個人を守るために必要な支援と対策 第3章:多様性の進まない社会 ③

 また、日本において共通認識や共通教養など社会通念上必要な知識以外は個性を尊重することが大事だと思うのだが、日本というのはどちらかというと年長者の意見を尊重し、年少者の意見を排除するという構図が一般的になってしまい、これらが要因となっているハラスメントなどが増加傾向にあるように感じる。

 これは、見方によっては“人材選別の始まり”とも取れる状況が今後始まる可能性を意味しているのかもしれない。

 これはあくまで私の私見だが、日本社会に限らず、社会においては必ずと言って良いほど“競争”・“順位”・“地位”などその人の立ち位置で相互関係を構築していくという通念が定常化し、人との関わりの中で人間関係が構築されるというのが日常化している。

 ただ、日常的に人間関係を構築する事で、さまざまな人間関係の形が出来てくる。

 これは子どもなら習い事など他の学校の子供たちと交流する事や地域活動などで他の地域の子供たちと交流するなど一時的な人間関係を構築して、交流を続けるなかで継続的な人間関係を構築するというプロセスを学ぶ。

 しかし、現代はリアルとバーチャルなどのデジタル空間とSNSなどのネット空間など人と交流する手段が増えた事でこれまでよりも幅広いつながりを持てるため、価値観が合う人を見つけやすいという環境が少しずつ確立されていっている。

 そのため、子どもの頃から人と接する機会が少ない子どもと多い子どもがいるため、現代においては人間関係を構築するプロセスが1人1人異なっているということになる。

 これは今後の社会においても難しい岐路に立たされる可能性がある。

 なぜなら、子供たちの育ってきた環境と育成する大人側の環境が同じという可能性は少ないし、仮に子育てをしていたとしてもその経験が部下に活用出来るわけではないという事だ。

 これは以前から感じていたことだが、“~でなくてはいけない”という強制力を持った教え方をする上司と“~を試してみてはどうか?”と提案し、“私は~だったよ”と自分の経験を話してくれる上司がいた場合に新入社員と中途採用社員では社会経験の違いから受け取り方が異なってしまうことで認識のズレや自らの力量の範疇を超えてしまう場合に本人の意欲が削がれてしまうことで助けが求められなくなるというお互いにとって良好な関係を構築出来なくなる可能性があるのだ。

 しかしながら、日本における年功序列による社会形成からの脱却には程遠く、これらの認識はこれからも社会において大きな影響力を持つことになるだろう。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。