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2017年1月の記事一覧

阪神淡路大震災を振り返って(3)

22年前。
色々忘れる前に、ついに書いておこうと思う。
続きの続き(3) *(2)はこちら 

ウィキペディアではこう記されている。 
阪神淡路大震災 

避難所で衣服が配布されると聞いた。
混雑を避ける為、一家で一人が取りに行く。

多くの人が集まったが、
衣服を持って戻る人は少なかった。
衣服を持って来た人が
不思議そうな表情をしている。

それは古着だった。
いや、ボロだった。

「ありがと

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阪神淡路大震災を振り返って(2)

22年前。
色々忘れる前に、ついに書いておこうと思う。
続き(2) *(1)はこちら 

当時、被災地ではこの2曲ばかりが流れていた。
・美し都(うましみやこ) 平松愛理 
・がんばりましょう SMAP 

近所に小さい食料品店があった。
我に返るとお腹が空いたのか、
食料を確保したい無事だった人達が
そのお店に殺到した。

菓子パンは取り合いになったが、
支払いのレジには皆並んだ。
後に海外で話

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阪神淡路大震災を振り返って(4)

22年前。
色々忘れる前に、ついに書いておこうと思う。
いったん最後(4) *(3)はこちら 

震災20年後の年にヤフーが作ったページ。
「阪神・淡路大震災から20年。震災から学び、未来に備える - Yahoo! JAPAN」

震災後1年くらいは、
ラジオ・軍手・懐中電灯・地図を持ち歩いていた。
今なら軍手以外、スマホ1つで済む。

震災後1年くらいに、
地元の先輩の多くが20代前半で結

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阪神淡路大震災を振り返って(1)

22年前。
色々忘れる前に、ついに書いておこうと思う。

2011年の甲子園で、創志学園1年生、
野山主将の選手宣誓に嗚咽した。
(全文はこちら)

正直、震災の話を平常心で語るのに3年かかった。

当時はまだ、ネットも携帯も
若者のライフスタイルには
広く組み込まれていなかった。

当日、私は爆睡していた。
1度目の揺れは夢の中、
2度目の揺れで目が覚めた。

起き上がろうとしたが、動けない。

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毎日名言No321.

毎日名言No321.

「本当に悲しんだことのある者だけが 本当に苦しんだ者だけが誰かの痛みを理解できる そう…信じています」ギャルソン Table3 沢渡翔

●作品紹介

ギャルソン

原作 城アラキ

漫画 ホリエ リュウ

天才ギャルソン(男性の給仕)を通じてサービスとは何なのか?を描いた作品、現在グランドジャンプで連載中です。

●同じ作品の名言

No201.「生きてるって素敵ですよね まだまだ食べたことがな

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暖かいということだけで

暖かいということだけで

先週末は今年一番の寒気でしたね。

吐く息もメガネも真っ白に雲って
あ、寒いんだな・・・と実感する帰り道。

そんな時は阪神淡路大震災に被災したあの冬を思い出す。

暖かいことが贅沢だったあの時。

給食はコッペパンと魚肉ソーセージ。
変わるメニューはジャムだけ。
生鮮食品であるバナナがつくとみんなから歓声があがる。

1日に暖房を使えるのは夜寝る前のみ。
朝起きてからはぴょんぴょんしながら着替え

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