そして俺が目にした最初の一滴は、所々が崩れて土にまみれたレンガ造りの遺構。その周囲はブッダ在世時とは大幅に異なるであろう、芝生に覆われた西洋風の庭園。
 少し歪なバランスで成り立つ場所と言えなくもないが、この地を訪れたことで生じた紛れもない感慨深さは、七年経った今でも消えていない。有り難みとともに“諸行無常”を感じながら、俺はルンビニ園を後にした。





ネパール紀行 完


※過去のネパール関係の記事は、以下のマガジンに纏めてあります。


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